※オリキャラ注意

 未来の自分を思う。さしあたって思考するべき優先順位の頂点にあるのは進路だ。一度は己で区切りをつけたはずのモデル業を再開し、同時に夢ノ咲学院でKnightsというアイドルユニットの一員として活動を行う瀬名泉の今後にはあらゆる可能性が広がっている。近い将来をどうすべきか考える時期にきているが、どう転んでも、自分は芸能界という場所から遠ざかることはないとぼんやりとした確信だけはあった。未来の瀬名泉も、眩しいスポットライトを浴びる場所を歩いているのだと。
 未来の自分を思う。仕事を除いた、プライベート──もっと言えば恋人と自分の関係性。一年後、三年後、五年後、十年後。己と彼女はなにを経てどういう道を辿っているのか。そこには、己の進路のような何らかの確信はなかった。一般的な流れを汲むなら、恋人との関係の行き着く先は結婚で夫婦だろうけれど、そもそも泉はまだ高校生だ。その手の単語はぴんとこない。目指すものがプライベートをひた隠しにしなくてはならないアイドルであることも、理由のひとつだろう。
 そんな、まともに考えたこともない未来のプライベートを頭に過ぎらせることになったのには、きっかけがあった。結論から言えば──ミョウジナマエの父親に呼び出された。もちろん、面識はない。
──父が、いずみさんを家に連れて来いと言うんです。いえ、断ってくれていいんですよ。寧ろ断りましょう、それがいい。はい断られた。いますぐ父にメールしますね。
──なにひとりで自己完結させてるわけ。ちょっと落ち着きなよ。携帯は一旦しまって。
 という会話を広げたのは一週間前の帰り道のことだ。非常に不本意そうに、彼女は自身の父親が泉に会いたがっていることを告げた。会わせたくない、とも。そもそも父にはいずみさんの話なんて一言も、とぶつくさ続ける彼女は父親が泉と会って何の話をしようとしているのか、その内容を聞いていないようだった。推測はつくような、つかないような。
 ミョウジナマエの家は普通じゃない。財閥傘下子会社の社長の家というのが社交界においてどの程度の地位なのか泉は把握していないが、一般家庭と違うことだけは確かである。周囲の御曹司たちを見ていてもそうだけれど、富裕層の価値観や常識は時折時代に則しておらず、古めかしさすら感じるときがあった。例えば家の古くからのしきたりに縛られてみたり、例えば婚約者という聞き慣れない言葉が出てきてみたり。家名と血とそこに付随する価値を守ることに人一倍敏感なように泉の目には映っている。つまり、所謂社長令嬢であるナマエの家も、例外ではないと考えるのが自然だった。高校生とは言え適当な付き合いをするなと釘を差されるのかもしれないし、彼女に相応しい男であるかどうかの品定めをされるのかもしれない。適当に付き合っているつもりはないが、進路もまだ未確定ないま、結婚なんて持ち出されてもなにひとつ確約はできず、品定めをされるのも気分が悪い。正直に言えば、会いたくない。と言うか、いまじゃないだろう。けれども、いずれ会うことになるのならここで断って心象を悪くするのは賢くない。それに、断ることで逃げたように受け取られるのも気に入らなかった。ので。
──いいよ、会ってあげても。週末はたまたま仕事も入ってないし。
 そう答えたら、恋人は正気を疑うような顔でスマートフォンを握りしめ、この世の終わりのような声で呻いた。そんなに会わせたくないのか。重苦しい空気を背負って、額に手を当てながら、彼女は厳かに唇を開いて。わかりましたと答える声もまた軽さはなかった。ひとつだけアドバイスさせてください、とその重たい調子を引きずったまま、言葉を継ぐ。
──いいですか。あのひとの相手をまともにしてはいけません。馬鹿を見ます。
──俺に会わせようとしてんのは本当にあんたの父親なんだよねぇ?
 それは一体どんなアドバイスなの。



 恋人の父親へのイメージは、なんだかとっちらかっていた。恐らく厳しいひとであることは彼女の話から想像に難くないのだが、そこに第三者の意見が加わると、急にまとまりが悪くなる。その第三者、とはクラスメイトである天祥院英智であるのだけれど。どこからか顔合わせの話を聞きつけた英智は、ある日の帰り際、泉に同情するような暖かな視線とともに「ミョウジさんちに挨拶に行くんだって? がんばってね」と似合わぬ激励を贈ってきた。率直に言って腹が立ったので、文句ついでに彼女の父親がどういう男なのか探りを入れてみると。曰く、状況から見て絶対にしないとわかっていることを気まぐれにするんじゃないかと思わせるひと。わけがわからない。
──瀬名くんに、あのひとと上手く付き合うコツを教えてあげよう。隙を見せず、隙になるような嘘や誤魔化しも多様しないこと。べつに気難しいひとじゃないよ。でも、油断していいひとでもない。僕にとってはね。
 ナマエのそれよりはまともなアドバイスのように思えるけれども、彼女とは視点が違いすぎてイメージがまとまってくれそうにない。まずナマエの語る父親は主観が強く出る上に、彼女は父親を嫌っているので、言葉の端々にそういうものがちらつきやすい。結果主義で、プロセスよりも圧倒的に結果で物事を判じ、勝利にこだわる──それは泉が知るミョウジナマエのスタンスで、彼女が強く自己嫌悪している部分で、そしてその価値観を根付かせたのは他でもない父親であるらしい。コンクールで優秀な成績を納め続けなければ、勝利し続けなければピアノの道を閉ざすと彼女に言ったのも父親だ。ナマエは自己嫌悪しながら、同族嫌悪を行っている。英智のミョウジ家の家長への評価は、そういった個人的な嫌悪は見て取れないけれど、決して穏やかで甘い人物ではないことを示している。気難しくなくとも、冷たいひとなのかもしれないと思った。
 どういう相手で、どう振る舞うべきか定まらないものの、泉は子どもの頃から仕事をこなしてきた経歴上、大人との付き合いは慣れているつもりだ。一筋縄ではいかない相手とも上手くやってきたし、今回もよほど下手を打たなければ無難に終わらせることができる自信があった。相手の泉に会う目的が不透明なことが気がかりではあるけれど。大丈夫、きっと、たぶん。なんとなしに落ち着かない平日を何度か通り過ぎて、泉は心からは望めない週末を迎えた。



 よく晴れた日曜日だった。夢ノ咲学院から少し歩いた先にある住宅街の一角に、ナマエの自宅があることを泉は知っている。ここへ来た回数は片手で数えられる程度。新婚の両親を気遣って普段の彼女はマンション住まいだからだ。泉が訪れる機会はそちらの方が断然多く、実家に関しては門の中にすら入ったこともない。つまり敷居をまたぐのは今日が初めてであった。
 時代錯誤ともとれる、クラシックな所謂西洋館といった見目をしたその家は、昔彼女の曾祖父が建てたものらしい。華やかな細工が施された鉄製の立派な門の両脇にはレンガ造りの門柱が構えていたし、更にその周りは鉄柵で囲まれていた。そこだけでも”普通”からかけ離れているのだけれど、門の向こう側──玄関までの距離や建物の大きさとかたちは、泉に非日常を見せつけた。黒いスレート屋根にレンガ積みの外壁、やたらと多い窓枠ひとつとってもやはり現代的ではない。怖くはないが、いつ見ても硬質で近寄り難い雰囲気が漂っている。
 かたちばかりの手土産を片手に、泉は威圧感すらある門の前に立つ。緊張はないけれども、面倒くさいことになる気配は拭えないので気が進むわけもなく。インターホンへと伸ばす腕は、どこか気怠げだ。一度だけ息を吸い込んで、吐き出して、そして。
「……?」
 黒いボタンを押し込もうとした直前に、少し先にある玄関ががちゃりと音を立てた。重たく見えたダークブラウンの木製の扉が軽々と開いて、細い人間が中から外へとゆっくりと出てくる。背格好は間違いなく男だろう。ストライプのワイシャツに、ボトムは細身のデニムだった。真冬の外出にしてはだいぶ寒々しい格好である。ついでに足元は黒い靴下にサンダルだ。彼の表情まではわからないものの、そのサンダルを履いた足は真っ直ぐ泉の元を目指してるようで。インターホンのボタンを押そうとしたポーズのまま、泉はその男をずっと食い入るように見つめた。もしかして、と思う。黒い前髪がやや長めなのと距離があるせいで目が見えず、顔ははっきりとはわからない。段々と、その距離が縮まっていく。泉より少し背が高い。近くで見ても細くて、誰かを思い出すくらい、姿勢は良い。緩やかな足取りで門までやって来た彼は解錠するなり、泉にとっては重たそうな門扉をやはり軽々と押し開いた。いまだにボタンに手をかけたままの泉を覗き込み、男が薄く口の端を上げる。やっとその顔を間近で確認して、黒い瞳と視線が交わり、最初に思ったことは──似ている。ひたすらにそれだけ。次に、思ったよりも若い。彼女に兄はいただろうかと、考えたくらいに。
「押すの、それ」
 軽い科白を紡ぐには、少々淡白さが強い声音だった。
「……あの」
「押さないの」
「べつに押さな……いや、押しませんけど。あなたが、開けてくれたので」
「押してもいいよ」
「結構です」
 なんだこのやりとり。手早く返しながら、ボタンからどうにか手を引き離す。にこりとわざとらしく微笑み直した彼に、品と同時に正面から胡散臭いものを感じた。
 同じものを、恋人から感じ取ったことがある。と言うか、ビジュアルも含めてこの男は泉の恋人に、ミョウジナマエに、どうも重なって仕方ない。中性的ではないけれど、ナマエを男にして歳を取らせたらこうなるのだろう、と自然に思わせるかたち。驚くほど均整のとれた目鼻立ちに、すらりとして肉付きは薄いが決して悪くないスタイルと伸びた背筋。すべて相俟って、非の打ち所のないうつくしさを体現している。嫌味なようで、彼の落ち着きすぎてやや温度の低い空気感がそう思わせない。切れ長の目が、前髪の間から泉をじっと見下ろし、細まる。人に緊張を植え付ける視線だ。恐らく、わざとだろう。ナマエよりももっと、微笑の奥の真意が読めない。感情の起伏がゆるく、あまりにも静かすぎる。
「きみが来るのが窓から見えたから。出迎えに来た」
「……はあ、ありがとうございます」
「どういたしまして。自己紹介は後にしよう。まずはいらっしゃい、瀬名泉さん。悪いね、わざわざ来てもらって。迷わなかった?」
 矢継ぎ早にそう言われて、なんと返すべきか逡巡した。とりあえず、訊ねられたことに答えることにする。
「いいえ。何度か来たことありますし、目立つ家ですから」
「たしかに目立つ。趣味が悪い家だろ。うん、おれもそう思う」
「言ってませんけど」
「建てたじいさんの趣味が悪いんだ。わかる? 気が合うね」
「なにも言ってませんけど」
 満足そうに頷くそのひとは、かなりひとの話を聞かない男だった。ひとりでに話が進んでいくのは、既に居心地が悪い。そうして泉が愛想笑いを作るのに苦労していると、いつの間にか再び開いていた玄関の扉から、もうひとり。見覚えのある黒いワンピース姿の少女が、こちらへ早足で向かいながら、らしくなく顔を険しくして、声を荒げた。
「いまおじいさまの悪口を言ったでしょう、お父さん!」
 男は背後から迫る彼女の姿を確認する素振りもなく、泉と目を合わせたままうんざりしたように息をつく。
「地獄耳だね、あいつ。しかも客の前で怒るのは頂けない。見かけより短気だから困るよ」
「……それは、わかります」
「わかる? 気が合うね」
 その笑い方はうっすらと意地悪で、やけに上品そうで、そこにまた恋人の面差しを見た。

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