Episode.3
木瀬が眠り続けて2週間がたった。三門市もボーダーも大規模侵略から徐々に復活をして、平常を取り戻しつつある。しかし…俺の周りだけがどうしても穴が開いていた。
今日も無意識に病院へ足を向け、起きる気配のない木瀬の寝顔を見る。

頬に張られていたガーゼは取れていた。頬の傷は残らないそうだ。ほっとしつつも、頬の傷だけが残らない…見えないところにできてしまった傷はきっと残り続け…木瀬を苦しめるのだろう。
木瀬は今回のことをどう思っているのだろうか。俺が最初に黒トリガーに落とされた時、木瀬が俺の安否を必死に聞いていたと三上から聞いた。そんな心配をするくらいなら…自分の心配をしてほしかった。なんて間違っても言葉にできない。

木瀬はオペレーター室に入ってきた黒トリガーを一人で相手にしていたそうだ。しかし、木瀬は戦闘員でも元戦闘員でもない。ただのオペレーターだ。他の奴が逃げられる隙を作ることだけで精いっぱい…いや、それさえも本当ならできないことだろう。なんで…誰も呼ばなかった。なぜ、俺を呼ばなかった。俺が何もできないとわかっていたからだろうか。俺じゃ…木瀬を助けることもできないと思ったからだろうか。


「あれほど、俺の名前を、呼んでいたやつが…なぜ、呼ばなかった」


木瀬に当たるのはお門違いだとわかっている。木瀬は何も悪くない。しかし…木瀬はいつも俺の名前を呼んでまとわりついて…笑っていたのに…。



五感の中で一番最初に忘れるのは、聴覚…声だと聴いたことがある。確かに…兄の声を徐々に思い出せなくなった。昔親がとった動画を見て、ふと思い出す程度の記憶になってしまった。
木瀬の声を聴かなくなって2週間…たった2週間、でも…されど2週間だ。だんだんと…木瀬の声が思い出せなくなってきた。
俺の名前を呼んでいた声。大学であったことをひたすら話してくる声。ネイバーが現れた時の緊張感のある声。…遠征から帰ってきたときの涙を超えておかえりと言ってくれた声…どれも、思い出せない。


『風間さん!おはようございます!今日いい天気なので、もしよろしければ一緒に本部まで行きましょう!』
『今日、この講義初めて受けたんです。風間さんも1年の時に受けました?』
『ネイバー出現。正確な位置をレーダーに送ります。多数のエリアで出現のため、今から配置を伝えます』
『っ、か、ざま…さん…おかえり、なさいっ』


たくさん木瀬の声を聴いた…内容は覚えているけれど…声が…うっすらとしか思い出せない。

まるで…木瀬が、もう…。


「風間さん」
「っ、迅…どうした」


急に声をかけられて肩を揺らす。声のしたほうを見ると…迅がたっていた。こんなに近くにいて声をかけられるまで気が付かないとは…俺もそうとう参ってるらしい。


「いや…風間さんが珍しく泣きそうだったから」
「泣くわけないだろ」
「…そっか。あのさ、風間さん、本当に「それ以上言ったらぶった切るぞ」うわー、病院で縁起でもない」


と言って、苦笑いをする。迅が言いたいことくらいわかる。でも俺はその言葉を聞くことはできない。むしろ俺が迅に…木瀬に言わなくてはいけない言葉だからだ。


「…木瀬、目を覚ます未来が強くなったよ」
「っ…そう、なのか」
「うん。でも…確定ではない。正直…このまま、または最悪の未来だっていまだに色濃く残ってる。さすがの俺も…木瀬の生命力を信じるしかないかな」
「…生命力なら有り余ってるだろ」
「だろうね」


早く起きてよーなんてガラス越しに声をかける迅の言葉は届いているのだろうか。いや…届いていないだろうな。届いているなら、俺の声にはいつも反応していたのだから…今頃飛び起きているだろう。
なんて都合のいい解釈しかできない俺は…木瀬に甘えていたのかもしれない。木瀬はいつでも俺のそばにいる。いつでも俺を見ている…俺の横から、消えない。そう思っていた。


「木瀬が起きたら、教えてあげないと」
「何をだ」
「風間さんが毎日のようにお見舞いに来ていたよって」
「…いうな」
「えー、木瀬、絶対に喜ぶよ。風間さん、本当ですか!?って飛んでくると思うよ」
「…どうだろうな」
「…風間さん?」

いつもみたいに声をかけてくれるのだろうか。いつもみたいに…俺の名前を呼んでくれるんだろうか。

「…今もずっと寝ているくらいだ。もしかしたら、俺に会いたくないのかもしれないな」
「…風間さん、どうした「なんでもない。俺はもう帰る」

そう言って、木瀬の顔を見ずに病院を出る。迅は追いかけてこなかった。追いかけてこれなかったのだろう。前に三上に諦めないでください。と言われた言葉がいまだに引っかかっている。起きることを望んでいるはずなのに…正直、諦めている自分もいる。
先ほど、迅が目を覚ます未来が濃くなった。と言っていたけれど…濃くなっただけだ。


「…木瀬、お前は今どこにいる」


いつもいると思っていたもの…例えば太陽みたいなのが急にいなくなった時、俺はこんなにも弱く脆く…太陽が戻ることを願うことすらもできない愚かな人間になるのかと思うと、ため息すら出てこない。


『風間さん、好きです!』


飽きるほど聞いた言葉。それが今となっては…こんなにも恋しくて愛おしくなるとは思わなかった。

こんなにも、木瀬に会いたいと思う日が来るとは思わなかった。