向日葵と同調する精神

――ところで、わたしはいわゆる異世界トリップなるものをしている。なんら楽しいこともないので、詳しいことは省くけれども。
江戸時代とはいえど世界観的に戸籍がある時代だ。就職は難しいとも思ったが、田舎のほうではまだ無戸籍の人間もいるらしく、上京してから戸籍をとる――なんてこともままあることらしかった。わたしにとっては、非常に有難いことだった。さらに幸いだったのは、わたしがその日、少し高価なアクセサリー類を身に付けていたことだろう。手放すのが惜しい気持ちは確かにあったが、背に腹は変えられない。アクセサリーが手元になくても生きていけるが、お金が手元になければ生きていけない。質屋で売り払えば、それなりの値段にはなった。そうして手に入れた幾ばくかのお金をもとに住む場所を決め――防犯性があまり良くなさそうなので近々引っ越そうと思っている――現在のバイト先である甘味処で働くことになった。さすがにそれだけでは生活がキツかったので、わたしの中では有名なスナックすまいるの求人を片手に面接を受けてみれば、見事バイトとして雇ってもらえることに。そうして現在の生活基盤を整えるに至っている、というわけだ。
そんな珍妙な、世の中の人間が一生味わうことのないだろう経験をしたのももう半年も前のこと。半年前の自分は、まさか自分の勤める甘味処が推し――伊東さんの行きつけの店になるなんて予想だにしていなかった。初めてその姿を見たとき、ひどく動揺して、いらっしゃいませの言葉が出るまでに数秒を要したことをよく覚えている。いや、数秒でひねり出すことができたことは奇跡だろう。若干ながら不審に思われはしただろうけれど。
あの時、何故伊東さんがあの店を訪れたのかはわからない。単に甘いものを食べたい気分だったのかもしれないし――この線が濃厚だろうか――、店構えに何かしら惹かれるものがあったのかもしれないし。けれどもその一度がきっかけで、常連さんになってくれたのだ。キャバの稼ぎだけでやっていけそうだし甘味処は辞めようかな、と思っていた矢先の出来事。おかげで辞めるタイミングを逃し割と体力的にギリギリの生活を送る羽目になっているけれども、精神的にはこれ以上ない程充実している日々をわたしは送っている。だって推し、というか好きな人とコンスタントに会える上、好きな人が飲み食いしている様を合法的に眺めることができるのだ。ちなみに伊東さんは、予想通り飲食時の所作がとても美しい。
……まあ、恋に昇華してしまった点でしんどい部分も確かにあるにはあるのだけれど。それはもう、仕方のないことだと諦めるしかないと思う。わたしにはきっとどうしようもできないところだし。
ちなみに体力的にギリギリの生活をしているわたしは、週6で働いている。自分でもバカだと自覚はしているが。日曜は完全に休みということにしているのだけれども、そろそろシフトを平日のみにするべきだろうか。結局のところ食料などの買い物も日曜にするため日がな一日休めるわけでもない。いや、でもな……伊東さん、割と土曜も来るんだよな……。自分から会える機会を減らすのは、なかなか寂しいものがある。
――もうすっかり日常の一部になってしまっているな、と改めて自覚した。或いは大部分になっているかもしれない。
この間しばらく店に来なかった時は、とうとう飽きたんだろうかと思ったりもしたけれど。いやそれは店長に失礼か。でも、それまでは週に2度は確実に来ていた人が急に2週間近く音沙汰無くなればそう思うのも無理はない気がする。……もしかしたら大きな怪我でもしたんだろうかとか心配した気持ちも勿論あるのだけれど、この辺りはあれか、少なくとも原作の例の事件が起きるまで伊東さんは死なないという、妙な安心感があったりして。とかなんとか思っているあたり、わたしって伊東さんのことまだキャラクターとして見ているのだろうか。……まあ、確実に会えないとわかっている唯一の休みの日曜にまで伊東さんのことを考える始末だ。これが恋ではないと否定するのは無理があるので、この感情に嘘はないと断言できる。ひとまずは、それでいいだろう。

まあ、まずさしあたっては。

「……今日お昼ご飯どうしようかなあ……」

今日何を食べるか、である。バイトがある日は自分でお弁当を作って休憩室で食べるのだが、休日となるとそうはいかない。わざわざお弁当を作る必要もないわけだし。家で適当にカップ麺をすする日もあれば、ファストフード店に入ることもある。少し奮発してカフェで食べたりもするけれど、それは稀だ。……けれども最近はきちんとした外食もしていなかったし、何より作るのも何だか面倒だ。外食しよう。
そうと決めたらもうすっかり着るのにも慣れてしまった着物を身に付け、荷物を持って家を出る。なにを食べるかは歩きながら決めようと思って適当にあたりをぶらついていれば、食欲のそそる匂いが鼻腔を刺激した。
――ラーメンである。
家でインスタントやカップ麺を食べることこそあれ、最近は店に入って食べることはなかった。そう思い至れば、無性に食欲が湧いてきてしまったが、一つ問題がある。
まだ年若い女が、一人きりでラーメン屋に入っていいものだろうか。いや、もちろん禁止されているわけではないのだけれども、何だかすごく寂しい女みたいに見えてしまう気がする。御誂え向きに店構えは無骨そのもので、ガラス張りでもない壁では店内の様子は見えないが、出てくるのは男性ばかり。入りにくいことこの上なかった。今日は諦めようかとも思ったのだけれど、わたしの口は完全にラーメンの口になっている。
――……ラーメン食べたい。

「……君、こんなところで何をしているんだい」
「ヒェッ」

店から少し離れたところに突っ立ってうんうんと悩んでいたら、背後から声をかけられて身体が跳ねた。聞き覚えのある――否、もはや聴き馴染んだ――声にそろそろと振り向けば、そこには隊服を着た伊東さんがわたしを訝しげに見下ろしていた。

「……え、あ、伊東さん。こんにちは。……いや、ラーメンが食べたくて……」
「ラーメン?」
「女一人でラーメン屋ってちょっと入りにくくて、どうしようかなって思ってたところです」
「……成る程、まあ確かに――そうだね」
「伊東さんは……お仕事中ですよね」
「巡回中だよ」
「……、伊東さんも巡回するんですね?」
「君は僕を何だと思っていたんだ?」
「お巡りさんです。……いや、伊東さんて参謀として有名なので、こういう仕事ことはしないのかなって勝手に思ってました」

巡回も広義の“外回り”なのだろうけれど、そうではなくて。伊東さんはこういう、なんていうか、現場での仕事よりは、会議室的な場所での仕事が多いのではないかと思っていたわけだ。巡回している隊士が見つけた異常の報告を受け、対処法を指示する――みたいな。いや、何かしらの異常を見つけたら抜刀したりバズーカぶっ放したりするのが真選組の常であるとは知っているので、これはあくまで喩えなのだけれど。

「僕も組織の一員だからね、こういう仕事もするさ。確かに政治面での仕事が多いから、頻度は低いがね。……ところで、僕は今、どこかで何か食べようと思っていたところなんだが」
「……? はい。あ、この近くの洋食屋さん、美味しいですよ!」
「君は絶望的に話を汲むのが下手だな」
「エッ。…………アッ、もしかして一緒にラーメン屋入ってくれるというお話を……?」
「……若干出鼻を挫かれたが。君さえよければ。僕はこれといって食べたいものもなかったから」

……どっ、えっ、エエェ……?
現在わたしの頭の中に作り出された天秤がぐらぐらと揺れている。片方にははじめて一緒にする食事がラーメンという色気皆無の食事で良いのかという苦悩、片方には伊東さんと一緒にご飯を食べられる及びラーメン食べてる伊東さんが観られるという煩悩。いやどちらも煩悩だろという指摘には目を逸らさせていただくとして、これは、どう応えるのが正解だ?何が正解なんだ?

「……」

いや、ていうか。

「是非お願いします」

伊東さんからの申し出を断るという選択肢がそもそもなかったです。はい。


title by ジャベリン
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