空白の5分間



「あれ、ちょっと待ったあ!!!!やだ消えちゃった!?」

静かなオフィスに響き渡る私の声に近場にいた社員たちの視線を集めた。
パソコンで書いていた図面が急に画面から消えてしまい思わずそんな声をあげた。
慌てている私に、斜め後ろの席から音もなく立ち上がった後輩の冨岡義勇がスッと横に来て顔を覗き込む。

「どうかしました?」
「冨岡くん。それが、図面が消えちゃって、」

画面を眺めた冨岡くんはマウスを掴んでいる私の手に触れるようにしてマウスを奪うと「これか。」聞こえた声はすぐ近くて、トクンと心音が増すのが分かった。
私の椅子の背もたれに腕を置きながら前屈みで画面を見ているから、右側に冨岡くんの綺麗なフェイスラインがほんのりチラついて見える。
カチカチって何度かマウスを動かすと、ポコンと目の前の画面に先程消えた図面が上がってきた。

「たぶんこのボタン押したんだと思います。」
「たはは、そうかも。ありがとー冨岡くん。助かった!」

ぺこりとその場で頭を下げると緩く微笑んで「珈琲奢ってください、後で。」ちゃっかりした言葉が飛んできた。

そして軽く触れている背中にまた、トクンと心拍数があがるんだ。

「冨岡さん、あたしのパソコンも見てくださぁい!」

向かい側、女子社員からの甘ったるい声に…すぐに絡んでいた視線を逸らした冨岡くんは小さく息を吐き出すと、ポンと一つ私の肩を撫でてからそちらへ歩いて行った。
冨岡くんがそちらに行くとすぐに聞こえる猫なで声に内心イラッとしながらもすました顔で仕事を進める。

はぁ〜なんだかなぁ。

美顔のイケメン冨岡義勇は、社内でも人気男性社員ベスト5に入るモテ男だった。


あれから順調に図面を完成させた私は一息つこうと席を立ち上がると、横目で昼休憩前にフライングで出て行く女子社員達を見送る。
だけれど次の瞬間、「先輩、お茶出しお願いできますか?」冨岡くんが申し訳なさげに私に声をかけた。
総務の女の子達は揃って今程出て行ったのを分かっていて私に頼んできたんだろうって。
見ると、冨岡くんの数メートル後ろに二人ほど取引先の顔が見えた。

「この時間しか取れなくて。」

確かにこんなお昼時に来客なんてどうかとも思う。
けれど私はちょっと踊る心を隠しきれず、それでも精一杯のすまし顔で「いいわよ!」冨岡くんの肩を叩いて給湯室へと急ぐ。
本来設計部の私がお茶出しはしないけれど、人がいないとなれば仕方ない。
他の誰でもない冨岡くんの頼みなら尚更だ。

「失礼します。」

お盆に人数分の麦茶を乗せて打ち合わせをしている会議室のドアをあけた。
ホワイトボードを使って説明をしている冨岡くんが小さく会釈するから私もほんのり頭を下げて取引先のお客様に麦茶をだす。

「失礼しました。」

頭を下げて退出した。
ドアを閉めても聞こえてくる冨岡くんの低い声にトクンと胸が脈打つ。
ずっとここにいる訳にもいかないけれど、しばらくの間聞いていたくなる、そんな気分だった。







「外出?」

15時をすぎた頃、デスクの斜め前にある衝立の向こう側にある社員の予定ボードの前に来て、外出の行先をペンで書いてる冨岡くんに声をかけた。
今日は朝からずっと忙しそうで、お昼をとる時間もなかったんじゃ?

「はい。我妻だけじゃ心配で、少し顔出してくるだけです。」
「そっか。気をつけて!」
「…先輩。」

小声で私を呼ぶと冨岡くんは一歩だけ近寄って衝立の向こう側から私に言うんだ。

「帰ってきたら珈琲奢ってください。さきほどの。」

…それは冨岡くんが帰るまで待ってろと?
目を見開いて固まる私の頭をポンと一つ撫でて「行ってきます。」小さく言うと腕にかけていたスーツの上着をファサっと羽織った。

「暑いな、今日も。」

そんな声と共に設計部フロアからカツンと靴音を鳴らして出て行かれて、こっちは緩みそうになる頬を誰かに気づかれないように必死だった。

「あー冨岡さん外出しちゃったよぉ、つまんない!」

そんな女子社員達の声すら今は気にならない。
俄然やる気になった私は冨岡くんが戻ってくるのをひたすら待つことにした。

―――ものの、定時を過ぎても一向に帰ってくる気配すらなくて。
我妻くんのフォローだけで戻るって行ってたけど、なんかあったのかな?
そう思った時だった、悲鳴嶼さんのデスクに回された電話に外線を回した派遣の子が「冨岡さんめちゃくちゃ怒ってました。」なんて声。
気にならないわけがない。

思わずLINEを開いてメッセージを打とうとすると、ちょうどあちらも打っていたのか、そこにメッセージが表示された。

【我妻の馬鹿が、取引先の女に手出してて。あ、騙されてたらしいけど、それでも散々怒られた。なんで俺まで…。疲れた、逢いたい早く。】

…な、なるほど。
無駄に怒られたんであろう冨岡くんをちょっと不憫に思うものの、最後の一言に胸がキュンとしてしまう。

【それは大変だったね。大丈夫?…会社で待ってるね。私も早く逢いたいです。】

…自分で打った文章に赤面してしまう。
いつだって真っ直ぐに気持ちをぶつけてくれる冨岡くんは、みんなに内緒の私の年下彼氏だ。

人気者の彼が、年上女と付き合っているとバレたら色々煩く言う人もいそうだと思って、私がこの関係を秘密にしている。
だから会社では普通の先輩後輩を装っているし、仕事以上に絡むことは避けている。
誰も私たちがこんな風にLINEをする中だなんて思ってもいないだろうと。







カタンという音に顔を上げると疲れた顔の冨岡くんがホワイトボードの文字を消しているのが目に入った。

「あ、お帰りなさい。」
「ただいま。」

そう言った冨岡くんは、私に向かってなのかその場で両手を広げて待っている。
まさかとは思うけどここでその腕の中に飛び込めと?
苦笑いで「我妻くんは?」そう聞くと無言で首を横に振る。

「チャージしなきゃ無理。」

そう言うとちょっと強引に私の手首を掴んでふわりとその胸に抱きしめられた。
間近に感じる冨岡くんの息遣いに心拍数も上昇。

「生き返る、マジで。」

ボソッと呟く冨岡くんの柔らかい黒髪をそっと撫でるとゴクリと生唾を飲み込む音がした。
そのすぐ後、「あのさ、」小さく言うと冨岡くんが私をゆっくりと離して距離をつくる。
キョロキョロと辺りを見回すと今度は私の肩を手で押して壁に背をつける。

「冨岡くん?」
「先輩が煽った。」
「あ、煽ってないわよ、」
「分からないでやるなんて、もっとダメ。」

クイッと指で顎をあげ、ド至近距離の冨岡くんが目を閉じるのと同時そこに小さく重なる唇。

一度触れてしまえばずっと抑えていた理性なんてすぐに何処かに消えていく。
触れ合う時間が一度目より二度目の方が長くて、二度目より三度目の方が長くなっていく。
狭い場所で身動きが取れず、壁につけている背中で不意にパチンとフロア内の電気を消してしまった。

暗闇の中、壁に掛かっているデジタル時計は21時を指していた。

「…癒される。」

ぎゅっと私を抱きしめて肩に顔を埋める冨岡くんの髪をまた撫でると首元に舌を這わせるからビクンと身体が跳ね上がるような気分で慌てて胸を押して距離をつくった。
それに対して完全に不満顔で眉毛を下げている冨岡くんも可愛いっちゃ可愛いんだけれど…

「これ以上はここではダメ!」
「…分かってる、分かりたくないけど。あークソッ!」

彼らしくない荒々しい言葉遣いにすら、トクンと心拍数があがる。
ここんとこ冨岡くんの仕事も忙しくてなかなか二人でゆっくりする時間もとれなかった。
だから正直なところ私もこの行為だけじゃ物足りない。

「じゃあ後5分だけキスして?」

私だって悔しい。このまま帰るなんてできない。
もう誰も社内に戻る人はいないし、後5分だけこの温もりを感じていよう。

嬉しそうに笑う冨岡くんの唇が甘く私に舞い降りた―――――。



-fin-

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