雪が舞うにはまだ早い。吐く息は外気に触れても無色透明なまま。それを白く染めるには、気温の低下が足りていない。けれども、真夜中に薄着で出歩けるほど生温い空気でもなかった。冬と秋のちょうど間だ。11月の始まり、わたしの好きなひとが生まれた日は。
 日付が変わる少し前。スマートフォンだけを右手に握りしめて、そんな冷ややかな空気が満ちる外へ駆け出した。ちゃんと伝わるように、伝えたかったのだ。言葉と行動の両方で、示したかった。

 恋心は消耗品なのだと、自称恋愛経験豊富な友人は言う。その言葉にどきりとしたのは、心当たりがあったからだ。事実、わたしが遥か昔に抱いた従弟のいずみくんへの仄かな恋心は、一度その火を鎮めてしまっている。なにがあったわけでもなく、ただすり減らしていったのだと思う。ろうそくのロウが、溶けてなくなるように。
 その己の経験が、彼に同じことが起こらない保証はないと時折囁いた。考えるだけでぞっとする──自分は一人で鎮火させといて、勝手な話である。そんなの嫌だと思う時点で、少なくともわたしのそれが再点火してしまっていることは、明白だ。そろそろ認めてもいい。認めるべきだ。認めよう。だから。



 好きも嬉しいも、言葉にしないと伝わらない。そんなことはとっくに知っていたはずで、でもわたしの従弟兼恋人は案外わたしの気持ちを汲み取りわたしを理解するのが上手だったから、そのことを少しだけ記憶の隅に追いやった上で二人の時間を過ごしていた。
──わかってると思うけど、俺の誕生日は一日予定空けといて。
──うん、そんな予防線張らなくてもわかってるよ。ていうか、こういうのって暗黙の了解みたいなのがあるんだと思ってた。
──……わかってなさそうだから言ってるんでしょ。あんた基本疎いし、ちゃんと予定押さえとかないとねぇ?
──信用ないね……。
 そんな会話を約一ヶ月前に、した。いずみくんからわたしへの信用は、残念ながらたぶんないのだと思う。桜が舞い散り、泣き喚いていた蝉が落ちて、葉っぱが暖色に染まり始めても、尚。
 彼がわたしにもたらしたものは、わたしが彼に向けていたぼんやりとした親愛を確実に別のものへと塗り替えていった。少しずつ、時間をかけて。さりげない優しさに混じりけのない感謝で返していた頃にはもう戻れないところまできた。その優しさの理由を、わたしは知ってしまったからだ。いずみくんがわたしに真っ直ぐ捧げてくれるものを。正面から意識してしまったら、こそばゆいような気恥ずかしさが身体の中を行き来するようになった。そしてわたしがそれを顔に出す度にいずみくんは「なに照れてんの」と意地悪そうに、ちょっとだけ嬉しそうに、微笑むのだ。余計に照れる。笑われた。
 その手のやりとりは一度や二度じゃきかなくて、あんたは俺が好きだもんねえ、と笑ういずみくんにいつも、いずみくんがわたしを大好きなんでしょ、と返すのが精一杯だった。「そうだよ」と肯定してみたことも「好きだよ」と伝えたこともなかったけど、そういう会話に、心地よさを感じていた気がする。いずみくんはわたしを好きで、わたしはいずみくんを好きだった。言葉にはしなくても通じていて、それで良いのだと、思って。
──今年の誕生日は特に、あんたには絶対いてもらわなくちゃ困るし。
──困るの?
──ほらそういうとこ〜。一応付き合い始めてから最初の誕生日でしょ。今年くらいはちゃんと付き合ってもらわなきゃ。来年はどうなるかわかんないんだからさぁ?
 来年はどうなるかわからない──ごく自然に付け足されたそれに、嫌味っぽさはなかった。ただ寂しさに似たものを滲ませて、それが私の中で盛大に引っかかった。わたしは来年も再来年も10年先も、11月2日は空けておくつもりなのに。その引っかかりも言いたかったこともすべて飲み込んでしまったのは、癖で、甘えで、恐れだったのかもしれない。そうだねとだけ返した。苦笑するいずみくんは、やっぱりやや寂しそうに見えた。
──ナマエ。
──なに?
──……やっぱりなんでもない。
 思えば。わたしはいつも受動的だった。デートの提案だとか常日頃の連絡だとか、会いたいの一言だったりとか。自分からアクションを起こすことに抵抗があった。わたしから会いたいと伝えてしまったら今が壊れてしまうような、そこにあるのはやはり生温い怯えだ。気持ちの整理を理由付けにして、芽吹いた気持ちを認める作業を先延ばしにした。彼への恋心を一度失ったわたしをそれでも諦めないと宣言されたあの日から、確かに根付いたものがあるのに。お兄ちゃんで弟だったいずみくんは、かたちを変えてしまったのに、わたしはまだどこか妹で姉のままだ。そこに、しがみついていた。
 彼の中で来年の誕生日の予定があやふやな理由は、そういうものなのかもしれないとわたしは半ば思い込みで結論していた。見切りをつけられても、仕方ないのだとも思う。呆れられて、飽きられて、諦められてしまっても。
──俺はずっと、あんたを俺に付き合わせてるんだよねぇ。
 そしてその一言は、決定打だった。ため息混じりの、独り言に近い科白ではあったけれど。彼にこれを言わせてしまったということは、つまりそういうことなのだろうとわたしはやっと自身の置かれた状況と、自分が彼にしてきたことを理解した。自分の在り方と意識を変えようとせずただ浮かれていたのは、ごく普通に付き合っていると思っていたのは、わたしだけだ。彼はまだ、わたしを付き合わせていると捉えている。

 このままじゃ、わたしたちはだめだ。と、思うのは簡単だけれども、言葉にするのは容易ではなかった。いやでも恥ずかしいなどと言ってる場合じゃない。わたしはわたしが感じたことを、仕舞い込んでいたものを、いずみくんにちゃんと話す。あれこれ悩んだ末に、そう決めて。
 では、いつ? 明日? 明後日? 一週間後──考えている内に明日が過ぎて明後日が過ぎて一ヶ月が過ぎようとしていた。すっかり先延ばしにする癖が付いてしまった自分の性分が憎い。一ヶ月前のやりとりからこの彼の誕生日が来る30分前まで、わたしはずっと頭を悩ませ続けていた。
 まだ彼が自分を半年前と同じ温度を保って好きでいてくれているのかも思い返せば曖昧で、自信がない。わたしが今更自分の気持ちを伝えて、それでもし、という最悪のパターンはどうしたって過ぎる。恋心は消耗品、との友達の迷言が脳内でリフレインする。うるさい。べつに上手くないよ。
「じゅういちじはん……いずみくんの家まで、さんじゅっぷん」
 いずみくんの誕生日まで、あと少し。告白のような何かを先延ばして、なし崩しにここまできたけれど。もしかすると今しかないのではと、何気なく時計を見上げた途端に閃いた。物の少ないわたしの部屋で、主の次に一番大きな物音を立てるのはこの時計の振り子の音だけだ。部屋に時計がないことに腹を立てたいずみくんが、強引に押し付けていった壁掛けの振り子時計だった。ふくろうを模ったこれを指して、間抜け面があんたに似てて丁度いいでしょといずみくんは言った。時計を渡すためだけに、彼が連絡もなしに会いに来た日のこと。付き合う前の、話だ。あの時のわたしはバカだったので、誕生日でもないのにありがとういずみくんは優しい子だねと快く受け取った。とんだ間抜けである。

 誕生日というのは良い機会だ。きっかけがないと踏ん切りがつかないので、そういうことにしておきたい。しかしいずみくんは優柔不断なわたしの性格を知り尽くしており、デートとなるとプランから何から全部自分で準備してしまうので、明日もきっとそうなるだろう。タイミングが掴めず、ただいつも通り楽しく過ごして一日を終える未来が見えた。それじゃあ、だめだ。
 嫌だとだめだが交互に出てきては、わたしの気を逸らせた。いずみくんのわたしへの気持ちが、ろうそくのロウが溶けてみるみる小さくなっていくように失われてしまうんじゃないかと、怖くなった。今、ロウはどれくらい残っているんだろう。まだ、間に合うのだろうか。わたしが、それを恐れる権利はまだあるのかな。わからないけれど、どちらにしろ家で明日を待つことが正解だとは思えなかった。だから、スマートフォンを持って玄関を出た。一人暮らしのこの部屋で、わたしがこれからどこへ行こうと咎める者は誰もいない。心配性のたった一人を除いては。その心配性に、これから会いにゆく。



 歩き慣れた歩道の真夜中のすがたは、人をやや不安にさせる闇と静けさに彩られていた。住宅街に入れば、益々人の気配が消えた。しかし生憎わたしには不安になっている余裕なんてなくて、小走りで夜道を突っ切りながらスマートフォンの着信履歴からいずみくんの名前を探した。探すまでもなく彼の名前はずらっと着歴に並んでいた。こんなに電話してたっけ。
『ナマエ? どうしたの?』
 画面に並ぶいずみくんの名前をタップしてスマートフォンを耳にあててから1コール後、彼は訝しそうな声で電話に出た。早すぎる。美容のために早寝早起きを徹底している人なので、もしや寝てたかもと電話をかけてから思ったが、どうも寝起きの声じゃなく寝起きの人の電話に出るスピードでもない。
「もしもし、いずみくん! いずみくん今だいじょうぶ?!」
 わたしはというと、小走りによる心拍数の上昇と共にテンションも上昇していた。
『俺は大丈夫だけど……、あんたの方が大丈夫なわけ? 今どこ? まさかまだ外じゃないよねぇ?』
「うん、めちゃくちゃ外!」
『はぁ? 何時だと思ってんの?!』
 彼の怒りの要因は、電話をかけてきた時間の非常識さではなく、わたしがこの時間にまだ外にいること、らしい。足を動かす速さを緩めながら、大丈夫大丈夫、と半笑いで返すも、彼の機嫌は降下していく一方だ。
『ほんっと信じらんない。21時には家帰れっていつも言ってるじゃん!この不良娘!』
「いずみくんルールはいつも厳しすぎるよ。今どき21時じゃ高校生も生きてけないよ」
『あんたみたいなぼけっとした奴は、19時でも遅すぎるくらいだから。それで、今どこって?』
「や、迎えは結構です」
 もちろんわたしの目的地はいずみくんの家で、つまり出てきてもらうのは気が引ける。なんて、本人に言ったところで無駄だろう。このままでは、いずみくんのお説教を聞きながら彼の誕生日を迎えることになってしまう。
『そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。ほら怒らないから白状しな、どこにいるの?』
「もう怒ってるし……いや、そうじゃなくて。話が、あるんだけど」
『誤魔化さないでくれる?』
「誤魔化してない、ほんとに。聞いてほしいこと、あって」
 緊張で声が上擦りそうになりながらやっとそこまで伝えたら、いずみくんも何かを察してくれたようだった。言いたいことがまだまだありそうないずみくんが一歩引いて用意してくれた沈黙の中、わたしは腕時計を確認しながら、スマートフォンを握り直す。誕生日まで、いずみくんの家まで、もう間もなくだ。
「いずみくん、は、もしかすると……わたしに、飽きかけてるかもしれないけど」
『……は? なにそれ』
 見切り発車すぎたわたしの第一声に、応えるいずみくんの声は一段と低くなった。
「わたしは、全然いずみくんに優しくなかったと思うし、半年くらい付き合ってても、今でもいずみくんに鈍いって言われ続けてるし……信用、ないし」
『待って、ナマエは一体なんの話をしてるわけ』
「大事なはなし」
 足取りが、僅かに重くなる。それでも足は動きを止めることはなく、目的地に向かって進む。顔は合わせづらいけども、会いたくないわけじゃなかった。きちんと顔を見て、おめでとうを言いたい。会いたい。気まずさと好きなひとに会いたい欲求が綯い交ぜになって、どんな表情でいたらいいのか悩ましい。ああそこの角を曲がったら、もう。
「わがままを言うと。鈍くても、信用できなくても、いずみくんにはわたしを諦めないでほしかった。ほんとはずっと、嬉しかった。好きって言われるの。いつからかわかんないけど……、かっこいいって会う度に思ったし、俺のこと好きなんでしょって言われたら……うなずきたかった。つまり、わたし、いずみくんが」
 そこまで言いかけたとき、外灯が暗闇を薄める夜道の奥から、ばたばたと荒々しい足音が聞こえた。ランニングにしてはスマートじゃない気配だ。ぶつからないように、道の端に身体を寄せた。意識がそっちに持っていかれて、気付けば電話が放送事故になっている。いずみくん、と一度電話の向こう側に呼びかけた。
「ナマエ!」
 右耳と左耳、ステレオでいずみくんのわたしを呼ぶ声が、した。わたしが声がする方へと改めて顔を上げたのと、自分の腕が誰かに掴まれたのは、ほぼ同時だった。ひ、と情けない声が出る。
「──俺が、なに」
 目的地に辿り着く前に、ついに足を止めたわたしが見たものは。心配性が過ぎて、家を出て来てしまったわたしの恋人だ。
 注がれる外灯の光を、彼の銀色の柔らかい髪が浴びていた。無機質な昼光色はスポットライトには及ばない頼りなさで、けれどもかたちの良い顔はその光の中でも十分な華やかさを湛える。それでいてすらりとした細身の彼がそこに立つだけで、まるでそういう演出かのように、見えた。昼でも夜でもスポットライトでも蛍光灯でも。纏う光がどんなものであれ己の味方につけ霞むことのない存在感をもって、彼はわたしの前に立っている。あらゆる文句を飲み込んでわたしを一心に見つめる空色の瞳。そこに宿るのは、見覚えのある熱で、期待で、半年前に一度だけ見た、真剣さ。同じタイミングで、わたしといずみくんはスマートフォンをゆっくりと耳から遠ざけて通話を終えた。
「俺が、なんなの、ナマエ」
「なん、だっけ」
「言って。言葉に、して」
 わたしの腕を掴む手に、じわじわと力が籠もる。この手はきっと、わたしが彼の待つ答えを告げるまでわたしを離さないだろう。離されなくてもいい、けど。いずみくんの強ばる表情と動かない目を見つめて、わたしは笑って見せた。
 いつだったか、前にもわたしはこうして彼に言葉を求められた。好きとか愛してるとかそんなハードルの高いものじゃない。ただ一言かっこいいと、それだけで良かったのに。あの頃のわたしは、それを口にするのもかなりの時間を要した。そして、今は。腕時計に目を落とすと、ちょうど長針と短針が重なっていた。今は、今日は。ここにきて、緊張が解けてゆく。こうして顔を合わせたら、この気持ちが溶けて燃え尽きる日なんて一生来ないような気がした。もう後戻りはできない。失いたく、ない。
「わたしは──、いずみくんが好きだよ。お兄ちゃんでも弟でもなくて。一人の男のひととして、好きだよ。だから、今日が、すごく嬉しい。お誕生日、おめでとう」
 掴まれていた腕が今度は力いっぱい引っ張られて、気付けばその腕に身体が拘束されていた。最早痛いくらい、わたしの身体を折る勢いで、彼はわたしを抱きしめている。いや、まじで、いずみくん、ちょっと。
「痛い……」
「……俺は」
 わたしの耳元で、ぼそぼそと彼は口を開いた。
「ナマエは何か勘違いしてたけど、俺はナマエを諦める気なんて更々ない。つけた首輪を外す気もなかった。あんたが俺に抱く好意の種類がなんであろうが、ぼんやりでも俺に付き合ってくれるなら……そこに付け込んで、同じ墓まで連れて行くつもりだった」
「重い……」
 この従弟はたまにヘビーだ。結婚の要求は幾度となくされたけれど、同じ墓に入る予定を聞かされたのは初めてだった。
「でもそれ以上を望むのは、高望みだとも思ってた。ナマエは絶対俺が好きなのに、全然自覚しないし。あんたに俺以上に好きな男が出来るとも思えないけど、俺が弟の枠から外れるのも難易度高そうだったんだよねぇ」
「なにかをつっこみたいけどなにからつっこめばいいのか……」
「いまいいところなんだからさぁ、もうちょっと空気読んで発言してくれる?」
「ごめん……?」
 わたしも悪いのかもしれないが、過失割合的には6対4というところだと思う。6がわたし。腕の拘束力がやや弱くなり、いずみくんの顔がわたしの耳横からそっと距離をとる。真正面からこちらを見下ろしてくる隙のない整い方をしたうつくしい顔が、はにかむように緩まる。
「俺は、ちゃんともう一度、ナマエに好きになってもらえたんだ」
「……遅くなったけど。そう、なりました」
「ナマエにしては、上出来な誕生日プレゼントなんじゃない?」
「べつにそういうつもりじゃなかったんだけど……。喜んでくれたらなら、まあ」
 プレゼントは別に用意してあるものの、そこまで言われると逆に渡しづらい。機嫌良さそうににこりと更に笑みを深めるなり、いずみくんはおもむろに持ち上げた手で、わたしの頭を撫で付けた。
「お兄ちゃんが褒めてあげる。ちゃんと言えて偉かったねぇ」
「急にそっち?! 弟として見ることはやめたし、お兄ちゃんとしてはもっと見てないよ……わたしの方が年上だし……」
「ちなみに俺はあんたを年上だと思ったことなんて一度もないから〜」
「一度も?!」
 一度も、と楽しそうに反芻された。妹扱いしてくるくせして、そこには揺るがない恋情がずっと在るというのも変な話だ。弟認識で彼を男として見ていなかったわたしとは、たぶん価値観にかなりの差があるし、その差はどれだけ時間をかけても埋まらない気がしている。
 その後は、いずみくんがわたしを家まで送るついでに泊まっていくと言い出したので、一人で来た道を今度は二人で並んで戻ることになった。その道すがら、わたしの「いずみくんはわたしに飽きかけてるかもしれないけど」について問い質された。職務質問並みの厳しい態度で、嘘も誤魔化しも全部見抜いてやるという気合いを込めて追及された。この恋人は本当に容赦がない。
「いずみくんが、わたしに呆れて段々好きじゃなくなっていってるのかと思って。わたしも、前科あるから」
「前も言った通り、俺はあんたやあんたの元彼とは違うから。一緒にしないで。まあ罪の意識があるのは良いことだと思うよ。この先も許さないけどねぇ」
「えぇ……こころせま……あと定期的に元彼の話持ち出すのやめて」
「やだ。俺の心の狭さ舐めてると痛い目見るよぉ?」
 どんな脅しだ。
「あと来年の誕生日はどうなるかわかんないとか、いずみくんが言うから。それも気になっちゃって」
「来年……あぁそんなこと言ったかもね。あれはあんたが思ってるような意味じゃないから。また、色々決まったらちゃんと報告する。待ってて」
「うん……? うん、わかった、待ってる」
「いい子」
 薄く笑ったいずみくんのわたしよりも大きな手が、わたしの指を捕らえる。何度も手を繋いできたのに、なぜか今日は一際どきりとして、肩が揺れた。胸の奥がざわざわする、嫌いじゃない、そわそわとする方の緊張感。
 自分の方が長時間外にいたはずなのに、絡まった指先の温度には、大して違いがなかった。わたしの体温が高いのかもしれない。薄暗い場所で見ても彼の眼差しは涼しげで、穏やかに見つめられると、その。
「あんたは本当に俺が好きだよねぇ」
「えっ、いや……ちがう、はい!」
「焦りすぎ」
 指先がぎゅうと、圧迫される。柔らかく笑んでいても、彼の手がわたしの手を掴む力は強かった。まるで二度と離れる気がないかのように。
「俺から逃げられるなんて、思わないでよ。精々一生かけて、俺に愛されてて」
 火が、灯る。眩い熱に、胸の内を焦がされた。確かに燃え続けているのに、消える気配がない。会う度に、触れる度に、思い出す度に、消えるどころか熱は募っていくばかりだ。何度でも、何度でも。いずみくんも、同じなのだろうか。
 恋心は消耗品なのだと、自称恋愛経験豊富な友人は言った。わたしには心当たりと、後ろめたさがあった。ろうそくのロウのように、いずれ溶けて消えゆくものなのかもしれないと疑った。でも今は、消耗するものじゃなくて、すり減らしていのではなくて、積み重ねていくもののように思う。昔のわたしの恋心は、一時その積み重ねを止めていたのだと。わたしにとっては、そういうものだ。いずみくんにとっても、そうであればいい。
「……うん」
 まだ冷え切らないけれど、決して暖かくもない、迫る冬をそっと感じ始める秋の真夜中。わたしの好きな人は、わたしの隣で、新しい一年を始める。

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