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てんせいもののはなし

私、春霞佐保は剣術の相手をして欲しいと食い下がってくる、五月蝿い幼なじみの執拗な追随から逃げていた。逃げに逃げ回って中庭の端にある大きな木に登って、気配を殺して身を潜めるくらいには本気で逃げていた。

遠くから私を呼ぶ声が聞こえる。
次第にその声は近くなってきて、仕舞いには「何処にいるかは大体見当がつくから諦めなよー」とか「僕が佐保を見つけられないわけないでしょー」とか怖い発言を飛ばしてくる幼なじみに身震いする。

ひとりでに手で口を押さえて、息をするのも躊躇うように限界まで小さく呼吸をする。「1回だけでいいから付き合ってよー」と聞こえてくる声に嘘付けと心の中で悪態を吐いた。
1回とか言いながら毎回自分が納得するまで永遠と相手をお願いしてくるくせに!絶対に相手になるもんか!

まじで見つかりたくない。見つかったら終わりだ。面倒な事に巻き込まれるのは目に見えてる。分かってて捕まるなんて私には出来ない。無理だ。ぶるぶる。思わず震えた腕を収めるように片手で抱き締めた。

私を呼んでいた声が傍でぴたりと止み、冷や汗が流れる。
・・・ど、どうか見つかりませんように・・・!

祈るようにぎゅっと目を瞑った瞬間、ぐらりと、体が傾いた。

あれ、と思った時には浮遊感を覚えて、視界は青々とした緑と、清々しい青空で支配された。
次に来るであろう衝撃に備えてぎゅっと目を堅く瞑る。



「―――佐保?!」



意識が薄れていく中、最後に聞こえたのは幼なじみの声だった。







物心がついた時から、ふとした時に妙な既視感を私は感じていた。
それを人に聞くこともあったが、既視感を感じた事があるのは私だけではないことを知り、それ以上の追求や深くそれを考えた事はなかった。

時は流れ私が十を過ぎた頃、それは突然顕著に現れ始めた。既視感を感じる頻度が増えたのだ。
忘れかけていた妙な既視感の遭遇率が此処最近で格段に増えたため、思わずそれを幼なじみに相談したこともあった。・・・が、しかし彼は心配する所か「頭でもぶつけたの?」と言わんばかりに失笑してまともに取り合ってくれなかった。失礼な奴だ。

時間が経つもその既視感が薄れる事はなく、むしろ次第にそれは強く鮮明に感じるようになった。時には酷い頭痛とともに体験した事も、見たこともないはずの光景を懐かしく思うようになり、気持ちが追いつかなくて私は酷く戸惑うようになる。

気のせいだと自分自身に言い聞かせ、考えを溜息と共に日々吐き出していたのはまだ記憶に新しい。
気にかけてくれる皆に心配をかけまいと出来るだけ考えないようにしようとしても、その頻度があまりに多すぎて私の精神は限界を迎えようとしていた。

このままでは私が持たない。精神衛生上よろしくない。
さすがにどうしたもんかと思案していた頃、唐突に転機が訪れ、その悩みは解消される事になった。

木から真っ逆さまに落ちた事で全てを思い出したのだ。
ここは『乙女ゲーム』の『薄桜鬼』という世界で、前世では20代のフリーターだった私が、この世界で『春霞佐保』として転生したのだと。




「―――佐保」


名前を呼ばれ、重たい瞼をゆっくりと開けて顔を横に傾ける。
思考を止めて声のした方を見ると、気遣わしげな表情を浮かべた総司と目が合って、声の主が総司だと理解した。

けれど全て思い出したとはいえ、ゲームの人物をいざ目の当たりにすると、息を止めてしまうくらいには頭の中は混乱状態で、勢いよく体を起こすと、ズキンと頭に鈍い痛みが走った。思わず「うおお・・・っ」と野太い悲鳴が口から洩れる。



「可愛げのない声」



急に起き上がるからだよ。と面倒くさそうに私の頭を撫でる総司。口では面倒くさがりながらも、私を撫でるその手は優しさをおびており、とても温かい。痛みを和らげようとしてくれているのだろうか。

俗に言う痛いの痛いの飛んでいけーに激しく悶えた。
そして同時にこれは夢ではなく、現実なんだと知らし召される。



「・・・総司だよね?」

「は?・・・そうだけど、僕を見て他の誰だと思うの?」



確かめるように尋ねると、胡乱気に吐き捨てる総司。・・・あれ、ほっぺた切れてる。
頬に触れようと手を伸ばしたら、ぺしりと叩かれた。痛い。やっぱりこれは夢ではないらしい。



「・・・叩かなくても」

「ごめん、目潰しされるかと思って思わず」

「ええ・・・、嫌がられてないなら良いか・・・」

「感想がそれ?もっと他に気にするところがあると思うんだけど」



暗に目潰しの事を言っているのだと思って首を傾げた。そして思い出した。
そういえばこの間、着替え中の時に総司が声も掛けずに部屋の襖を開けて、そのままフリーズしてたから記憶を抹消させようとしたんだっけ。

思い出したけれど私の中では抹消された事なので、気にせずもう一度手を伸ばした。
今度は触れることを許してくれたので、躊躇いなく頬に指先を滑らせる。・・・なんかの引っかき傷かな?

労わるように指先で撫でてふと気付く。私の人差し指の爪が割れていることに。



「・・・ごめん、私がつけた傷だよね」



木から落ちる時、切羽詰った総司の声が聞こえたのを覚えている。
地面と衝突する覚悟をしていたが、ぶつかる気配はなく、代わりに感じたのは誰かに抱きとめられた感触。
きっと総司が木から落ちた私を受け止めたんだ。

頬の傷はきっと私を受け止めた時に出来た傷。



「目潰しに比べれば全然マシだから」



にこっと微笑む総司に、思わず苦笑で返す。まだ掘り返すか。



「佐保も目が覚めたことだし、行こう」

「行く?どこに?」



場所を移動するのは全然構わないのだが、如何せん前世の事を思い出したばかりなので、少し頭の中と気持ちを整理させたい。
いつものような総司とのやり取りをしていたおかげで忘れそうになっていたが、これは私にとって大事な事でありとても重要な事である。



「何処って・・・・・・、」



もったいぶった口調で柔らかく弧を描いた唇に、ひゅっと喉が鳴った気がした。
逃げろと本能が告げている。

そんな気がしてじりじりと後ずさる様に総司から静かに距離を取ろうとした。
けれど総司はそれを見抜いていたのか、すぐさま私の手首を掴み、離さないとばかりに満面の笑みでぎりりと力強く握った。

―――逃がすか。
口では何も紡いでいないのに、まるでそう言われているかのようで、思わず冷や汗がたらりと頬を伝う。



「道場に決まってるでしょ?」

「おかしくない?!私木から落ちたんだよ?!総司はそれを受け止めたんだよ?!」



なのに剣術の稽古をするとかありえないと思うんですけど・・・!ここはひとつ安静にしておくべきなのでは?!
遠まわしに誰が行くか!と伝えているのだが、だから?とでも言いたげに変わらず笑みを浮かべている。なんと恐ろしい幼なじみだろうか。



「なんかちょっと勘違いしてるみたいだけど、佐保を受け止めたのは近藤さんだよ」

「え・・・っ、そうなの?」



じゃあその頬の傷は・・・?

顔に出てたのか、総司は続けて、



「この傷は猫に引っかかれたやつだよ」

「ね、猫・・・?」

「そ。近藤さんはピンピンしてるし、佐保も診てもらったけど怪我とか何もないってさ。木から落ちて驚いたのか意識は失っちゃったみたいだけど、健康体そのものだって。よかったね」



ぜっんぜん良くない・・・!不謹慎な事を言うといっそのこと怪我しときゃよかった!
これじゃ散々必死に逃げた意味がないじゃん!


「・・・あ!そういえば私、胴着とか洗濯に出しててないんだよね!!」

「佐保の部屋の押入れの奥に隠してあった予備を持ってきたから大丈夫だよ。それと意識失ってる間に道具は全部揃えてそこに置いてあるから。心配せずとも大丈夫だよ」

「・・・・・・っ」



全然大丈夫じゃないよ・・・っ!
ぐうの音も出ない用意周到っぷり!怖すぎる!

っていうか勝手に部屋に入るな!漁るな!

思わずジト目で睨むも何処吹く風とにやにやしてる総司。どついてやろうか。
いや、いっそのこと思いっきりどつかなければ、コイツのこの性格直らないのでは?

そう考え直して臨戦態勢に入ろうとした瞬間、開いていた部屋の襖から律儀にも声を掛けられた。



「佐保、ちょっと良いか」

「土方さん」

「具合はどうだ?」

「全然大丈夫ですよ。何処も怪我はないです」



日の光に照らされて光る絹糸のような髪をなびかせながら、部屋に入ってきた土方さん。
腰を下ろす気配がないので、座って下さいと促すも、軽く手で制されそのまま腕を組む。どうやら長居するつもりはない様だ。

ちら、と顔を見上げる。ゲームをしている時も常々思っていたが、本当に綺麗な人だ。実際に拝顔してみて改めて実感する。彼の美しさは浮世離れしていると。襖から洩れる日の光のせいか、逆光で彼が神かなんかに見えてしまうくらい、非現実的な端整な顔をしている。
立っているだけで絵になる人って、本当に存在するんだ・・・。なんて考えて、ほうっと、感嘆の息が洩れた。

絵師さん、土方さんを生んでくれてありがとう。
心の中で合掌しておいた。



「どうしたんです?」

「道場の方にちと来客があってな。相手をお前に頼みたい」

「私ですか?」



何故?と問おうとして、口を噤む。少し逡巡した後、納得してしまったからだ。
厳密には違うけど近藤さんと土方さんは上の人というか、おいそれと感嘆に試合に出すわけにはいかない。まず他の人を相手に出し、相手の実力を見定める。
けれどわざわざ私に頼むという事は、実力がそれなりにある人。

こういう時、総司は真っ先に除外だ。理由は簡単、相手に容赦がないからだ。総司にぶちのめされた相手の数は仲間内を含め数え切れないほどだ。土方さんが総司を出す事はまずありえない。
・・・以上の理由から仲間内からも畏怖されている総司に練習相手なぞいるわけもなく、いつも彼は私を指名してくるのだ。

とんだとばっちりである。

しかし、総司の相手を務める事が出来るのは私以外にもう一人いる。それが一さんだ。
彼は総司と同等かあるいはそれ以上。実力は申し分ない。相手役にしても総司よりかは手加減してくれるし、ほどほどに相手を打ちのめしてくれるので、接待には適任だ。

けれど今回は適任である一さんではなく、私に頼んできたという事は、一さんは今、所用か何かでいないのだろう。



「一さんはいつ頃戻られるんですか?」

「実は既に数人相手をしていてな」

「あー・・・準備運動は既に済んでいる状態、ということですね。だから私が・・・」

「土方さん、なんでそこで佐保なんです?僕がいるじゃないですか」

「寝言は寝て言え」



眼光鋭く睨みつけられても、怯むことなくむしろ不服そうに睨み返している総司に、内心ひやひやの私。
あの睨みに怖気づかない所は素直に尊敬するが、慣れていない私にとっては心臓に悪い。無駄に空気悪くなってるし。



「すぐ準備して向かいます」

「無理させてすまないな。助かる」



重苦しい空気を断ち切るようにそう伝えると、土方さんは微笑を浮かべ早々に部屋を出て行った。
彼の背を見送った後、はあ、と深く溜息を吐く。



「もう、いちいち土方さんにつっかからないで。空気が悪くなる」

「えー、どこが?」

「分かってて言ってるのが本当に・・・」



性格悪い・・・。

呆れすぎて最後まで言葉を紡げなかった私は、再度溜息を吐いた。