人の内側はまるで万華鏡のようだと鳴上嵐は思う。あの筒一本で様々な模様を楽しめるのと同じように、人もまた内に秘めた様々な一面があり、少し見方を変えてやるだけで、その一端を覗くことができる。けれども、彼はそういったものを積極的に暴きたいとは思わない。それはマナーとして、あるいは、自己防衛として。
そうして嵐が他人に対して踏み込み過ぎないという選択肢を選ぶことは、多々ある。節度を保った他人と己との線引きは、モデルにしろアイドルにしろ華やかな世界で生きていくには必要なスキルのひとつであった。下手に誰かに入れ込んでも、面倒事に巻き込まれ、運が悪ければ傷付くのは自分自身。そこに早々に気付けたからこそ、彼は立ち回りが上手かったのだ。だから決して踏み込みはしないが、時折何もしなくとも客観的に見て放っておきづらい人種もいる。抜群に安定していて、強かなようで、どこかしら不安定な隙が垣間見える──そういう、人種が。
普段通りスタジオを訪れた嵐は、見慣れたものとは違う景色に目を瞬かせた。スタジオには、二人の花。一人はここにいてもなんら不自然ではないプロデューサー、もう一人は、ここにいるはずのない音楽科の少女だ。
「あんずちゃんと……ナマエちゃん?」
ダイニングテーブルに広げた型紙とにらめっこしていた二人が、一斉に顔を上げて嵐を見た。同い年である二人の少女は、スタンスが違っているせいか、並んでいるとなんだか面白くて微笑ましい。ふわりとした可愛らしい印象のあんずの隣に並ぶと、ナマエはより大人びた印象になる。ナマエも一見おっとりとしているものの、中身はそうでもないことを嵐は知っているので、尚更。
「嵐さん。こんにちは」
初対面のときに気軽に提案した「嵐ちゃんって呼んで」を彼女は八割方受け入れて、彼を嵐さんと呼ぶ。元々知人である司と凛月は彼女と名前で呼び合うし、結果的に名前で呼びも呼ばれもしないのは泉のみだ。
首から来客証を提げ、上品そうに笑う彼女に「二人?」と問えば、先程まで凛月くんもいたんですけど、と返ってきた。相も変わらず自由なユニットメンバーたちだ。
「それはもしかして、例の衣装かしら?」
「はい。あんずさんが今型紙を作ってくれているんです。手慣れたものですねえ、びっくりしました」
「あんずちゃんはイベントの度に色んなユニットの衣装を作って、どんどん衣装作りの腕を上げてるもの。もちろんプロデューサーとしての手腕もね。ねえ、あんずちゃん?」
そう話を振れば、あんずが照れたように頬を染めた。それから少しだけ慌てたように、口を開く。
「まだまだ発展途上だって? もう、謙虚でかわいいんだから。伸びしろがあるのは良いことだけどねェ」
今回、ナマエはあんずに天祥院英智を通してKnightsの衣装作りをお願いしているらしい。出来ることなら練習も見てもらいたいところだけれど、他のユニットのイベントとの兼ね合いもあり、参加できる日は少ない。彼女はTrickstarと共にあの生徒会長率いるfineを打倒した、頼れるプロデューサーという肩書がある。引っ張りだこになるのも無理はない話だ。その忙しい合間を縫って、今回のイベントのためのKnightsの衣装を作ってくれるのだから、あんずには頭が上がらないというもの。そしてそれはKnightsだけではなく、ナマエにも言える話のようで、彼女が今ここにいるのはきっとそういう理由だろう。衣装の依頼主として、顔を出しに来たといったところか。コンクールが迫っている中でも、彼女はやはり律儀だった。あくまで音楽科の"代表"であって、これは彼女個人の依頼ではないにも関わらず。
「お任せしっ放しですし、型紙は無理でも、縫製ではお力になれるといいんですけど」
「あらナマエちゃん、お裁縫の経験があるの?」
「中学の授業で少々」
「うふふ不安だわァ」
失礼な話だが、裁縫や料理といった細やかで家庭的な作業とは仲良くなさそうに見える。彼女が指をひとつ鳴らせば、駆けつけた誰かが代わりに抜かりなくこなしてくれるようなイメージがあると言ったらさすがに怒るだろうか。
「確かに器用ではありませんが、やってやれないことはないと思います」
「そりゃそうでしょうけど、ナマエちゃん、ひとつ大事なことをお忘れじゃないかしら?」
「はあ……なにか忘れてましたっけ」
「全く、あんた賢そうなのにそういうことは鈍いのねェ。自分のことは後回しってカンジ? そういうタイプ、お姉ちゃん好きだけど心配になっちゃう。あんずちゃん、しれっと聞き流してるけどあなたもよ?」
あんずが苦笑いする一方、ナマエはなんのことやらと首を傾げていた。浅く息をついて、嵐はもう、と呆れ気味に零す。
「ナマエちゃんは音楽科のピアノ専攻で、聞いた話だとコンクールが近いんでしょ? この大事な時期にお裁縫なんかして、ピアノを弾く指をたくさん怪我しちゃったらどうするの?」
「あぁ、そういえばそうですね。あんずさんまで……いえ、お気遣いありがとうございます」
「やだほんとに気付かなかったって顔してるじゃない」
嵐の見立てでは、彼女はそこに頭が回らないほど鈍い人間ではないはずだけれど。本当に抜けていたにしろ、抜けていたふりだったにしろ、結局のところ今のナマエの優先順位は"あんずの手助け"が上位だったのだろう。丸投げしておけばいいものを、そこは彼女の性格上難しいのかもしれない。合同練習の立ち回りを鑑みると、そう意外なことでもなかった。
ひとりでも大丈夫と胸を張るあんずに、ナマエは申し訳なさそうに眉をひそめる。ここで食い下がらない辺り、彼女は自分に出来ることとそうでないことを弁えているようだ。肩を落とすナマエとやや慌てるあんずの両方の背中をぽんと叩いて、嵐は二人の気分を変えるように努めて明るく提案した。
「もし作業の目処が立ったのなら、とりあえず休憩とかどうかしら? アタシが紅茶を淹れてあげる」
*
テーブルの上を一旦片付け、スタジオに持ち込んでいたティーセット三客と先日買っておいたチョコチップが練り込まれたクッキーを並べると一気にそこだけお茶会のような華やかさに包まれた。スタジオに似つかわしくない突然のティーセットとお菓子の登場に驚きつつも目を輝かせるあんずは、普段表情の変化に乏しい印象はあれどもやはり女の子といった可愛らしい反応だ。プロデューサーとしてどんどん降りてくる仕事をこなし、周囲の期待に応えようと懸命に働く姿は健気だけれども心配になってしまう。可愛いものや甘いものに目がないところを見ると安心するし、息抜きになってくれればと嵐はそっと期待して。
「三人揃うと女子会って感じでいいわねェ」
「なるほど、これが女子会なんですね。噂には聞きますけど、具体的に何をするものなんですか? 実質お茶会?」
「あらナマエちゃんしたことないの? 女の子だけで集まって、甘いものとか摘みながらガールズトークで盛り上がるのよォ」
「ガールズトークですか」
彼女には縁遠いものらしい。所謂恋バナだと補足してみるも、はあと気の抜けた返事しか戻ってこなかった。そんなとぼけたやりとりをしている間でも、彼女の何気なくティーカップの中身を音も立てずにかき混ぜる動作や、カップの持ち手に指を通して持ち上げる仕草からは、やたらと熟れた品の良さがちらつく。ナマエは女子会の空気感は掴み切れないようだけれど、お茶会には慣れているようだった。同じユニットの後輩にあたる朱桜司も、その挙動の端には上品さが滲んでいたのを思い返す。こういう作法は彼らにとって、昔から叩き込まれて根付くものなのかもしれない。あんずがクッキーに手を伸ばす一方、ナマエがまだ紅茶にしか口をつけないのは、恐らくそういう作法とは違うのだろうが。嵐の目はそういうものを見逃さなかった。
「ナマエちゃん、もしかして甘いものはお好きじゃなかったかしら?」
「んん、すみません。折角用意してもらったんですけど、実はあまり得意ではなくて。良ければわたしの分も、お二人でどうぞ」
どうやらわたしには女子会の才能がないみたいです、とナマエはややがっかりしたようにゆるく苦笑した。
「甘いものを食べるだけが女子会じゃないわよ? ガールズトークはまだ始まってもないじゃない」
「具体的には」
「例えば、好きなひとの話をするの」
あんずは心なしか興味深そうにこちらを見やりながら、四枚目のクッキーをつまんでいた。その手の話題に興味はあっても花より団子と言うべきか、話を振ってみても五枚目のクッキーを口の中に放り込み首をひねっている。照れるでも焦るでもなく、話題に上がったから気を遣って初めて考えてみたという様子なのがありありと見てとれた。これだけ男に囲まれた生活を送っていても該当する人物がいない理屈は理解できなくもない。勿体無いというのが嵐の個人的な所感だけれども、実際彼女はそれどころじゃないのだろう。今は目の前の仕事をこなすことに注力しているのは、嵐も十分知っている。ではもう片方はというと。
「ナマエちゃんは、好きなひとは?」
「いますよ」
こちらはこちらで、素直なようで曲者な返答だった。涼しげな顔でされた肯定には、恋する乙女らしい可愛げがない。先日の朔間凛月の言葉が、脳裏を通り過ぎていく。
「念のため確認しておくけど、相手は凛月ちゃんじゃないのね?」
「凛月くんとわたしはそんな風に見えましたか」
「いいえ? ただ凛月ちゃんが振られたって言ってたから」
「……なんであのひとそういうこと言っちゃうかなぁ」
呆れたと言わんばかりにナマエが眉をひそめた。ナマエには好きなひとがいるらしいことも彼から聞いてはいたけれど、さすがにそこまで話したことは伝えない方が吉だろう。彼女はティーカップに薄い唇をつけ、紅茶で喉を潤してから、まったく、とそんな独り言とともに浅く息を吐き出す。ソーサーにカップを置いた彼女は、嵐とあんずを順に見た。
「凛月くんは、友達です。それ以上に見たことはありません」
「はっきり言うのねェ……可能性は少しもないの? 告白されて意識し始めたとかよくあるじゃない?」
「ないですよ。本当にわたしを好きかもわかりません。あと本人にも言ったことなので意趣返しにバラしますけど、たぶんそういうのじゃないと思います。凛月くんにとって、わたしは」
「うたがってるの、凛月ちゃんを」
「そういうことに、なるのでしょうか。うん、そうなるのかな。もしそうじゃなくても、あのひとと近付き過ぎてしまったら、たぶんわたしはだめになるので」
「だめになる?」
「今以上に甘えが出ます。凛月くんはそんなわたしを許すと思いますよ。でも、わたしは自分を許せない。つまりジレンマで詰んでしまう未来が見える。決して健全じゃありません」
友達という距離感だからこそ現状で留まってる、そこに余計なものを持ち込みたくない──そう付け足して、ナマエは現状維持が良いと締めくくった。ガールズトークと呼ぶには素っ気ない、冷静過ぎる空気を内包して。自制することが優先事項で、それを阻むものとはなんであれ距離を置くのが当たり前なのだろう。なんともご立派だけれど、嵐の目にはどことなく歪んで映る。どこが、と言われたら困るのだが。整然として甘さがないのに、なにがこんなに危なっかしいのか、自分でもよく説明ができない。
「そんなナマエちゃんが好きになるのは、一体どんな人なのかしら」
彼女が好意を抱く相手が気になったのは、そういう説明のつかない何かのせいだった。ストイックで、恐らく隙を嫌うナマエ。どんな相手であれば、彼女は隙を見せるのか。どんな人間に惹かれて、どんな風に想うのか。これまで見てきた誰とも重ならない少女に、嵐はそんな興味を持って、答えを待った。
「わたしの好きなひとは」
そう切り出したナマエは、存外穏やかに。
「──わたしにとって春のような、ひとですよ」
伏せた瞼の裏に相手を思い描くように、優しく笑んで彼女はそのように続けた。愛しいものを、愛しいと告げる声音と表情だ。ナマエは確かに、恋をしている。
「わたしの憧れです。きっと、この先もずっと」
「……春、ねぇ。暖かな人ってことでいいの?」
「さあ、どうでしょう。ご想像にお任せします」
ナマエの語る”春のような”は漠然としていてどうも輪郭が見えず、そもそも彼女はそこまでわかっていてそういう表現をしているのだろう。端から深くを語るつもりはないようだ。相手は嵐の知らない人間だろうけれど、折角なのでもう少し突っ込んでみたいと思って。
「付き合ってるわけじゃなさそうだけど、その人と仲は良いの?」
「いいえ。嫌われました」
残念がるでもなく、ただ事実だけを告げるように。ぽかんとする嵐とあんずに、彼女はなぜか慰めるような、気遣うような笑い方をした。
「そんな顔しないでください。どのみち、いまのわたしにお付き合いなど縁遠い話ですし」
「そんなこと……でも、確か婚約者もいるって話だったかしら。愛に障害はつきものよねェ、個人的には負けないで欲しいけど」
婚約者、とまるで聞き慣れぬ単語のように口にして、ナマエは目をまるくする。なぜそんな顔をするのか理由を問いかけて──不意にスタジオの扉がノックされた。女子会が終わりを告げる音だ。凛月が戻ってきたのかもしれない。ナマエも、凛月くんでしょうか、と呟く。しかし、そういえば彼はこういうときノックをしただろうか。嵐が考え事をしている間にナマエが一番に席を立ち、スタジオの扉へと来訪者を迎えに行く。やや重ための扉が開き、その先にいたのは。凛月と同じ黒髪と赤い瞳を持った、凛月よりも背が高い、青年。
「おや。珍しいお客さんがおるのう」
「……あら? 凛月ちゃんが朔間先輩になって帰って来たみたい?」
スタジオを訪れたのは朔間凛月の兄にあたる朔間零だ。嵐の軽口に「凛月がおったのか?」と零がやや高揚ぎみに言う。まずい。長居されると本当に凛月が戻って来たときには面倒くさいことになりそうだ。
嵐に向けられていた赤目は、すぐに目の前の少女に戻り、彼は彼女を前にしてきれいに口の端を持ち上げた。ナマエは先程からなにを考えているのか、一言も発しない。嵐の位置からでは表情がわからないが、ただじっと零を見上げている。ふと、零が呆れたように息をつく。
「そんな親の仇でも見るような目をせんでおくれ。我輩は、あんずの嬢ちゃんを探してここに来ただけじゃから」
「──そうでしたか。嫌がらせに来たのかと思っていました」
耳を疑うくらい、彼女のものにしては攻撃的な科白が挨拶と似た柔和さで聞こえてきた。
「……全く、久しぶりに顔を合わせても相変わらずじゃのう、ナマエは」
「お久しぶりです。あなたもお変わりないようでなによりですよ、朔間先輩。以前のあなたに戻っていなくてよかった」
少女が笑う気配があった。寒々しい空気を引き連れて。変わらず嫌われておるらしい、と疲れたような朔間零のぼやきに、ナマエは「いいえ」と間髪を入れずに返した。