「・・・おい、起きろ。佐保」
電車の揺れと私を呼ぶ声。かすかに感じる額の痛みに促され目をゆっくりと開けて隣を見ると、幼なじみである焦凍が無表情で私を見下ろしていた。
どうやら額に感じていた痛みの原因は、彼が私を起こすためにデコピンをかましたからのようだ。
「・・・いたいんですが」
「もうすぐ着くぞ」
無視ですか。
内心ツッコミを入れたが残念にも顔に出ていたようで、寝てるお前が悪いと呆れ半分にぴしゃりと言い放たれた。朝から手厳しい。
「・・・どうやったら立ったまま眠れるんだか」
「答えはドア脇のスペースと長椅子の手擦りに軽く凭れ掛かっているからです」
「答えになってねーよ」
食い気味に突っ込まれ、凭れ掛かるなと注意を受けた。彼の言う事は正論だしもっともな言い分だが、素直に言う事を聞く程私は出来た人間ではないので、そっぽを向いてシカトを決め込む。が、焦凍が頬を摘まんで来たので勢い良くごめんなさいと謝った。幼なじみ怖し。
「入学式くらいシャキっとしろ」
「いえっさー」
ふざけてんのかと言いたげな冷めた瞳で見下ろされている気がするが、笑ってスルーしておいた。
身が凍えてしまいそうな彼の視線には慣れているし、いちいち気にしていたら精神的に持たない。うん。
カーブにさしかかったのか、電車が揺れる。瞬間、眉間に皴を寄せ顔を顰めた焦凍。
それはほんの瞬きの出来事だったけれど、それに気付いて思わず指先を彼の首筋に伸ばす。
あと少しで首筋に指先が届きそうな所で、このまま触れて良いのか、唐突に不安が押し寄せてきて、ぴたりと動きを止めた。
触れるのを躊躇うように私の手は宙を揺蕩う。
気遣わしげな私の表情を見たのか、焦凍が瞳を細め、儚くも柔らかい微笑を浮かべた。
「・・・ごめんね」
引っ込めようとした所在なさげな私の手は、彼に引き戻されるようにして掴まれた。するり、と。自然な動作で指先を絡め、指の隙間を埋めていくようにゆっくりと握り締められる。
謝る私に焦凍は何も言わず、音もなく私の手を包みこむ。
優しさの滲むそれに、なぜだか胸が苦しくなった。
言葉はなくとも、力強い彼の大きな手が大丈夫だと言ってくれているようで、胸の奥がじんわりと温かくなると同時に、彼の優しさに胸が苦しくて。彼の視線から逃れるように顔を下に向けた。
思わずもう一度ごめんね、と。謝ろうと思って、逡巡したのち口を閉じる。
・・・また謝ったら焦凍はきっと、怒るよね。
こういう時、私は謝る事しかできなくて。けれどそれを口にすると、焦凍は今みたいに否定も肯定もせず、いつもただ黙って身を寄せる。
視線や、表情で、私の罪悪感を解いていく。
駅に着いたのか電車の扉が開く。
降りるぞと上から聞こえたいつもの素っ気無い無愛想な声に頷き、繋がれたままの手を引かれた。
繋がれた手からじわじわと伝染していく彼の熱を感じながら、真っ直ぐに前を見据える彼を一歩後ろから眺める。
・・・ごめんねがダメなら、せめてありがとうってだけでも伝えたい。
視線をゆっくりと繋いでいる手に向けて、勇気を振り絞るようにぎゅっとその手に力を込める。
「いつもありがとう、焦凍」
流れるように降りた駅は喧騒に包まれていた。
・・・聞こえなかったのかな・・・。
一歩前を歩く彼に私の声は届かなかったのか、何の反応も示さない。先程と変わらず凛とした姿で前へと進む。私の言葉は一瞬にしてかき消されたようだ。
私なりに頑張って素直に伝えた言葉が空気と混じりあって消えてしまい、ほっとしたような、何処か残念なような、そんな複雑な気持ちが零れるように溜息が出る。
その瞬間、繋いでいる手を微かに強く握り返してくれた気がして、思わず彼を見つめた。
しかしやはり彼は前を見据えていて、・・・私の勘違いかな?
だけど繋がれた手は電車から降りてもそのままで、むしろ先程よりも隙間なく絡まりあっているような気がして、思わず微笑が零れた。
どうやら私と焦凍はお互いに不器用な性格らしい。