この場を一言で表すなら混沌と。そう表するほかなかったが、朔間零にはこれを愉快だと受け取れるだけのゆとりと気楽さがあった。
 年下の同級生にあたる蓮巳敬人の思惑通りに動いてやっているふりをして赴いた地下ライブハウスを占めていたのは、ステージ上で奏でられる音楽ではなくホールに吹き溜まる喧騒だ。ホール内にまばらに設置されたハイテーブルの上には色とりどりの液体が注がれたグラスが窮屈そうに並び、封の開いたスナック菓子が積まれていた。その周辺に群がる制服姿の青年たちは各々食べたいときに食べ、飲みたいときに飲み、時折舞台に向かって野次を飛ばす。そこだけ切り取ると自宅に友人を呼んでパーティーを開くのとそう変わらない光景だった。客電は落ちているが、舞台上から吊るされた照明だけでも十分に悪い意味で自由を許された会場全体の空気は窺えた。ここに集う夢ノ咲学院で不良に類される者たちは、本来音楽を楽しむ場所に、噂に違わない淀んだ雰囲気を持ち込んでいる。
 ステージには、たったのひとりだけ。同じく夢ノ咲学院の制服を着用した青年が立っていた。真に彼の歌が客席の人間に響くことは恐らくないだろうに。それでも打ち込み音源と彼の歌声が混ざり合った音は、スピーカーから吐き出され続けた。彼をより良く演出するはずの照明は曲といまひとつ噛み合わない動きを繰り返し、結果ステージの質を下げているのがまた痛ましさを呼んだ。何もかも調和の取れない、ひどいライブがあったものだと零は息をつく。プリセットにしろもうちょっとあるだろ、と照明やPAの卓が並ぶブースを振り返れば──ブース内には零の見知った顔があった。一目で、確信が落ちた。人違いとは疑わなかった。出来すぎた造形美を大したものではないように扱うその青年は、昔からどこにいても目立つのだ。ヘッドフォンで耳を覆いながらつまらなさそうに舞台を見つめる彼の瞳が一瞬だけ零の存在を認めながらも、何も気付かなかったかのように舞台へと戻っていくのがこの暗がりの中でもはっきりと見えて。
「いや逸らすなよ」
 急にどうしたんだ、と隣の敬人が深刻そうに訊ねてきた。



 同級生の一人舞台だったところへ敬人を引き連れて乱入したとき。自分を追いかけ続ける後輩に、この舞台の代理を頼んだとき。度々PAブースに視線を投げれば、今度はしっかりと目が合った。遠目でも表情が動いていないのはなんとなしにわかる。そういう奴なのだ。目の前まで出向いてやらなければ、あのきれいなかたちをした眉は動かせない。
 舞台袖にいた箱のスタッフが大神晃牙のためにギターアンプを引っ張ってくるのを横目に、隅の階段からステージを降りた。敬人が好き勝手に動くなと窘めてくるのを、軽くいなして。地下ライブハウスの元締めにちょっとしたお願い事をして。やるべきことを終えた零がそろそろ可愛くない後輩を可愛がりに行こうかと考えていたところで、元締めこと羽風薫から「うちのブッカーを紹介するから」と提案があった。結果。
「こっちが音響とブッキングと俺の秘書を担当してくれてるミョウジナマエくん。このひとは朔間零さん……は、さすがのナマエくんでも知ってる? 有名人だし」
「知らない」
「おい」
 学校ではたまに見かけたが声をかけることはなく、こうして顔を突き合わせて話すのは一年ぶりかもしれない。首にかけたヘッドフォンを左手の人差し指でなぞりながらブースから出てきた薄情な元後輩は、尊敬すべき先輩を知らないと言い切ってくれているけれども。一応まだステージ上での演奏は続いているからかナマエはそちらにも気を割いているようだが、零の見立てだとこれはそういうふりをしているだけだ。音源とボーカルにギターが一本追加されたが、カラオケ大会に近いこの環境で音響を気にする人間なんていない。少々ハウリングが起こったところで誰かが気に留めるかどうかも怪しいだろう。要は、零との会話を早く切り上げたいということだ。予想と寸分違わず、零と正面から向かい合ったそのときからナマエの形容すべき感情のなかった表情に面倒くささが滲み始めている。相変わらず顔だけは一級に整っているのに、先輩に向ける愛嬌のひとつも持ち合わせがないらしい。
「ていうか、ボスの秘書ってなに」
「ナマエくん、ボスって呼ぶの全然やめてくれないからね〜。あとなんでもするって言ったでしょ? 男の秘書なんてげろげろって感じだけどさ、まあ便利だし丁度いい役職じゃん」
「…………」
「なにおまえ羽風くんに飼い馴らされてんの? パシリ?」
「違います。零さんも似たようなもんでしょ、いま」
「ん? 朔間さんとナマエくんって知り合い?」
 薫が首をかしげながら零とナマエを交互に見やると、その動きに合わせて彼のひとつに纏めた金糸が揺れた。薄茶の目で零を見据えるナマエは黙ったまま口を開こうとする素振りもなく、説明をこちらに一任する姿勢にいっそ感心すら覚えそうだった。
「ナマエはドラムやってただろ。昔、俺のライブのバックバンドで雇ったことがあるんだよ。若いのに腕があるって紹介してもらって。確か東名阪くらいは付き合ってもらったよな。色々と面倒見てやったのに、知らないふりされちまうなんて最近の若者って薄情だなぁ。親の思うほど子は思わぬとも言うけどさ。そんな寂しい子に育てた覚えはねえぞ〜」
「育てられてないんで」
「はは、気遣いのきの字もねーな。あぁ、べつにもう敬語は使わなくていいぜ、いまは同級生だろ?」
「同級生でも。零さんなんで」
 それはどう受け止めるべき言葉なのか。昔日と変わらぬ瞳の鈍い輝きは、今日も真っ直ぐだ。零はどうやって解釈するか逡巡したのち、眼前の黒髪に指を差し入れてぐしゃりとそこをかき回した。重力に素直な直毛をあらゆる方向に混ぜっ返せば、不満そうなうめき声が上昇してきた。
「うん、そういうとこは昔から不思議と可愛げがあるんだよな」
「昔を持ち出すのって楽しいですか」
「うん可愛げ消えちまったな〜」
「それはよかった」
 素っ気なさに拍車をかけていた横一文字の唇の端がゆるやかに上がるのを見てしまい、再び遠い日を懐古することになった。ごく稀に、前触れ無くこの顔でこういう笑い方をするから。ここに弱い人間は少なくないだろうとは客観的に。笑顔が標準ではないからこそその微笑みに希少価値が伴うし、優れた見目を有するなら尚更だ。零のバックバンドのほかにかつてナマエが所属していたバンドで彼は、バンドの華であるフロントマンに迫る人気があったらしい。そこに納得がいったのは、実際にそれを目にして分析を行ったからだ。
 そう見ると、ナマエが自分の武器を理解し上手く使うなら、アイドルでもやっていけなくはないはずだけれど。零には、どうも彼がアイドルに向いているとは思えない。何故なら彼は──。
「朔間さん?」
 思考に耽っていた頭を、どうにか引き戻す。散々乱した黒髪から手をどかし、呆れた眼差しを二者から浴びながら零は本題に入らねえとなと前置いた。
「そうそう、朔間さんを紹介したのは、ナマエくんの担当バンドを紹介して欲しいからなんだよね」
「バンドを紹介?」
「いまそこでギター弾きながら歌ってる子いるじゃん。ナマエはどう思う?」
 ナマエが舞台へと戻した目が、自然と細まる。晃牙は、黒いボディに白のピックガードが重なるスタンダードな色合いのギターを肩にかけていた。歌いながら右手のピックで弦を弾き、左手でネックを握り込むようにして危なげなくコードを押さえるが、歌の合間にはコードからメロディに移る。やや間があってから述べられたナマエの感想は、簡潔だった。
「歌が上手い。ギターも上手い」
「だろ。あいつを、適当なバンドに参加させて育ててやってほしい」
「なんでおれに」
「最初羽風くんに頼んだんだけど、そしたら自分よりバンド知ってるブッカーを紹介するって」
「……薫」
「睨まないでよ。前にギターがひとり飛んだって騒いでたバンドあったでしょ。あの子たち俺も知り合いだけどさ、ブッキングをナマエくんが担当してるじゃん。俺よりナマエくんから頼んでもらった方がよくない?」
 プリセットされた設定通りに瞬く照明は、舞台上の晃牙を代わる代わるあらゆる色に染めている。変わらず曲とは合っていないが、先程よりも気にならなかった。照明卓にはいつ見ても誰もついていないので、察するにPA卓を触る傍らナマエが照明も担当していたのだろう。彼はうんざりしたように眉間に皺を刻み、ヘッドフォンをいじっていた手で先にぐしゃぐしゃにされたばかりの髪を耳の上から後頭部へとかき流した。
「……あれは上手いよ。元々の設定もあるけど、ニュアンスもついてるし、ミスピッキングもない。相当弾き込んでるのは、わかる」
 晃牙はストラトキャスタータイプのギターを、エフェクターで音を装飾することなくアンプに直差ししている。ストラトキャスターのサウンドは、強弱もわかりやすく繊細な音を表現しやすい。つまり所謂ニュアンスの出しやすさにおいては優秀だけれどもミスもはっきりと表現してしまう環境であり、彼はその中で高評価を得ている。端的に言えば、上手い。
「でもバンドに紹介するなら、"それなり"じゃないと困る。上手いだけじゃ成り立たないこともあります。知ってるでしょ」
「そこも込みで育ててやれって話だよ。言わなくてもわかんだろ?」
「ただの嫌味です。どうせあんたの頼みは断れないから」
 言いながら、ナマエが片手間に照明卓上に並ぶボタンのひとつをぱちりと押し込むと、白く眩い光が素早い点滅を開始した。ストロボのスイッチだ。ホール内を構成する色が白と黒だけになり、晃牙は驚きに目を瞬かせながらも、演奏が止まったり乱れたりすることはない。
「カラオケ大会の音響よりはやりがいがあるんじぇねえの?」
「楽はできそうにないですけど」
「元気に生きろよ、若者。老成したっていいことねーぞ」
「そのまま返す」
「……ナマエくん、そろそろ照明で遊ぶのやめてくれる?」
 ストロボが鬱陶しくて仕方ないらしかった。照明を操作しつつブースの中へと戻っていく背中に、零はひとつだけ確認を投げることにする。零には、ナマエという人間がわからない。裏がないような印象ではあれども、その実どこまでが表でどこからが裏かぼやかしているだけのようでもある。知りたいのは、この一年でなにか変化があったのか。なにを思ってバンドを辞めて、アイドルになろうとしているのか。
「おまえさ、なんでバンドやめたんだよ。十分評価はされてたし、辞めるときもだいぶ引き止められたろ。揉めてたって話も聞いてねえけど、なんの不満があったんだ?」
「不満はないです」
 零に背を向けたままのナマエの顔だけが傾いて、もう一度視線がかち合った。覚えがある無機質さを、感じ取る。誰にどれだけ褒めそやされても、いつだって称賛はナマエになんの変化ももたらさなかった。
「おれのドラムがどう評価されてたかも関係ない。もういいと思ったから、辞めただけです。自分の価値は自分で決める。他人には、委ねない」
「……なんで夢ノ咲に通ってんの?」
「あんたには教えません」
 やはり先輩を敬っているとはとてもじゃないが思えない言動をして。それでも、敬語であるのは彼なりの尊敬の証なのかもしれないけれど、その真意すら零にはさっぱりだ。ただひとつわかったのは、思った通り彼はアイドルに向かない思考であるということだけ。
「……かわいくねえ」
「あの子に可愛げを求めるのが間違ってるんじゃない?」
 薫が苦笑うのを、零はぼんやりと横で聞いていた。彼の方がよほど、アイドルというものを理解していそうだと思う。
 アイドルとは他人に評価されるものだ。自分の商品価値は、結果的に他人が決定するも同然。遍く評価をつぶさに取り入れることが正解ではないとは言え、評価そのものを拒むような口ぶりは、向いていないとしか判じられない。零は、好きなようにやっても大抵は結果的に他人を惹き寄せるところへ持っていける。自分の魅せ方を知り、求められているものを知っている。けれども、ナマエは。彼はその才能を、どうしたいのだろうか。

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