音響スタッフが仕事を行う所謂PA席は、会場の後方に設置されることが多く、それは今日も例外ではなかった。夢ノ咲学院の現場は、だいたいいつも似たような配置で、わたしはここからの景色が、結構好きだ。
ライブ会場に足を運ぶ観客が耳にするアーティストの歌声や演奏は主にスピーカーから発するもので、そのスピーカーを介して提供されるアーティストの演奏を最高の音に仕上げるのが音響スタッフの仕事だと、専門学校へ入りたての頃に先生から説明を受けた。どの会場のどの場所にいても、誰もが等しいクオリティで音を楽しむことができるようにするのだと。わたしたちの商売道具のひとつであるPAミキサーは、フェーダーやツマミひとつで、どんな会場でも音の抜けや迫力に変化をもたらすことができる。魔法みたいな箱だよねと学校で教えてもらった内容とその感想を恋人のいずみくんにそのまま伝えたら、「馬鹿じゃないの」と鼻で笑われた。あんたに音の良し悪しなんかわかるわけ、とも。実際、そこには自分自身不安もあったけれど、今はこうして恋人の仕事現場にアルバイトではあれども音響スタッフとして参加できるようになったのだから、あの頃から成長したものだと思う。
夢ノ咲学院アイドル科はライブを行う会場の規模が大きくなると、音響スタッフを外注で頼む。まだ学生のわたしをアルバイトとして雇ってくれているのもその外注先の会社で、つまり図らずしもわたしは定期的に恋人の通う学校に派遣されていた。今日──クリスマスイブも、そうだ。スターライトフェスティバルという大きなイベントの前日である今日は、その仕込みとリハーサルを行う日だった。学内のアイドルユニットが大量に出演するこのイベント、リハも本番も転換時間もすべてスケジュールがタイトに組まれていて、しかも出演者はプロではない学生が大半なものだから、油断すると時間が押しやすく例年なかなかしんどい現場らしい。
そう聞いていても尚、スタフェスという仕事に対して感情がマイナスに振れることはなかった。だって、いつものライブよりいずみくんは特別気合いを入れている。はっきりとは言わないけれども、近頃のユニットや練習の話の端々から感じる熱量でそう直感した。彼が楽しみにしているものは、わたしも楽しみだ。
ここ一ヶ月くらい、いずみくんはわたしの下宿先のアパートに来る度に、一度はライブやユニットの話をする。一緒にクリスマスツリーの飾り付けをした一週間前も。
──クリスマス当日に家にいないのに、飾り付けする意味ある?
──意味はあるよ。こうして飾り付けするの楽しいし。昔も一緒にやったよね。一番上の星、手が届かなかったからいずみくんにつけてもらってたの覚えてる。
──あんたちっちゃかったからね。それはともかく、家族と住むお家に飾るのとはわけが違うでしょ。一人暮らしなのに、浮かれてツリーなんて買っちゃってさぁ。計画性無さすぎるんじゃない。
──確かに一人暮らしだけど、いつもいずみくんがいるからあんまりひとりじゃないよ。
そう言ったら、なんだか険しい顔をしていた。手に持っていた星を「ほら貸しな」と半ば強引にわたしから取り上げて、彼はツリーのてっぺんに大きく輝く星を突き刺す。150cmのツリーなんて、わたしの身長よりも小さいくらいなのに、彼はそのおいしい役を譲るつもりはないらしい。金色の星のオーナメントを見つめたまま、いずみくんは呆れだか疲れだか判別のつかない溜息をわざとらしく零した。
──イブは家族ぐるみでパーティ、当日はライブ。ほんっと俺たちのクリスマスってロマンの欠片もない。
──わたしたちにロマンとかあったっけ。いずみくんちのパパやママとのパーティも楽しいから好きだよ。ライブも、いずみくん今回やる気みたいだから、楽しみにしてる。十分素敵なクリスマスになるよ。
──楽しみって言っても、あんたは仕事で来るんでしょ。仕事だと俺だけ見てられないくせに。
──うん、まあ仕事だから。そもそもソロじゃないんだし、個人じゃなくて全体見るほうが楽しみ方としては正解じゃないの?
──……。
──ひぇ、なんでほっへはひっはるの?!
なんてやりとりを思い返して、緩みかけた口元を引き締めた。いずみくんは他の誰でもない、自分を見ていて欲しかったらしい。その答えに行き着くまでに時間がかかってしまった結果、わたしは散々両頬を引っ張られたし、彼はちょっとだけ不機嫌になった。かわいいなあと、彼の年下らしさを愛しく思ったものだ。
「一番下手の……鳴上くんから声ください」
先輩にあたるチーフエンジニアの声が、マイクを通して舞台の上に立つ演者──Knightsの元へ届けられる。大型のモニターや客席を横切る長い花道の設置されたステージは、本来前半戦を勝ち抜いたユニットだけが立てる場所とあって規模もお金のかかり方も普段とは違うことがありありと見て取れる。リハーサルのためたまたまこのステージを使っているだけだが、まるで最初からここは彼らのものであったかのように、この広い舞台で誰一人気後れすることはない。
彼らはエンジニアの指示に従って、順に自分の声を会場内に響かせた。その音のレベルをチェックして、ユニット内で音量バランスを取っていく。それが先輩の仕事で、今日のわたしの仕事は先輩の隣でモニター用のデジタルミキサーを使って、彼らが装着しているイヤフォンモニターに返されるオケや声の音量を調整することだった。希望通りのバランスで返してその設定を記憶させていくだけの作業は、そこまで高度な技術は求められないけれど、緊張がないわけでもない。
「要望はありませんか」
「瀬名です。モニターのオケをもう少し、上げてください」
特にいずみくんの、Knightsのときは。仕事とのときは、身内がどうとか、そういうことはもちろん関係ない。全員平等に接するし、公私混同はしない。けれども、わたしはいずみくんをよく知っている。彼がどういう気持ちでいつもライブに臨んで、自分をどう魅せて、どういうステージを観客に贈ろうとしているのか。勝手にその一部を背負ったような気持ちになる。彼らがステージで100%を出せるかどうかは、わたしたちの手にかかっているのだと。いずみくんが完璧なステージにすると言うのなら、もちろん、わたしは。
「────」
いずみくんの青い瞳と目が合ったような、頷かれたような、気がした。この距離だと肉眼では表情も確認できないし、同時にチェックを行っている大型モニターの映像に、今いずみくんは映っていないのに。
個々のサウンドチェックが終わると、全体でワンコーラス通しのチェックが始まった。本番同様に流れるイントロが観客のいない会場全体に響き渡る中、Knightsの面々もまた本番を想定して動く。
このスタフェスのために用意されたユニット衣装に身を包んで歌い始めるいずみくんは、家でわたしに小言を重ねているときのいずみくんとはもちろん違った。礼装と似たかたちの衣装をかっちり着こなしているのもさすがといったところ。なにより彼の目が、表情が、動きひとつひとつが目の前の観客のためだけに、彼らが求めるような優美さと気高さを体現して、気を抜けば見惚れてしまいそうになるほどに綺麗だった。広いステージをのびのびと使って歌とダンスを披露する彼らは、まるで観客が見えているかのように、リハーサルと言えども一切手を抜かない。わたしの恋人のダンスは、誰よりも正確で乱れがなく、遊びもなかった。指の先まで気を張った、優雅な動きが堂に入っている。昔見に行ったいずみくんのバレエの発表会を思い出したと言ったら、彼は怒るかもしれない。あぁ、でも、かっこいいな。アイドルの、瀬名泉としての彼は。
いずみくんは、わたしの恋人は、アイドルだ。ファンに夢を見せ、彼女たちの理想の姿で魅せる。そういう当たり前のことを、いつも仕事の度に再認識している気がする。アイドルのいずみくんは、従弟で恋人の彼よりもずっと遠いけど──この距離は、案外嫌いじゃない。
「あ、ネクタイ曲がってる」
ワンコーラス歌い終えたとき、大型モニターに映し出された彼のネクタイはちょっとだけ曲がっていた。マイクを使って指摘するのもなんだか気が引ける。すぐに誰か気付いてくれるといいけど。わたしのつい零れた呟きを隣にいた先輩はちゃっかり拾っていたようで、いつの間にか彼女はどことなく楽しげな視線を寄越してきていた。
「瀬名、彼氏のイヤモニだけにそのマイク返して教えてあげたら」
「先輩……それ公私混同ですよ。蹴られます」
「リハは終わったし、衣装の指摘と応援メッセージくらいは、聞かなかったことにしてあげる。クリスマスプレゼントね。普段やったら蹴ってるけど」
「こわい。えー、いずみくん怒りそうだけど……」
わたしは公私混同しないし、当然いずみくんだってするわけがない。プロ意識を常に高く持っているひとなので。けれども、今もこちらを急かすような眼差しを向けてくる先輩の折角のお膳立てを全力で断るのも申し訳ない。ううんと唸りながら手元でミキサーを操作して、先輩から受け取ったマイクの返しをいずみくんのイヤモニだけに設定する。フェーダーを上げて、浅く息を吸った。まあ、一言くらいならと。
「──いずみくん、ネクタイ曲がってる」
いずみくんが弾かれたように顔を上げたのが、この距離でもなんとなくわかった。他のメンバーを軽く見回して、再びわたしの方へと視線を戻す。わたしの声が聴こえているのが自分だけだと早々に察したらしい。何か言いたげにしている雰囲気があるけれども、彼がわたしに向かって口を開くことはない。わたしの声はいずみくんだけに聴こえるけど、いずみくんの声はわたし以外にも伝わってしまうシステムになっている。ネクタイの曲がりを直しつつも、彼は何かを促すようにわたしを見たまま。もう一言あるでしょ、応援とか、となぜか先輩からも促された。そんなこと言われても、応援って何を言えばいいのか。
「がんばってね」
「好きだよくらい言っといたら?」
「う……ええと。好きだよ」
これほんとにいいのかなあ。さすがにPA席からでは、いずみくんの反応は窺い知れない。ミキサーの設定を戻して、マイクは先輩にお返しした。すべてのチェックを済ませ、リハーサルを終えた5人が本番よろしくお願いしますと挨拶して、ステージの上手へ去っていく。去り際、メンバーの中で一番下手にいたいずみくんは彼らの後ろを歩きながら、もう一度PA席へと首を動かす。直後、カメラがいずみくんの顔を抜いた。
「────」
大型モニターに映るいずみくんと、今度は確かに目が合った。その表情があまりにも柔らかいものだから。"アイドルの瀬名泉"ではなく、"わたしの従弟で恋人のいずみくん"だったから──一瞬、心臓が止まるかと思うくらいに驚いてしまって、考える間もなく慌てて顔を隠すように下げていた。あれはお姫さまをエスコートする優美な騎士なんかじゃない。手のかかる恋人を想う、ただの青年だ。あのいずみくんを、完全にわたしに向けたあれを、映像照明音響全スタッフが見たという事実だけで、恥ずかしさが全身を巡って、ついでに温度を引き上げた。膝とにらめっこしたまま動けずにいたら、本来椅子にかかるはずのない衝撃が隣からやって来て、そこで少し頭が冷める。蹴らないんじゃなかったんですか。
「クリスマスプレゼントおしまい。瀬名、しごと」
「……はい」
大きく深呼吸をして、乱された仕事ペースを整える。乱されたのは、お互い様か。演者のいなくなった舞台を見据え、明日またここにKnightsが立てればいいと思った。この広いステージで輝く彼らを、ひとりでも多くのひとが目にできますように。彼らが最高のステージでクリスマスを彩る手伝いを、させてもらえますように。この場所から。
誰よりも近い位置にいる恋人を、たくさんの観客を間に挟んで誰よりも遠い場所から眺める。わたしはこの景色が、やっぱり好きだ。