「ちょっと。なぁに、これ」
 最近穴をひとつ開けたばかりの耳朶に突如として鋭い痛みが走ったのは、彼のそんな科白とほぼ同時だった。いっ、と悲鳴になり損ねた情けない声が、自分の唇から零れるのは止められない。ソファの上でクッションを抱える腕に、不必要に力がこもった。そろそろと隣に座るひとを横目で確認すれば、案の定彼はわたしの耳をつまんだまま、盛大に眉間に皺を寄せていた。こんな時どんな顔をすればいいのかわからない。笑えば怒られると思う。
「俺、なんにも聞いてないんだけど? ほら、なんか言い訳してみなよ」
 わたしのひとつ年下の従弟であり恋人である瀬名泉くんが、何に対して機嫌を損ねているのかは、おおよそ理解していた。彼が手を放そうとする気配をちっとも見せないわたしの耳朶には、一昨日まではなかった穴が開いていて、そこにはストレートバーベルのファーストピアスが収まっている。その存在が、彼は許せないらしい。チタン製のそれを、左手の親指と人差し指で形を確かめるように耳朶ごとぐりぐりと弄るいずみくんには遠慮がなかった。まだ完成してないピアスホールがそんな弄られ方をするのに向いているわけがなく、やめて、と縋るようにいずみくんの手首を握った。
「いずみくん、いたい。膿むから、ほんとにやめて」
「俺がピアス開けるなって言った端から開けるくらいなんだから、よっぽど痛いのが好きってことだよねぇ。もうちょっと喜んだらぁ?」
「それどういう理屈? しかもあれは開けるかどうかの相談じゃなくて、開けるよって事前報告だったじゃん……」
「俺は嫌って言ったじゃん」
「嫌とか言われても困るって言ったじゃん!」
 ピアスを開ける、という報告に彼が難色を示したことは忘れてはいない。身体に穴開けてどうすんの、とか、似合わない、とかなにかと反対されたけれども、だって開けたかったんだから仕方ない。
「ていうかこれ、自分で開けたの? いや、ナマエの性格的に自分で開けるなんて度胸はないか。誰に開けてもらったわけ?」
「友達に……」
「女? まさか男じゃないでしょ?」
「そんなに性別気になるものかなあ」
「どっち? なんですぐ答えられないの?」
 いずみくんの低くなった声は、存外真剣だ。彼の指に更に力が入ったのがわかって、慌ててわたしは口を開く。耳を人質に取られているみたいな緊迫感。
「……女友達です」
 雰囲気に呑まれて、年下相手に敬語になった。ふうん、とこちらを品定めするような視線を浴びせ、彼はこれ見よがしに小さく息をつく。
「まあ嘘はついてないみたいだけど、気に入らないことに変わりはないから。相手が男でも女でも」
 いずみくんの手が、やっと私の耳朶から離れた。もう片方の耳を確認するためか、彼は黙ってわたしの首元あたりに手を差し込むと、顔にかかる髪をそっと手の甲で持ち上げる。そっちの耳に、穴はない。
「こっちは?」
「ピアッサーを誤作動させちゃって。失敗したの。だからまた今度……開けたら怒る?」
「怒る。って言っても、開けるんでしょ」
「うん」
「すぐ肯定するところがちょ〜むかつく」
 無傷の耳を引っ張られたが、今度は別段痛みはなかった。ぐっと距離が縮めてきた綺麗な顔は、過分に呆れが滲んでいる。
「あんたって奴は本当に、俺より年上のくせにいつまで経ってもガキみたいだよねぇ。前も言ったけど、すぐ形から入って背伸びしたがるし。俺の言うことちっとも聞こうとしないしさぁ」
「大人じゃないのは認めてもいいけど、ピアス開けるのを背伸びって言うのやめてほしい……」
「他の奴らがどうかは知らないけど、少なくとも俺から見たあんたはそうなんだから仕方ないでしょ〜。ちょっと目を離すとこれだから、ほんっと手がかかる。もっときつく言っておくんだった」
「……いずみくんそうやってすぐお兄ちゃんマウント取ろうとするよね」
「実際、俺の方が大人だからねぇ」
「えー、そうかなぁ……」
 そうなの、と間髪を入れずに返ってきた。全然認めてはないけど、わたしの方が年上なのでここは譲っておくことにした。
 いずみくんはまだ納得いかなさそうに私の耳元を敵のように軽く睨んで、ふんと鼻を鳴らしている。そもそも彼の不機嫌の原因がピアスにあることはわかっても、なにがそんなに気に入らないのかは正直よくわかっていない。気が済むまで耳を眺めたせいか、次に彼がわたしに向けて放った言葉は、思ったよりも棘がなくて、すこし拍子抜けだった。
「右耳、次いつ開けるの」
「うん? たぶん来週くらい」
「じゃあ開けるとき言って。俺がやるから」
「え、いずみくんが開けてくれるの?」
「開いちゃったもんはどうしようもないし。もう一個開けるのも確定なんでしょ。だったら、そこは譲ってあげる」
 そうやって、また自分の方が年上であるかのような言い方をして。彼はやっと、満足そうにわたしに笑いかける。これまでのやりとりのどこに彼の機嫌を上向きにさせるところがあったのかは知れない。柔らかく細まるアイスブルーの目を不思議そうに見上げていたら、彼はどこか得意げに言った。
「ナマエの身体に傷付けるのは、俺だけであるべきだよねぇ。ここは譲らないから〜」
 掴まれた自分の耳が熱くなったように感じたのは、その意味を、彼が拘っていた理由を、ようやく察したときだ。

BACK/TOP