音楽科とKnightsの顔合わせは、音楽科の教室で執り行われた。アイドル科の教室と大して差異の見当たらないごく一般的な教室だ。顔合わせの参加者たちは適当な席につき、ミョウジナマエは今回のイベントの仕切りを行う立場であるからか、姿勢良く一人教壇に立ち、注目を浴びていた。穏やかな調子で挨拶をこなしていく姿は、手慣れたものだ。
参加者は、不在である"王様"を除いたKnightsの全員と、音楽科からはナマエを始めとした今回のイベントの実行委員とブラスバンド部の数名。ナマエが簡潔にKnightsと音楽科を紹介し、各々が短く自己紹介を披露した。聞いたところによれば、夢ノ咲学院は優秀なアイドルを輩出する学院として名高いが、音楽科もレベルの高い指導と育成を行い、卒業後も音楽を専門とした学校へ進む者が多いらしい。他学科にまるで興味のなかった泉にとっては、初めて知るこの学院の違う一面だ。音楽そのものはアイドルと切っても切り離せないものではあるし、理解し合える部分もあるのかもしれない。と言っても、表面上穏やかに交わした挨拶で感じた、共通しそうなことと言えば、互いにプライドが高いところくらいか。アイドルというものを彼らの大半が軽視していることは、その視線ひとつで察することができた。ナマエはKnightsへ協力を求めることを音楽科の"総意"と言ったが、さすがに一枚岩ではないらしい。
落ち着かないふうにこちらをちらちらと見てくる女子はともかく、男子はその三分の一程度がどこか訝しげだ。アイドルなんてちゃらちゃらした奴らがこちらの領分に入ってくるな、といったところだろう。自分たちだけではイベントとしての成功に自信が無いくせに、よくそんな顔ができるものだと泉は静かに軽蔑する。顔には出さないが、こちらとしては決して気分の良い場ではない。それは泉だけが感じているものではないようで、現に嵐や司の笑顔はいつもよりかたい。凛月だけ周りの音など聞こえていないかのように、普段通り眠たそうに時折目をこすりながらぼんやりと前方だけを見ていた。
一方、顔合わせの進行を務めるナマエは、実に機嫌良さそうに役割をこなしていた。一人説明を続ける口調も、緊張感を保った空間を撫でるように柔らかだ。ただし緩やかなようでいて、誰からも文句一つ零させないような空気を作り上げている。何かを囁き合うような素振りをする生徒たちには、すかさず目配せをしてにこりと笑う。すると、彼らはたちまちバツが悪そうに眉を下げて黙り込んだ。隙のないバランスで整った容姿は、視線だけで人の口を閉ざす圧があるからだろうか。泉にとって、やはりナマエは食えない女だった。
今回のイベントの趣旨、今後のスケジュール、楽曲の発表を次々とし、顔合わせも終盤に入った頃、ナマエは「最後に」と前置きして、皆を見渡す。
「昔、偉い人は言いました。人は思い込みにより、事実を正確に捉えられないことがあると」
お手本のような華やぐ笑顔を見せ、彼女は言う。
「曇ったフィルターを通して相手を見ても、本質なんて見えませんし、楽しめるものも楽しめませんよ。音楽科だけでも、アイドル科だけでもできないことがあります。それを出来る折角の機会を無駄にするのは勿体無いというもの。お祭りは、みんなで遊んでこそだと思います」
一言一言に重みがあるように見せるのが上手い、とでも言えばいいのか。ごく当たり前の内容を、いつもであれば聞き流しそうなそれらを、彼女の話し方と声は人の記憶と心に直接刻み込むような、妙な残り方をする。それは説得力とも言い換えることが出来そうなものだ。
「以上、解散」
ナマエが教壇を降りたのを合図に、各々が席を立ち、鞄を片手に廊下へと出ていく。Knightsのメンバーには控えめに会釈をしていく者から、こちらを一瞥もせずに去っていく者まで様々だ。ナマエはともかく、演奏者のメンバーがこれでは前途多難そうである。
ナマエは教壇を降りた足でそのまま泉たちの方へと来ようとしているようだった。けれども、ナマエがこちらへたどり着く前に、こちら側の一人が席を離れて彼女の下へと駆けつける方が早かったので、結局彼女の足は教壇の少し前で止まる。あらあら、と泉の隣で嵐が楽しげな声を零した。
「ナマエ!」
「司さま」
名前を呼ばれた司は、目を輝かせてナマエを見下ろした。気の抜けなかった先の顔合わせから一転、飼い主を見つけた犬のように、彼の纏う空気全体が弛緩する。
「お久しぶりです、ナマエ。ナマエはこのEventsのLeaderだったのですね。先程は堂々とした振る舞いでの進行と素晴らしいSpeechでした。さすがナマエです、見ていてなんだか誇らしくなりました」
「勿体無いお言葉です。本当に、わたしには過ぎた評価だと思いますけど。司さまはいつも少し大げさと言うか、お優しいですね」
「ナマエこそいつもそう言いますが、私が優しいわけではないのです。信じてください、ナマエ。私は心からあなたをという人を尊敬しております。いつだってなんでもPerfectにこなすあなたを、司は長い間見てきたのですから」
「あはは、やっぱり優しいですよ、司さまは。うん、でも、ありがとうございます」
そう訴える司は健気そのもので、そんな彼を見つめるナマエが一瞬見せたのは、意外にも少し弱ったような面持ちだった。
「そうだ、今のうちにひとつお願いがあります。学校で"司さま"はやめて欲しいのです。私はこの学院では単なる一生徒です。先輩にそのように呼ばれては困りますし、あなたは使用人でもないのですから。敬語も必要ありませんよ、ナマエ先輩?」
「あぁ……そうですね。はい、努力します。いえ、努力する、司くん。ううん、慣れないなあ」
「ふふ、私はなんだか楽しくなってきました、先輩」
「ごめんやっぱり先輩はやめて。呼び方は変えるから、敬語も使わせてください。違和感がすごくて落ち着かない」
「そうですか? 残念です」
Knights最年少である朱桜司がどういうわけかナマエに酷く懐いているという事実は、実際にこうして対面する二人を目の前にする以前からKnights内では認識されていたことだ。泉の見立てでは、司がナマエに向けるのは愛しい少女への焦がれるような情熱ではなく、尊敬する姉への深い憧憬。恥ずかしげもなく賛美の言葉を並べて彼女を語る司を見ていればそのくらいの見当は容易くついた。彼は本人を前にしても、その時のテンション感のままだ。ミョウジナマエという人間が本当に正しく完全無欠であると信じて疑わないような言動を、彼はする。そんな奴いるわけがないのにと泉は思う。司はナマエに夢を見過ぎている。だいたい、年下を様付けで呼んで気遣い、年上を呼び捨てにして敬う。どんなこじれた関係だとそうなるのだろうか。
やがて何事もなかったかのように普段通りの笑い方を取り戻したナマエは、色素の薄い瞳で再び司と見つめ合った。
「司くん。今回は依頼を受けてくださって、ありがとうございました。無理を言ってる自覚はあったけど、今回に限っては言ってよかった。Knightsの方々も、改めてお礼を言わせてください」
席から離れない泉たちにも礼を述べるナマエにいち早く応えたのは、泉でも嵐でも凛月でもなく、やはり一番彼女と距離の近い司だ。
「他でもないナマエからのRequestです、受けない理由がありません。ついに学院でもお会いする理由ができて、司はとても嬉しいです」
「紳士的ですね、司くんは。それに、前より頼もしくなった。かっこよくなりましたね」
「本当ですか? ナマエにそう言ってもらえると、自信がつきます!」
まるでゆったりと時間が流れているような、微笑ましく優雅な時間。姉と弟が笑い合うその絵はとてもうつくしく、誰の介入も許さないような雰囲気があるが──時と場所を考えて欲しいと泉は言いたかったので。本人たちがどう考えているのかは知らないが、傍からだと砂糖をまぶしすぎた洋菓子を食わされているようなしつこさを思わせる光景だ。
「──ねえなんなのこの空間? いつ終わるのこの茶番? ぶっ壊していい?」
「やだ泉ちゃんったら過激。司ちゃんがあんなに浮かれちゃうことなんて滅多にないんだし、もうちょっと可愛い後輩の幸せな時間を見守ってあげようって気持ちにはならないのかしら?」
「後輩ならもう少し先輩には気を遣うもんだよねぇ。かさくんも、ミョウジもさぁ。先輩ほっぽりだして自分たちの世界作り出しちゃうなんて、良い度胸じゃない?」
「あんまり心が狭いと色々と逃しちゃいそうでお姉ちゃん心配だわァ」
「はあ? 一体なんの話してるわけ? ちゃんと会話してくれない?」
最近の嵐の言動は、特に泉の癇に障るものが増えた。隙あらば泉のナマエへの感情を自分の趣味に合うように脚色しようとするのだから鬱陶しいことこの上ない。こちらが何度否定と共に暴言を吐こうがまるで暖簾に腕押し、馬耳東風。
「まあスーちゃんにとっては至福でも、あの子にとってどうかはわかんないけどねぇ」
不意に、沈黙で通していた凛月が、近くにいる泉と嵐にだけ聞こえるような小さな声、独り言のようなトーンで、なにやら口にし始めた。振り返ってどういうことだという目線を向けてくる泉と嵐を意に介さず、彼は赤い瞳を気怠げに瞬かせながら、マイペースに続ける。
「隠し事が上手な子ってさ、ほんと難儀だよね。疲れないわけないのになぁ、相変わらず理解できない」
「……くまくんそれ、ミョウジのことだよね?」
「んー、どうでもいいけど、セッちゃんあれ止めてあげてよ。スーちゃんだけ置いて帰れないでしょ。俺もうスタジオ戻りたいんだけど。いい加減眠くなってきちゃったしさぁ……」
あふ、と大きな欠伸をしつつ、椅子の背もたれに背中を預ける凛月は自分で行動する気は更々ないようで、もっと言えばまともに会話をする気もないらしい。凛月もまた、泉と同じくナマエの垣間見せた困惑に気づいたのか。いや、それにしては──泉は瞼を落とす同い年の後輩を横目で見やり、今の言い回しの違和感を頭の片隅に留めたまま、席から腰を上げた。
「その辺にしときなよねぇ、かさくん?」