「Merry Christmas! Knightsのライブへようこそ、お姫さま!」
 見渡す限り一面に広がるサイリウムの鮮やかな光を視界に収めながら瀬名泉が放った科白は、ヘッドセットマイクを通してメインスピーカーから広い会場の隅々まで届けられてゆく。一言一言、丁寧に紡いで”お姫さま”たちにまずは歓迎の意を示すと、場内の熱気が更に高まったのがわかった。
 彼らKnightsがこの舞台上で発する歌も言葉もすべて、ここに集まった観客たちへの贈り物だ。己は彼女たちに仕える忠実な騎士。この聖なる夜を麗しく彩り、クリスマスプレゼントとして最高の時間を贈ると決めている。一人たりとも、寂しい夜だったなんて言わせない。だってこれは、Knightsのライブなのだから。それは瀬名泉という一人の男と言うよりも──Knightsとして、アイドルとしての、矜持だった。



 すっかりKnightsの根拠地となっているスタジオはいつの間にかセナハウスなんて妙な名前で呼ぶ者もいるくらいで、ここに出入りする人間もまた当然と言うべきか、ほぼKnightsのメンバーだ。集まる目的はミーティングが主である一方で、私物の持ち込みを誰も本気で止めなかった結果、私物の散らばる室内の空気はわりと弛緩気味だし、最近持ち込まれた炬燵のせいでその傾向は顕著になっている。今日もクリスマスに行われるスターライトフェスティバルについての打ち合わせのために休日返上で集まったものの、そもそも集まりが悪い上にメンバーの半分は炬燵の魔力にやる気を脅かされている。のんびりとした光景に呆れつつも泉は泉で編み物という名の内職をしているので、人のことを言えた義理でもないのだけれども。
 ともかく彼もまた気が緩んでいたことは確かで、だから「たっだいま〜」と軽やかな声音がした方を何気なく見やったとき、泉は自身の目が捉えたものを認識するのに時間をかけた。なんで、ここに──周囲に遅れを取りながら状況を飲み込んだのと同時、ぎょっとして動揺ついでに編み針を持った手元が狂って危うく指を刺しかけたが、薄い肌を針の先が突き破る前に針をなんとか遠ざけて事なきを得る。もう少しで編みかけのマフラーに血痕を添えてしまうところだった。
「で、どうしてそいつがここにいるわけ?」
「拾っちゃった」
「……はぁ?」
 最後にスタジオに到着したKnightsのメンバーこと鳴上嵐は、厳しい目つきをした泉の詰問を涼しげに受け止めて、可愛らしく首を傾けた。その後ろで申し訳無さそうに眉を八の字にするのは、アイドル科に籍を置かない少女である。己が呼び付けることはごくたまにあれども、他の誰かが連れて来ることなんてまずありえないはずのそのひとは、一歩前に出るなり「すぐそこで嵐さんに会いまして」と控えめにこの事態に至った発端を述べた。会ったから、なんなの。
「泉ちゃん、ちょっと喜びすぎじゃない? きれいなお顔が険しくなってるわよ」
「見てわかるでしょ、呆れてるんだけど!」
「セナ、勝手に嫁を連れ込んじゃだめだろ〜」
「連れ込んでんのはなるくんだから! あんた人の話聞いてた?! ずっと見てたよねぇ!」
「どうでもいいけど嫁にはつっこまないんだねぇ」
 すっかり炬燵の虜になっただらしない姿勢のままで、レオがからからと笑った。その向かいでレオと同じく炬燵に温もりを受ける凛月の笑い方は、泉の目には意地悪く映る。マフラーを首から解きながら楽しげに話す嵐の隣で、泉の恋人であるナマエもまた笑んでいた。
 手に書類を持っているところ見ると、私用ではなく大方音楽科の絡んだ用事で出向してきたのだろう。正式な客である証明の、来校許可証が制服の胸元でぶら下がっていた。メンバーと慣れた調子で適当に会話を繋ぐ彼女を眺めながら、なんでそこでついてきちゃうわけ、なんで笑ってんの、ばかじゃないの、なんて性懲りもなく心中だけで文句を連ねる。行き場を失った苛々とどうにか折り合いをつけ、泉は努めて冷静ぶって口を開いた。
「なるくん、そいつは元あった場所に帰して来て」
「わたしは拾われた猫ですか」
「あら、アタシが帰して来ちゃっていいのかしら? こういうのは専任の騎士のお仕事でしょ?」
 そんなのべつにいいから、と即答できなかった時点で色々と詰んでいる。益々面白そうに口の端を上げる嵐を視線だけでたしなめて、泉は黙って自省した。
「もう帰すの? 折角来たんだからナマエも炬燵入っていったらいいじゃん。今ならまだ空きがあるし。お茶とお茶菓子も用意するよ。スーちゃんが」
「ご自分では用意されないのですね……。いえ、ナマエは客人なので構わないのですけど。家の応接間と比べると格段に狭苦しい場所だとは思いますが、どうぞ寛いでいってください。ナマエは緑茶より紅茶が好きでしたね。Cookieもありますよ」
「どいつもこいつも……」
「司さまにお茶の用意なんてさせられませんので、どうかお構いなく」
「あんたもあんたで遠慮の仕方がずれてるから!」
 こじれた上下関係に文句をつけて、編みかけのマフラーをさりげなく畳んで椅子に置いて、浮ついた全員を一睨みして。最後に両腕を組んだ泉は、ふんと鼻を鳴らしながら眉をつり上げる。泉以外のメンバーは予期しない来客にも歓迎ムードだが、ここで自分が一緒になっては収拾がつかないと弁えていた。
「だいたい、部外者もてなしてる場合じゃないでしょ、なるくんも来たんだしいい加減ミーティングするよ。なるくんは早く着替えてきな」
「泉ちゃんったら、せっかく顔見せに来てくれたのに」
 部外者、と焦りと勢いでつい突き放すような言い方をしてしまったことに言い終えてからはっとしたが、当のナマエは取り立てて思うところがなかったのかその表情に変化はない。そもそもが泉と違って感情がすぐに顔に表れる方ではないのでその心内は知れないけれど、特に口を挟まないといういうことはそういうことなのだろうと良いように解釈する。
「え〜、セッちゃんなんかさっきまでゆうくんにあげるマフラー編んでたくせに〜」
 そうして安堵したのも束の間。炬燵と同化しつつある凛月が先程泉が片付けたマフラーに目をつけたようで、いらない情報を投下してくれたせいでまた状況が変わってしまった。この馬鹿。
「都合が悪くなったからって自分だけ早々と切り替えちゃうのはずるいよねぇ。ていうかその辺どうなの、ナマエは。彼氏が他の男へのプレゼントを手作りしてるって図についてコメントはないの」
「マフラー?」
 声を荒げれば動揺を気取らせてしまうので、泉にできたことと言えば、凛月に鋭い眼差しを投げることくらいだ。凛月がひょいと指差した先を追うように、ナマエの緑色の瞳が動く。あぁ、捕捉された。
「なるほど。あれは遊木くんへのプレゼントなんですね」
 納得したように呟くナマエと、そうそうと頷く凛月と。なんとなしに後ろめたい気持ちになった泉は、けれども自身の行いに反省はないと思い直す。このマフラーを贈る相手、遊木真は大事なライブを控えているところで、今の自分にできる精一杯で彼を激励したいと思ったのだ。なんらおかしいところはないのに、自分でも名状し難いしこりが残るのは、何なのだろう。ついでのつもりで編んでいたものの一部を後程Knightsのメンバーとナマエに渡そうとしていたのに、おかげさまで後者には渡しづらくなった。
 もしかしたら。彼女は自分に贈られることのない贈り物を見て、何かを感じるのかもしれないとそう思いながら。そろそろと下がりかけていた顎を上げるとわざとらしく深刻そうに嘆息するナマエと目が合って。
「ううん、やられましたね。プレゼントに編み物という発想がなくて。なんというか、わたしも見習ったほうがいいんでしょうか。どう思います、瀬名先輩?」
 そんな心配は杞憂であったことを思い知った。
「……俺に聞かないでくれる」
「それもそうでした。では今度編み物、教えてくださいね。わたしも好きなひとのためになにか作ってみたいので」
 こういう卒のないところは、泉が思う彼女の好きなところであり生意気なところでもある。ふうんと凛月が愉快そうにしているのは視界から追いやっておいた。周りに人がいる中での彼女との接し方は、二人きりのときとは違って難しい。
挨拶に来ただけなのでわたしはそろそろ、と満足したのか彼女はいつのまにか退散の姿勢に入っていた。なんと声をかけるか考えていた泉より先に、トーンの高い声が彼女を引き止める。橙色をした尻尾がぴょこんと跳ねた。
「なんだ、炬燵の魔力を浴びずに帰っちゃうのか? おまえこういうのと無縁そうだけど、この心地よさは一度知っとかないと損だぞ〜。炬燵の前では人間みな平等、信じるものはあったまる。あ〜奪われた体温が戻ってくる〜」
「Reader、ナマエを堕落の道に引き込もうとするのはやめてください」
「魔力と言うより麻薬ですね。わたしが口を出す範囲ではありませんけど、司さまの苦労が偲ばれます」
 不意に、彼女の返す科白の温度が下がった。それに気付いているのかいないのか、レオの調子は揺らがない。
「若者のくせに好奇心に欠いててつまらん。おまえは真面目っていうか、かちこちに頭固いから、この熱で溶かしてほぐしたら丁度良い柔らかさになりそうだ。花を育てるなら土は柔らかい方がいいに決まってるし、オジギソウみたいなピアノが薔薇とかに生まれ変われるかもしれないだろ」
「ご高説どうも。残念ですが、オジギソウは薔薇にはなりません。あとオジギソウも花は咲くので」
「そういうとこが固いんだよ。セナの家のフライパンより固い!」
「月永先輩は瀬名先輩の家のフライパンの固さを本当にご存知なんですか?」
「おまえらひとんちのフライパン引き合いに出して何がしたいわけ」
 どっちもうちの台所に立ったことなんてないでしょ。
「王さまとナマエって地味に相性悪いよね。ナマエにそんな顔させるの、王さまかうちの兄者くらいのもんじゃない?」
「……そうですか?」
 愛想が良く概ね人付き合いに苦労しないこの恋人がたまに冷ややかな空気を発する相手は凛月の言う通り、かなり限定されていた。対月永レオに関して言うなら、きっかけは恐らくナマエによるKnightsの楽曲のピアノアレンジが、泉経由でレオの耳に届いたことだろう。きっぱりと「へたくそ」と評されたことが彼女のプライドを甚く傷つけたらしい。自他ともに認める事実なのでフォローのしようもないが、この二人の間に溝を作った原因は他でもない泉で、その点についてはちょっとだけ悪いと思っている。
「ともあれ、炬燵にはお邪魔しませんが、そもそもわたしがそれを知らないというのはひどい偏見ですよ。炬燵くらいわたしだって経験してます。懐かしとすら思います」
「ミョウジの家に、炬燵なんてありましたか? 見かけた記憶はありませんが……マンションの方でしょうか」
「いえ……どちらの家でも、見たことはありませんね」
 首を捻る司にそう返答するナマエはやけに穏やかで、見たことない、の先が続けられることはなかった。泉はそんな彼女に、どことなく流せない違和感を見て取る。それはきっと、彼だけが感じ取ったものだ。現に、他の誰も気にかける様子はない。でもあの短いやりとりの裏にナマエに変化を与えたなにかが、存在している。そしてああいうなにかは、こちらから問いかけないと彼女の方から明かされることはない。スムーズに挨拶を済ませて廊下へと引き返すナマエをぼんやりと見送りかけたとき、後ろから肩をぽんと叩かれた。手の主の諭そうとするような優しげな目が、煩わしい。
「あっちの校舎まで送ってあげなさいよ、泉ちゃん」
「……うるさいなぁ、わかってるってば。俺が出てる間に、なるくんは着替えててよ」
 考え事をしていて思考が鈍ったが、言われなくとも、元よりそのつもりだった。近頃はライブが立て込んだこともあり顔を見て話す時間は格段に減っているのは明白で、こういう機会は逃したくない。それに、直接訊かなければならないこともできた。
 後輩に後押しされ、同級生には早く戻れよと釘を差されながら、泉は廊下へ出たばかりのナマエの後を追った。夢ノ咲学院は私立ということもあり校舎内は冷暖房完備だが、休日はその限りではないようで、廊下に出るとひんやりした空気が容赦なく全身に寄り添う。泉の着用している練習着はTシャツに薄手のパーカーと、冬の校舎を歩くには少々頼りない装備なので尚更だ。とは言え、もちろん上着を取りに戻る余裕はなく、彼はそのまま小走りに廊下を進んで、すぐに目的の背中を見つけた。休日の廊下には、幸いなことに人の気配が全くなかった。
「ナマエ!」
 名前を呼んで間もなく、背筋の伸びた後ろ姿が歩みを止めた。背中の真ん中辺りまで長さのある黒髪が、彼女の動きに伴って左右に振れる。ゆるりと振り返ってこちらを向いた両の目が、泉を映して瞬いた。
「先輩? どうされたんです、追い出されでもしましたか」
「……そんなとこ」
「すみません、この手間はわたしがスタジオに行ってしまったからですね」
 事情を察したように続ける彼女は一人で勝手に話を完結させていた。大方ナマエを音楽科の校舎まで送るように他のメンバーにせっつかれてここへ来たのだと彼女は思い込んでいるが、これは泉の意思である。それを告げるより、やや悔いるようなナマエの独り言が薄い唇から紡がれる方が先だった。欲が出ちゃったから、と。
「なんの話?」
「わたしがスタジオへ行った理由です。先輩、最近忙しそうでなかなか会えなかったでしょう。そういう話をしたら、嵐さんが気を遣ってくださったんです。その気遣いについ甘えました。だから、あんまり怒らないであげてくださいね」
 ナマエをスタジオに連れて来たことも、泉をスタジオから追い出したことも。含みはその辺りだろう。最初から自分に会いに来たことを泉はここでやっと悟り、周りのからかうような言動に惑わされてひとり苛立ちを積み重ねていた自身をこっそり恥じた。今更苛立ちの言い訳をするのも照れ臭いし、格好良いとは言い難い。笑うことも怒ることもできず、なんとなしに顔がむすっとした。
「べつに怒ってたわけじゃないから。あんたとなるくんが来る前からみんなだらけきってたから早く仕切り直してやろうとしただけ。ここへ来たのも、追い出されたって言うより訊いときたいことがあったからだし」
「聞きたいこと?」
「…………こたつ」
「炬燵?」
 どう切り出せばいいのか、よく熟考する時間なんてなかった。唐突に出てきた単語に、ナマエがまたぱちりと瞬きをする。
「あんた炬燵を知ってるって言ったよね。組み合わせとしては不釣り合いぽいし、正直似合ってない。どこで見たのかと思って」
「ひどい言われようですね。そんなことが気になるんですか?」
 困ったような苦笑を湛えるナマエに、見切り発車だった泉は言葉につっかえた。泉がそれを訊かなければと思ったのは、単なる恋人としての直感だ。そこに具体的な理由なんて付け足せない。なんの証拠も提示できないので、彼女からの自白がなければここで終いだった。答えを持つナマエは、彼の反応を窺うようにじっと見上げていたかと思うと、やがて観念したように小さな息をつく。
「母と暮らしていたときですよ。そのときの家には、炬燵が置いてありました」
「やっぱり、そんなことだろうと思った」
「勘がいいですね、いずみさんは。敵いません」
「当然でしょ。俺を誰だと思ってんの?」
「わたしのことが大好きな恋人」
「ちょう図々しくてちょううざぁい……」
 ナマエの名字がミョウジに変わる前、亡き母親と二人きりで暮らしていたその時期の話を、泉は触りだけ聞いたことがある。彼女はあまりその周辺を語りたがらない。十年前ともなると記憶があやふやなことも理由のひとつだが、一番は故人の話が気を遣わせると心得ているからだろう。泉の両親は健在だ。そこに生まれるのは共感ではなく同情だとナマエは思い込んでいる。泉は同情心からではなく、彼女が話したいことならなんだって話して欲しいと思うのに。ただ彼女が何も背負わず大好きな母親と一緒に過ごした幸せだった時間を、もっと語って聞かせて欲しい。思い出を共有しても構わないことを知っていて欲しくとも、上手く伝わった試しはなかった。彼の”欲しい”を、彼女は”優しさ”としか受け取らない。
「……あたたかかった?」
「ええ、とても」
 そのぎこちない問いかけに返ってきた曖昧な微笑には、遠い日を懐かしむような色が滲んでいた。
「昔、冬は寒いけど温かいから好きでした。外は寒ければ寒いほどいい。その方が、家の中の温もりが益々心強くて安心できたから。なんて」
 二人きりでも、家が狭くても、テーブルにごちそうが用意されなくても、彼女にとっては尊い時間で、記憶が薄れても身を浸した幸福の一時は、彼女の中に残り続けているはずだ。普段はそれを大事に大事に鍵をかけて宝箱にしまい込み、その鍵は失くしてしまったかのように振る舞うけれど。本当は、失くすはずがない。けれども誰かが促してやらねば、使われることなく古ぼけていくだけの、鍵だ。
「それで、今は嫌いになっちゃったの?」
「嫌いではありませんが、正直ちょっと面倒でつまらない行事が多いので好きでもないですね。クリスマスを筆頭に、毎年人に囲まれてはいますが実質ひとりですし」
 寂しそうと言うよりも呆れ気味に話す彼女の口調はいつもと変わらずあくまで軽かった。界隈のパーティや親戚の集まりでは、人に囲まれていても誰かと一緒にいる感覚ではないのだろう。彼女の無意識に見せた自嘲の影をねじ伏せたような苦笑いが、うっすらと泉の癪に障った。
「クリスマスも、前の家のときはそこそこ楽しんでた気がしますけど……でもまあどれもこれもきっと、半分くらいは思い出補正なんでしょうね。昔はよかった。みんなそう言うものですよ」
「……あのさぁ、あんたが率先して補正扱いにしてどうすんの。自分で自分誤魔化してんのが丸わかり。俺の前でそういうこと、しないで。無駄だから」
 昔は良かった、昔のあのときは、あのこは──そんな過去の振り返り方をした心当たりが、泉にもあるけれど。確かに補正がかかっているのかもしれず、でもその記憶のうつくしさを端から否定するべきではないし、したくない。今この時を否定しないためだとしても、目をそらすのはあまりにも悲しいと思うから。決して前向きではない、諦観なんて。
 凍りついたようにナマエの顔から柔らかさが消え、浅い緊張が替わって表に出る。冷気の満ちた廊下の空気に、きりりと張り詰めたような緊張感が混じって、居心地の悪さが増した。少し目線を下げた先には、書類を持つだけの動作に余分な力をこめる彼女の両手がある。
「思い出は美しいものだけど、思い出ならなんでも美しいってもんでもない。事実昔はよかったんでしょ、ならそれでいいじゃん。過去に足を引かれて前に進めてないわけじゃないんだから、たまに昔をよく語ったって、誰も怒らないよ」
「……すみません、気を遣わせて」
「だからそうじゃないったら。俺はべつに嫌々聞いてるんじゃないし、昔のことも話したいなら好きなだけ話せばってこと!」
 思うように伝わらない歯がゆさに、うっかり語気が強まった。ここ一番での言葉の選びが下手くそで、嫌になる。自己嫌悪でうんざりしながら灰色の髪を掻き上げ、すいと窓の向こうを一瞥した。重たそうな厚みを伴う雲が、徐々に近寄ってきているようだった。あの雲はきっと、雨を携えている。あるいは、このまま気温が下がり続ければ、雪を降らすのかもしれない。多少寒くなっても、雪だといい。その方が、なぜか温かい気がするから。
「ほんとうに敵わないなぁ……」
 ぽつりと零したナマエは、やはり自嘲を拭いきれないようだった。
「──ありがとう、ございます」
 礼が欲しいわけじゃない。これは優しさでもない。どちらかと言えば、わがままの類だ。
 この気持ちの何割が彼女に正確に届いているかなんて、この世の誰も知る術はない。十割にならないことだけは、泉にもわかる。自分の考えを余すことなく伝えることはできず、相手もそれをすべて理解することは残念ながらないことも。身体を隔てた他人なのだから、もどしかしいけれど当たり前だ。だから、次に真っ直ぐ泉の目を捉えたナマエの礼を言う声に後ろ向きな響きがなかったことに、今はそれだけで十分だと思うことにする。彼女の口元が緩やかな半円を描き、嬉しそうに細まった目が一瞬だけ泣きそうに見えたのは、気付かないふりをしてあげた。
「お礼を言われるようなことなんてしてないけど? あんたはいらないときだけ図々しくて肝心なときに謙虚ぶるけど、面倒くさいからどっちかにしてくれない。つうかどうせならずっと図々しくしてなよねぇ。その方が”らしい”でしょ、お嬢さま?」
「意地悪ないずみさん。わたしは日々謙虚に生きてるつもりなんですけど」
「そういうところだからね」
 二人の間に弛緩した空気が流れ始めたことに、内心少しだけ安堵する。そうして軽口を続けながら、彼女のこれまでとこれからを、頭の中でゆるゆると巡らせた。知らぬことの多い”これまで”と、共に歩める”これから”だ。どちらも愛おしいものだと、思った。そして、”これまで”の中に憂う時間があったのなら、そんな記憶は”これから”で塗り替えると自分の中だけで約束して。
「そういえば、クリスマスは”スタフェス”、見に来るんでしょ?」
「はい、そのつもりです。何事も無ければ、最後までいられると思います」
「そこは何事もないようにしといてよ。今年のクリスマスは、一緒にはいてあげられないけどさ。でも、ひとりだったなんて……つまらなかったなんて、言わせないから」
 Knightsのライブに来るからには。スタフェスことスターライトフェスティバルは所謂S1と呼ばれるドリフェスで、つまりKnightsだけのステージではない。前半の対決形式のライブで勝てなければ、後半に大きな舞台に立つことすら危ういのだけれども、泉は負ける気なんてこれっぽっちもなかった。他のメンバーにしても同じだろう。自信を持ってKnightsのライブを見に来てと言えるのは、そういう理由だ。
「クリスマスは最高だったって、言わせてあげる」
 そこにあるのはKnightsとしての、アイドルとしての矜持だった。瀬名泉個人としては、また次の機会に。
「だから、ちゃんと見てて」
 来年も再来年もその先も、ずっとずっと、ひとりにはさせない。いつか、母親と二人で過ごしたクリスマスの温かさとは違うかもしれないけれど。遠い未来に、つい語りたくなるようなクリスマスを、贈るから。



 ステージを飾る電飾や、そこに立つ五人を照らす照明は、青が基調となっていた。ユニットのイメージカラーなのだろうが、泉の好きな色でもあるので、気分がいい。青は好きだ。空の色で、海の色。自分によく似合う色だ。ついでに、自分の好きなひとにも。二人揃って寒色の方が映えるらしい。ステージ上を移動する度に裾がひらりと舞うフォーマルなモーニングコートも、泉に分配された色はネイビーだ。
 星の数ほどいる自分たちを見に来てくれた観客たちに素直な感謝を抱きながら、舞台の幕開けを見守った。こちらを輝かせる照明がしっかり仕事をしているおかげで観客ひとりひとりの顔はきちんとは見えないけれど、観客たちの持つサイリウムは彼らが確かにそこにいて、自分たちを待っていてくれたことを示す明かりを灯してくれる。開始まではあれだけ無駄口を叩いていたメンバーも、幕が開けば抜かりなく観客を盛り立てた。”Merry Christmas”は、今日は絶対に外せない挨拶だ。泉のMCの一言目ももちろんそこから始まったし、その一言だけで容易く会場が沸く。自分の歌や言動ひとつで誰かを幸せにできるというのは、いつまで経ってもどこか不思議な心地だった。
「今日はホワイトクリスマスになるんだっけ。ロマンチックだけど、外はちょっと寒いよねぇ。でもそんなこと忘れちゃうくらい、俺たちがあっためてあげるから安心して。きっとすぐに温かくなるよ。お姫さまを凍えさせるなんて、騎士の名折れでしょ?」
 一曲目を歌い終え、次の曲の前奏をBGMに、泉は再びマイクに声をのせた。”誰か”ではなく、この広い会場に集まった誰もに向けて。
「貴女のために最高の一夜を用意してきたから、ちゃんと受け取ってねぇ!」
 誰にも、ひとりの夜だったなんて思わせない。寂しいとかつまらないなんて過ぎらせる暇は一秒だって与えない。この場の全員笑顔にできないなら、騎士を、アイドルを名乗る資格はないとすら思う。あらゆる背景、どんな事情を抱えていようとも、そんなことは関係ないだろう。ここへ来たからには、この日この時を、必ず最高のものとして彼らの中に刻み込んで見せる。Knightsのパフォーマンスがお姫さまに贈るのは、夢と幸福であるべきだ。最高の夢を捧げる、理想通りの誇り高い騎士で、在りたい。誓いを込めた歌声は、聖夜のステージを宣言通り麗しく、そして華々しく、彩った。

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