プリンセスメアリーで乾杯を
「あ、」
気付いた時には、もう彼は振り返っていた。バッチリ目が合ってしまった為に、目を逸らすことも出来ない。
「久しぶりだね」
「うん、久しぶり」
優しく目を細めて、昔と同じ顔で私に微笑んだ。それを見た瞬間に一気に懐かしさが襲ってきて、足から力が抜けるような気がした。
「真琴くん、こちらの方は……?」
「名字 名前ちゃん。俺の幼馴染だよ」
ただの『幼馴染』、それが彼にとっての私だった。何十年経っても変わることのないであろう事実を突きつけられて、この場から逃げ出したくなってしまう。そんな私のことなんて露知らず、私が見ないふりをしていた、彼の横にいる可愛らしい女の子は「いつも真琴くんがお世話になってます」なんて言うのだ。お世話した覚えはないし、そもそも彼とは大学を出てからだから5年近く会っていないのだ。
なんて、社交辞令にも気分を悪くしてしまう自分に嫌気がさす。「こちらこそ」と愛想笑いを浮かべて返事をしたがもっと気の利いたことを言えばよかった、と後悔した。
「そういえば、どうして岩鳶に?」
2人揃って、ということはただの帰省では無いのだろう。地元の旅行か、あるいは
「そうそう!その事なんだけどね」
___俺たち結婚するんだ。
どうやら勘は当たっていたようで、嬉しいようで嬉しくない報告を耳にした。20年近くそばにいて、私がどうしても手にしたくても叶わなかった立場を、横にいる彼女は簡単に手に入れたのだ。
胡桃色の髪を柔らかいウェーブにして、小さい花の舞ったワンピースを着ている。目元は薄いピンクで飾られて派手すぎないのに、ノーメイクにも見えない。爪先まで気を抜かずにしっかりと彩られていて、左手には小さなダイヤモンドの施されたリングが嵌められていた。
私とは正反対の女の子で、勝負をした訳では無いにも関わらず、負けた気分になる。もちろん結婚をするくらいだから、外見の話だけではないのだろう。尚更、目の前の彼女が羨ましくて仕方がなかった。
「名前ちゃん?」
返事が出来ずに固まっていた私を不思議に思ったのか、彼が声をかける。彼女も、こちらを見上げて不思議そうな顔をしていた。
「あぁ、ごめん。びっくりしちゃって……。おめでとう」
幸せになってね、と伝えたつもりだが上手く声に出せていただろうか。
「そうだ、式なんだけどこっちで挙げるからもし良かったら来て欲しいな。ハル達にはもう言ったんだけど名前ちゃんだけ連絡つかなくて困ってたんだ」
そういえば、機種変更をした時に電話番号やメールアドレスも変えて彼らに伝えるのを忘れていたらしい。どうして連絡が来ないのだろうと思っていたが、完全に私のせいではないか。
「うん。是非」
「わあ、嬉しい」
小鳥の鳴き声のような可愛らしい声だ。私だったら、こんな女が結婚式に出席するの嫌だな、と思うが彼女はそんなことないらしく「賑やかな式になるといいね」なんて花が咲いたような笑顔で彼に話しかけていた。
「あっ!もうすぐ電車の時間だから俺たち行くね。今日は会えて本当に良かったよ」
「うん、私も」
「また詳しいことが決まったら連絡するね。えっと、住所は……」
「実家でいいよ。じゃあ、またね」
小さく手を振ると、彼はまた優しく微笑みながら手を振り返す。彼女に向けて軽くお辞儀もしたが、そのまま踵を返したため彼女がどんな反応をしたかは私は分からないままだ。
「そっかあ、そうだよね」
年甲斐もなく道端にしゃがみこむ。私のいた所だけ雨が降ったのか、少しずつアスファルトに黒い染みが広がる。私の想いはずっと一方通行で、彼はその事にすら気づいていないことを私は知っていた。再会した幼馴染と、なんて都合のいい事が起きるはずないことも。それでも、離れていても私は彼のことを思い続けていて、しょうもない期待を抱いてしまったのだ。
1度流れると止まることを忘れたそれは、私の周りをどんどん黒く染め上げて、それと同時に気持ちも重く沈んでしまうのだった。
・
しばらくその場で涙を流し続けていたが、幸いにも人通りは少なく唯一声をかけてきたのは高校時代の後輩だった。
泣いてボロボロになった私の姿を見てか、彼女は「この後、お時間ありますか?」と尋ねてくる。特に用事もなく家でダラダラするつもりだった私は彼女の食事でもしながら話をしよう、という誘いを2つ返事で受け入れた。
「名前先輩、ちょっと飲みすぎじゃないですか……?」
「ん〜、大丈夫。私あんまり酔わないから」
何杯飲んだかは覚えていないが、先程あった出来事を、あの重苦しい感情をアルコールでかき消すように次々と飲み干していった。お酒の力で忘れられるほど単純なものでは無いことは分かっているが、どうしてもそうすることしか思いつかなかったのだ。
「あんまりって、それ大丈夫なんですか……」
「ヤバくなっても自分でどうにかできるから大丈夫だよ」
苦笑を浮かべた彼女に、冗談めかしてそう告げる。本当は泥酔して、そのまま眠ってしまえればなんて思うが後輩に迷惑をかけたくないというのが本心だ。
テーブルを鮮やかに飾る料理たちも、私と彼女のグラスの中も空っぽになって、お開きの流れになる。お会計を済ませて、2人で夜風にあたる。少し冷たいな、と思うがアルコールで火照った身体にはこれくらいがちょうどいいのかもしれない。「さすがに夜は少し冷えますね」と彼女は車の鍵開けてくれたので、私は薄ピンクの軽自動車に乗った。
「ごめんね。運転、お願いします!」
と頭を下げれば「気にしないでください」と慣れた手つきでエンジンをかけている。
「お家どの辺でしたっけ?」
「あ〜、車入りにくいから近くのコンビニで大丈夫だよ。ありがとう」
「分かりました!」
高校時代の思い出から、旧友の現在の活躍だとか、数年ぶりに会った後輩とでも、意外と話題は尽きない。家までの道は特に沈黙が訪れるわけでもなく、あっという間に目的地へと到着してしまう。
「ごめんね、今日は」
「いえいえ、名前先輩と久しぶりにお話出来て嬉しかったですし、気にしないでくださいね!」
じゃあおやすみ、と挨拶を交わして家へと向かう。少し気になって後ろを振り向けば、彼女は私の姿が見えなくなるまでいてくれるのか、まだ車が止まっていた。小さく手を振って、彼女が振り返してくれたのを確認してから私は改めて家路に着いた。
・
「あ〜!疲れた」
家へ着いて真っ先に自分の部屋へと向かう。メイクを落とすことも、服を着替えることも億劫でそのままベッドへとダイブする。このまま布団の柔らかさに包まれて眠ってしまおうかとも思うが、布の冷たさに一瞬冷えた頭が私をベッドから引き摺り下ろした。
ふと、机の引き出しが目に入って思い出す。3段あるうちの1番上、鍵のかかったそこを開ける術を忘れてしまって、昔使っていた筆箱をひっくり返してみた。
「……そう簡単に見つかるわけないよな」
普段ならここで諦めるだろうけど、私の頭はベッドから引き摺りおろすことは出来ても、冷静になることは出来ないらしい。
他の引き出しを開けてもそれらしきものは見つからない。あとは学生時代のカバンの中か、机の上のペン立てだ。カバンの中に入れて持ち歩いた記憶はなかったので、ペン立てもひっくり返してみた。机の上に散乱する文房具の中に一際照明を反射する物を見つける。慌ててそれを手に取って、鍵穴に挿し込み、時計回りに回転させた。
カチャ、と軽快な音がして引き出しを開ける。そこには予想した通り一通の手紙が入っていた。『真琴へ』と真ん中に書かれた字はお世辞にも綺麗とは言えない。10年以上前に書いたものの内容なんて正確には思い出せないが、あまり読み返したくないものであることは確かだ。今までなら、また鍵をかけて仕舞っていただろうけど、きっともう潮時だと思い、それを手に取る。相手に届けられることのなかった、手紙としては未完成なそれを一思いに裂いた。できた欠片をまた裂いて、裂いていく。机の上に散らばった文房具の上に可愛らしい、撫子色の欠片でデコレーションを施す。これで少しは吹っ切れられるのだろうか。まだまだ先であろう彼らの結婚式のことを考えて、少しだけ身体が重くなった。結婚した友人もいなかったため、そういえばドレスコードなんて知らないな、と検索サイトを開く。
___彼の幸せの邪魔をしたくない。あわよくば綺麗だと思って欲しい。
私に気持ちが向くことは無いなんて、嫌という程わかったからこれくらいは許されるだろうか。
そんな子どもじみたことを考えながら、スマートフォンとにらめっこするのだ。