外気に撫でられた素肌は容赦なく体温を奪われていったし、口から零れ出る白い息は外の気温の低さを視覚的に教えてくれた。つまりめちゃくちゃ寒くて弱っているのだけれども、隣を歩くわたしの従弟で恋人の青年は、生憎寒さに強いみたいだ。全く平気そうでもないけど暑いときよりもはるかに口数が少ない。夏の炎天下の中を一緒に歩いたときには、日本の蒸し暑さをこき下ろす言葉が次から次へとするする流れてくるものだから、呆れるどころかそのバリエーションの多さに感心したものだ。わたしの恋人は暑さに弱く、口が悪い。わたしもどちらかと言えば寒い方がましというスタンスではあるものの、正直暑いのも寒いのもだめだ。夏のいずみくんではないけど、口を開けば寒い冷たいとどうにもならない気候に対する愚痴が勝手に出てきてしまう。
「さむすぎる。地球頭悪いよ」
「頭悪いのはナマエだから。ばかじゃないの。元々俺が頼まれたことなんだし、寒がりなんだから家で留守番してればよかったでしょ〜。知ってるから誘わなかったのに、なんで強引に付いてきちゃったわけ。今更うちの親と気まずいとかもないじゃん」
「えー、だって。いずみくんと買い物行きたかった」
「買い物って言うかおつかい。欲しいものでもあった?」
「……そういうこと言うんだー」
「はぁ?」
なに拗ねてんの、と首を傾げるいずみくんはわたしの発言の意図を汲み取ろうともしない。拗ねるのはいずみくんの専売特許なのに。年末らしく人通りのまばらになった薄暗い道を二人で、とりとめのない話と気まずくない沈黙を繰り返しながら進む。たぶん偶然ではなく車道側を歩いてくれるいずみくんに、ありがとうと言いたいけどタイミングを逃した。反省。
大晦日、瀬名家へ招待された。いずみくんからじゃなく、彼を通じてご両親から。年越しもぜひ家で、というお誘いを二つ返事で受けたら、いずみくんはちょっとだけ疲れたように眉をひそめた。元より彼のご両親との仲はもちろん良好だけれど、わたしといずみくんの関係が変わったと知ってからのあのひとたちが、特に距離感を詰めてきいるような気がするのは恐らく気のせいじゃない。囲い込みたいんでしょ、ほんとやめてほしいんだけど、とひどく不服そうにいずみくんは以前言っていた。それのなにが問題なんだろう。
「ごめん、大晦日までうちの親に付き合わせちゃって」
前方の暗がりを見つめたままのぽつりといずみくんが、ぽつりと謝った。
「なんで謝るの? わたしいずみくんちのパパとママ好きだし。あといずみくんに謝られたら雪降っちゃうからやめよう」
「へえ? それどういう意味? 言うようになったよねぇ、あんたのこの口もさぁ〜?」
「つ、つめたい、いずみくんの手つめたいからほっぺたに当てるのやめて」
「ていうかナマエなんでそんなにあったかいの? こども?」
「べたべた触るのもやめて、だいぶつめたい!」
「やだ〜」
すぐそこのスーパーまでだしと冬の夜の冷たさを舐めてかかったわたしたちはコートはしっかり着込んだ一方で、手袋やマフラーなどの防寒グッズはまるごと家に置いてきた。舐め過ぎだ。首も手もがんがん冷風の餌食になっている。いずみくんの大きくて冷え込んだ左手がわたしの頬の温もりを堂々と盗んでいくのを諦めて好きにさせていたら、不意にその手が片頬を包んだまま動きをぴたりと止めた。気付くと手の持ち主は、わたしと目を合わせようとしない。
「あのひとたちは……両親は、勝手に舞い上がって勝手に期待してるだけだから。あんたは気にしなくていいからね」
「うん?」
「……気にしてないならいいけどさ」
「ううん、よくわかんないけどべつに気にしたことないよ。二人が喜んでくれてるならわたしも嬉しいし。だって、いつかはお義父さんお義母さんって呼ぶ相手でしょ」
「……は?」
「いずみくんがなにを気にしてるのかわかんない」
青い瞳がどこか戸惑うような色を讃え、わたしだけを映す。目を見開いて、眉間に皺を増やして、唇をへの字に曲げるいずみくんはたぶん、怒ってる、ように見えた。
「はあぁ?」
「え、なに、なんで怒るの?」
「怒ってはないけど、なんなの、あんた自分がなに言ってるかわかってんの?」
「わかってると思う、けど? なんで? いずみくん言ってたじゃん、結婚しようって」
だって、彼が言ったのだ。小さい頃から「お兄ちゃんと結婚しよう」と懲りずにこの歳になってもわたしに言い聞かせ続けたのは瀬名泉くんだ。わたしを好きだと正面から告げてくれた日も、そうだった。思えば結婚前提なんて普通じゃないが、いずみくん相手なら拒む理由なんてなかった。だから、わたしは遠い未来に彼とそうなることを当たり前に思っている。
わたしの頬で少し温もった手を離して、いずみくんは今度はなぜか顔を覆って嘆息していた。その浅い息すら白く染まる。指の隙間から、彼にしてはやけに控えめな視線をこちらに寄越しながら。
「な、なに、いずみくん?」
「なんでもない」
「なんでもない?! なんでもないことはなくない?」
「うるさいなぁ、俺がなんでもないって言ったらなんでもないの。ほら少しスピード上げるよぉ、早くしないと風邪引いちゃうでしょ。俺は年明けから仕事だし、こんなところで体調崩すわけにはいかないんだから」
「やっぱり手がつめたいー」
「文句言わないの」
自分勝手なことを言いながらわたしの手を引き始めた彼の手は結局冷たかった。こうして手を繋ぐことに躊躇いを感じなくなったのは、いつからだろう。お兄ちゃんのようで弟のような存在だった相手から向けられる恋情を、正しく受け止められるようになるのにはやや時間がかかってしまったけれど。わたしは少しでも、彼の気持ちに追いつけているのだろうか。
「あんた手も温いし、そのうちあったかくなるでしょ〜」
「それわたしがあっためるやつ……」
わたしの手を引っ張るようにして少し先を歩く彼の耳が赤いのは寒さで血行が悪くなっているだけなのか、否か。問うのはきっと無粋というやつで、それを察することができる程度にはわたしも空気が読めるようになった。だから、今は彼をただ黙って眺めることにする。