「トランペット、一人定期的にテンポずれますね。ドラムをよく聞いてください。あとハイトーンのときの音が雑。直して。次、ドラム。フィルインが入るとリズムが揺れてます。次の小節の頭も半拍遅れてますよ。すぐ持ち直しますし、テンポキープは出来てますけど、もっと反復練習はしてください。ああそれと、ハイタムのチューニング半音上げて。次、トロンボーン──」
Knightsと音楽科ブラスバンド部の合同演奏会練習の一回目は、穏やかとは言い難い雰囲気の中で行われていた。放課後の音楽科校舎のホールは、冷房がかかっているわけでもないのに、なんだか冷え冷えしているようにすら感じる。原因は明確だった。顔合わせの時は率先して空気をコントロールし、場が凍らないようにと努めていた存在が、今は率先して凍らせにかかっているからだろう。今回のイベントにおけるまとめ役でありトップであるミョウジナマエは、演奏でこそ参加しないが、音楽科とアイドル科の間を取り持つ意味で練習に参加している。演奏者だけだとコミュニケーションに不安があるということらしい。当初の泉は、彼女は練習の大まかな仕切りだけ行って、後は見学を決め込むのかと思っていたのだが──どうやらそうでもなかったようだ。演奏が終わる度、彼女はこうして各パートに対する細かい指摘を並べ立てた。かなり耳が良いらしい。そしてその回数を重ねるごとに、演奏チームから笑顔が消えていく。否、ナマエがあえて消そうとしている。彼女が空気を作り出せる人間であることは、以前の顔合わせでわかっている。つまりその彼女が、そういった振る舞いをしているということは。ぴんと糸を張ったような緊張感は、彼女が意図して作ったものだ。そこには何らかの意味がありそうで。
「総じて、練習不足ですね。残念ながら、完璧とは程遠い」
残念と口にしながらもにこりと笑って、彼女はホールで自分に注目する生徒たちを見渡した。
「今回、音楽科のメンバーに限っては自薦です。やると決めたのは自分自身。コンクールの予定もありませんね。つまり」
一度そこで言葉を切り、場に沈黙を呼び込んだ。人を自分の話に引き込む常套手段だ。
「怠慢は認めません。部活だからと手を抜かれては困ります。今後音楽科が舐められてしまうかどうかは、みんなの腕にかかっているので。舐められたままなんて、むかつくでしょう。わたしは絶対に、嫌ですね」
間を置いたのち、優しげな口調で紡がれた科白は、なんだかちょっと喧嘩腰であった。喧嘩とは無縁なように見えるが、相当な負けず嫌いなのか。あえて煽っているのか、本音なのか、その辺りは読みにくい。
ここで、今日の練習は解散となった。時間は19時だった。その後、楽器の手入れをし、ケースに片付ける各パートの生徒たちの元へナマエは順に回っていた。なんらかのフォローを入れているのか、先程までは顔を強張らせていた生徒たちは、ナマエと二、三言話すとやがて笑顔になっていく。飴と鞭、という単語がするりと出てきた。
その様子をじっと眺めていた泉は、不意にこちらを振り返ったナマエと目が合ってしまった。つい睨むように目を細めると、ナマエは楽しそうに微笑んで、泉たちの元へ来る。
「お疲れ様でした」
「あんたもね。大変だよねぇ、手間のかかる奴らの世話って」
「そうそう、泉ちゃんったらいっつも手間がかかって仕方ないんだから」
「はぁ? これおまえらの話なんだけどぉ?」
「ていうかセッちゃんは好きでやってるだけじゃん。俺たちはお世話させてあげてるの。感謝して欲しいくらい〜」
好き勝手言いやがって、と後輩たちに睨みを利かせていたら、更に下の後輩がナマエに駆け寄っていた。以前は喜びに溢れた犬のようだったのに、今はどこか緊張した面持ちだ。
「ナマエ、私たちの歌はどうでしたか? 私もAdviceが欲しいのですが」
仕上がりは、泉の目から見てこちらも完璧とは言い難かった。歌詞はすべて英語で構成された洋楽だ。司は英語の発音はお手の物だが、いつもの曲との雰囲気の差にも、苦戦している。恐らく司も同じような未熟さを感じたからこそ、助言を求めている。彼のお願いに、ナマエは薄い唇を開いて。
「司くんの期待に添えられないのは心苦しいんですけど、歌に関してはわたしからアドバイスすることはないと思ってください。司くんたちはアイドル科であって、音楽科でも声楽科でもないし。わたしの観点からのアドバイスに、あまり意味はないと思いますよ」
単純な技術を求めているわけではない、ということを主張した。歌と華やかな容姿と。そのトータルで観客を魅せ、夢を見せるのがアイドルである。よって、技術の追求はナンセンスだと彼女は判じているようだ。もちろん今回、大きく動くダンスは封じられているが。
「仕事の評価は観客の反応次第。当日までのKnightsの仕上がりの判断は、Knightsのリーダー、もしくはプロデューサーさんの仕事ということでひとつ」
「……言い方が生意気で気に入らないけど、まあ、そうなんじゃないの」
泉が暫定リーダーに横目で視線を投げる。暫定リーダーこと嵐は、自身の顎に指を添えながら、ふわりと頬を緩めてナマエに同意を示した。
「そうねェ。そういうことなら、こっちの問題児たちはアタシたちに任せてちょうだい? 今日は来られなかったけど、プロデューサーのあんずちゃんとアタシで仕上げて見せるわ」
プロデューサーであるあんずには、天祥院英智が話を通しているらしい。
「逆に音楽科に関してはナマエちゃんにお任せしちゃうことになりそうだけど」
「ええ、もちろん。適材適所です。手は抜きませんから安心してください」
「まあ頼もしい。そういえば、さっきも随分手厳しかったわね。かわいい顔して意外に容赦がなくてびっくりしちゃったわァ。レッスン中の泉ちゃんみたいだったわよ。ナマエちゃんって結構完璧主義?」
「なにそれ、俺はあんなんじゃないでしょ〜。あんなに機械的に指摘したりしないし」
「確かに瀬名先輩はどちらかと言えば感情的にAdviceして下さいます」
「なんかむかつくんだけどその言い方。俺の指導に文句でもあるわけ?」
「うん、なんとなく想像つきますね」
「うるさいんだけど」
一緒にはされたくないが、彼女の姿勢は評価しないでもない。より良いものを観客に提供しようと最善を尽くしている点では、同じ方向を見ていると言える。いまひとつモチベーションの上がり切っていない音楽科は、彼女のような存在がいなければ奮起も難しかっただろう。ナマエは四人にだけ聴こえるよう、声のトーンを落として、悪戯っぽく囁く。
「ここだけの話、完璧に近づける指導はしますけど、完璧は求めてないですよ。順位も成績もつかない演奏会への意識は、そもそも下がりがちです。だったら、下がることを前提に元から基準を目標より引き上げておけば、多少落ちてもクオリティはそこそこで保たれますよね」
「……あんた本当に良い性格してるよねぇ」
「ありがとうございます」
褒めても貶してもナマエは等しく飲み込んで、涼しげに笑むだけだから可愛げがない。しかしその涼しげな顔も、彼女が腕時計に視線を落とした瞬間に、やや慌てたように余裕が薄まった。いけない、と小さな呟きがもれる。教室の時計を見上げれば、19時15分を回ったところだ。
「すみません、わたしはここで失礼しますね」
「なぁに、急に慌てちゃって。急ぎの用事でもあるの」
「学校の練習室を予約しているんですよ」
「練習室? もう19時だけど、あんたまだ練習するつもり?」
「本業に戻らなくちゃいけないんです」
本業、とはつまりピアノだろう。彼女は音楽科ピアノ専攻だ。
「今から? 1時間でも終わったら20時よ? 女の子の一人歩きには危ない時間じゃないかしら?」
「案外人の通りは多い時間帯です。大丈夫ですよ」
それでも、20時は女の子が一人でうろうろするには少々不安な時間だ。心配そうにする嵐に大丈夫、を平気そうに繰り返すナマエに、今度は司が提案を持ちかける。
「ナマエ、良ければ家の車で送りましょうか?」
「ありがとうございます、司くん。でも、大丈夫。迎えの車なら、わたしの家のものを呼びますし」
「それならいいのですが……」
「ちょろいなぁ、スーちゃんは」
まったく、と零して腰に手を当てる凛月は呆れ果てたように眉が下がっていた。何かを察したのか、咎めるように凛月の名を呼ぶナマエを意に介さず、彼はそのまま言葉を継ぐ。
「ねぇ、隠し事ばっかで疲れない?」
「…………」
「なんとか言ったら。俺がいじめてるみたいでしょ」
唇を引き締めたナマエは、すぐに次の言葉が見つからないようだった。見かねた嵐が、まあまあとナマエと凛月の間に割って入る。人差し指をぴんと立てた彼は、め、と咎めるように凛月を見た。
「凛月ちゃん。あんまり意地悪してたら、嫌われちゃうんじゃないかしら?」
「意地悪に見える?」
「紳士じゃなくて、尋問官みたいな目をしてたわよ? 女の子にはもっと優しくしてあげなくちゃダメ。聞かれたくないこともあるじゃない? そういうのは男の子が察してあげないとねェ」
「……ナッちゃんらしいけどさ。俺とはスタンスが違うみたい」
凛月の訳知り顔が、泉は少し気に入らなかった。彼は彼なりに何かを事情を知っているから、同時に放っておけないから、こうしてナマエに突っかかるのだろう。悪友だと、ナマエは前に凛月との関係を訊ねられてそう表現した。逆に凛月にナマエとの関係を訊ねたとき、彼は少々考えたのち、避難所だと告げた。凛月の避難所だと言うならわからないでもないような、それでもやはり何かが腑に落ちないような。ナマエが凛月をどのくらい知っているのかは不明瞭だが、少なくとも凛月はナマエという人間をよく知っている。そんな現実がたった今垣間見えた気がして、どうも気分が良くない。
べつにこんな生意気な女が、誰と仲良くしていたってどうだっていいのだが。同じユニットのメンバーの人間関係は正確に把握しておきたいし、その必要がある。そう自分に言い聞かせて、泉は騒がしくなる心中を強引に黙らせた。
凛月が何かを言いかけ、一度飲み込んでから、再び口を開く。
「一応聞いとくけど、大人しく俺に送られてくれる気ある?」
「ないです」
なんの裏も無さそうな清々しい笑顔で、ナマエは凛月を拒んだ。
「信用ないねぇ……。俺たち友達でしょ?」
「信用はしてますよ、わたしの人生で出会った人たちの中で五本の指に入るくらい」
「微妙な立ち位置じゃん」
「だからわたしの友達である凛月くんがわたしになにかするなんてあり得ない、知ってます。だからこそ」
「その信頼も気遣いもちょっと都合悪いなぁ……」
親密であるはずの二人には、これ以上は踏み越えてはいけないといったような明確な一線があるらしい。それは他人が簡単に触れていいものでも無さそうだ。司とナマエの二人の世界が透明だとしたら、この二人は不透明だろう。前者の二人の正確な関係性なんて泉の知るところではないが、見ていればおおよそは察しがつくし、説明は一言で済む。司がナマエに懐いている──至ってシンプルだ。後者は、恐らくそんなものではない。家同士の繋がりもなく、ただ"友達"とだけ名付けられた関係性には、たくさんの謎が詰まっている。そもそもこの面倒くさい上に面倒くさがりな朔間凛月が、この少女を友人と認めているところからしてただ事ではないだろう。
「まあそういうことで。わたしはレッスン室に向かいます。みんなお疲れ様でした。また来週に」
丁寧にそう言い置いて、ナマエはどこか逃げるようにホールを出て行った。まだ残っていた数人の生徒が、コンクールの練習がんばってください、と声をかけてくるのに手を振って返しながら。
「コンクール? あいつ、これは自薦だからコンクールの予定はないとか言ってなかった?」
「僕たちは自薦ですけど、ナマエさんは先生からの推薦なんです」
泉の疑問を拾った音楽科の男子生徒が、なんでもないことのようにそう答えた。コンクールが再来週に迫っていて、とも。聞けば、今回のイベントに関わるかどうかの最終判断を委ねられたナマエ自身が、引き受けると決めたらしい。合同練習の仕切り以外にも任されている準備や段取りの一切合切は、本来コンクールの練習と平行して進められるものではないはずだったにも関わらず。
そこまで聞いて、やっと合点がいった。道理で、合同練習の後に夜遅くまで練習を入れているわけだ。状況だけ見ると、このオープンスクールイベントが彼女の練習の足を引っ張っている。何故彼女はこんな面倒な状況を作ってしまったのか。
「なんなのあいつ。生意気に余裕ぶってるってこと?」
「ナマエのContestを何度か見に行ったことがありますが、ナマエはいつもPerfectでした。彼女が大丈夫だと言うのなら、きっと今回も大丈夫なのでしょう。少し心配ではありますが」
「……どうだかねぇ。いつも完璧な奴なんてそうそういないでしょ。ああいうタイプは結構無理しちゃってんじゃないの」
「泉ちゃんのそれって経験則?」
「はぁ? 俺はいつも完璧だから〜」
「言ってることわりと滅茶苦茶よ?」
凛月はまだ納得いかなさそうに、物言いたげにナマエが消えた方を眺めている。それがまた、面白くなかった。凛月だけが知っている何か。知っているから、心配しているような素振りを見せたのかもしれず。
「そんなにナマエが心配なら、セッちゃんが送ってあげたら〜? この後どうせ帰るだけでしょ」
「え? ……は?」
前触れなく話を振られて、泉は凛月の科白の内容を理解するのが遅れた。今凛月は、泉にナマエを送れと言ったのだろうか。要領を得ない返答に、凛月がうんざりしたような声で返す。
「セッちゃん耳悪くなったの?」
「くまくんがわけわかんないこと言うから聞き返しただけ!」
「俺そんなに変なこと言ったかなぁ。ベストな案だと思ったんだけど。ナマエは家の車なんて呼ぶ気ないだろうし、練習もたぶん2時間くらいはするんじゃない」
「……よく知ってるじゃん」
「まあセッちゃんよりはね」
「そんなに言うなら、くまくんが送ってあげたらいいんじゃないの?」
「さっきの見てたでしょ。ナマエは、なかなか俺の言うこと聞いてくれなくなっちゃったからさ。俺じゃだめなの。でもセッちゃんなら、大丈夫かもしれないし」
その詳細を語る気はなさそうだった。俺じゃだめ、と話す凛月に表情はないがどことなく淋しげな影が落ちて見える。
「なにそれ。くまくんにしては、随分世話焼くよねぇ。まさかあいつのこと好きなわけ?」
「そうだよ」
想定と真逆の答えは、あまりにもさらりとした声音で飛んできた。
「もう振られてるけど」
それはもう聞き流しそうになるくらいに、淡々と。