一方通行な矢印

大人になってからの恋って、こんなにも辛いものだったんだっけ?少し前の恋すら思い出せないくらいに不死川主任への愛は大きいのだろうか。色褪せない恋なんてものは、もしかしたら無いのかもしれない。

煉獄さんに好きだと言われた。何かの間違いだと言えないくらいにハッキリとフルネームで私を好きだと言った煉獄さん。あの後ハルと七海さんがお店から出てきた私たちを見つけて、煉獄さんは私を離した。
「今は答えは求めないよ。君に…ゆき乃に伝えたいと思っただけだ。ゆき乃が辛い時、悲しい時は俺を頼って欲しい」…そんな言葉貰っていいわけないのに。
浮かんだ愛莉の顔に、何も答えられるわけがなかった。

「不死川主任は、愛莉の事が好きみたい」
「え、そんな…」

眉毛を下げて私を見つめるハルは、温かい紅茶を私に入れてくれた。ここはハルと七海さんの住んでるマンション。私を一人で帰すことなく連れてきてくれた。少し前の定例会で不死川主任を好きだと宣言した私。現実なんてうまくいかないことのほうが多い。それを目の当たりにして弱気になりそうな自分がいる。

「愛莉は煉獄さんが好きで、その煉獄さんに好きだって言われちゃったよ私。すごいね、全員片想い…誰も報われない…」
「愛莉が煉獄さんを好きなのは薄々気づいてた。仕事の面でも尊敬しているみたいだし、愛莉の口から煉獄さんの話聞くことも多かったし、きっと好きなんだろうなって思ってたよ。え、あの一緒の撮影に行ってから?」

ハルがソファーに座って側に置いてあった丸いクッションを抱きしめる。私も同じように自分の方に置いてあった色違いのクッションを抱きしめた。七海さんのとハルのクッションって感じで可愛らしくて羨ましくて、辛い。顔を埋めて目を閉じると浮かんでくるのは変わらず不死川主任。いつだって目を閉じれば私の脳内は不死川主任で支配されている。そこに煉獄さんの入る隙は一ミリもない。だから告白された所で答えなんて出ていた。

「分からない。でも、愛莉達はそうなのかも。あの後から不死川主任と愛莉の距離が近くて…もしも愛莉が不死川主任を好きになったらどうしようって…そしたら私、」

続く言葉は口に出せなかった。独りぼっちになってしまう…と。愛莉が不死川主任を好きになったとしたら、間違いなく私は邪魔者だ。だからといってじゃあ煉獄さんを好きになります…なんて事できないし、それこそ煉獄さんに対しても失礼だ。
どうして神様はこんなにも意地悪なんだろう。ちょっと矢印の向きを変えてくれるだけで、私達は幸せになれるのに。ほんの少し、不死川主任と煉獄さんの矢印を反対にするだけでいいの。後は自分で頑張るから。顔を埋めて肩を竦める私の隣りにギシッと聞こえた音と、ほんのりソファーが沈む感覚でハルが移動したのが分かった。

「ゆき乃、頑張れ!ゆき乃の魅力はわたしがよく分かってるよ!勿論愛莉もすごく素敵だと思う。でもきっと伝わる!ゆき乃の本気、不死川さんにきっと伝わるよ!こんなとこで諦めるゆき乃じゃないでしょ?わたしが建人さんとこうしていられるのは、ゆき乃のお陰だよ!ね!」
「ハル…。うんそうだよね。まだできる事いっぱいあるよね」
「うん!誰も傷つかない恋愛なんてないんだと思う。愛莉の事はわたしもアイスもフォローする!だから頑張れゆき乃!」

持つべきものは愛すべき友人だと思う。辛い時、傍にいて欲しいのは、恋人だけではないと。逢いたいと恋焦がれる人だけではない。同じ時間ときを過ごして分かち合ったかけがえのない仲間がこうして勇気を与えてくれる。顔を上げた私は手を伸ばしてミルクたっぷりの紅茶を啜った。

「美味しい」

それは、甘くて濃厚でハルの愛情がたっぷり含まれている優しい味だった。
片想いをしているのはみんな同じだ。愛莉が不死川主任を好きになる前に、不死川主任に私を好きになって貰いたい…そう願うんだ。





「おい一ノ瀬、そろそろgirls holidayの記事俺に寄越せ。チェックするからァ」
「はいっすぐに」

〆切間近の金曜日、今日は愛莉とハルとアイスと私の4人でいつもの定例会が開催される。ちゃんと愛莉と話したいと思うも、煉獄さんに好きだと言われた事が引っ掛かって愛莉の顔すらまともに見れずにいた。でもこればっかりはどうしようもなく、なんとか愛莉に分かってもらいたいと思って今日の定例会に参加する事に決めた。それをグループLINEで伝えると、私の返事を待っていたのだろうか、それから数時間後に愛莉も参加する…ときて、少しホッとしたんだ。このまま気まずいままでいるのは嫌だった。でも愛莉の性格上、かなり無理して私に合わせてくれたんだろうって思う。

「不死川主任、今送りました!確認お願いします」

パタパタと不死川主任の席まで行った私はデスクの前で止まって頭を下げる。やっぱり煙草の吸殻は無くて…「あの主任、禁煙してるんですか?」軽い気持ちでそう聞いた。脚を貧乏ゆすりでガタガタさせていた不死川主任は私の言葉に視線を上げてこちらを見た。手持ち無沙汰で先日の私と同じようにペンをカチカチ出し入れする不死川主任は正直ちょっと可愛い。顎を撫でるように触った後、「まぁなァ」そう言いながらも視線はPC画面に既に戻っている。

「川谷に臭せぇし身体によくねぇって言われてなァ…」

まるでそこに愛莉を思い浮かべているような優しい口調でそんな事を言う不死川主任にチクリと胸が痛む。確かに愛莉なら言いそうだと思った。そしてその本音はヘビーな不死川主任を心配しての事だと。優しい愛莉の考えそうな事だと思えた。ーー思えたんだけど…

「愛莉の言う事は随分素直に聞くんですね」

私がいくら言っても禁煙のきの字も出てこなかった不死川主任。それが愛莉のたった一言でそんなにも変わってしまうんだ…と思うと、私の不死川主任を好きな気持ちよりも、不死川主任の愛莉を想う気持ちの方が大きいのかもしれないなんて、不安になる。「好き」の気持ちなんて量れるものではないのに、私は自分の「好き」が一番大きいに違いないなんて思ってしまっていた。

「あ?」

ギロリと不死川主任が私を睨みつけている。今は仕事中で雑談している場合じゃない。分かっているけど心のモヤが取れなくて。

「愛莉は、他に好きな人がいますよ。いくら主任が愛莉を好きでも、」
「出て行けェ、クソったれ!!!!」

ドンッとデスクを叩くのと同時、私を追い出す言葉に唇をぎゅっと噛み締めて「失礼しました」くるりと背を向けて編集部から出て行った。
心臓がバクバクで、手で胸をぎゅっと押さえ付ける。怒鳴りつけた不死川主任に周りのみんなが吃驚して一瞬私を見たけれどきっと仕事の事で怒られているとでも思われたんだろう、次の瞬間にはみんなは自分の仕事に意識を戻している。
言わなきゃよかったなんて思っても一度口に出してしまった言葉は二度と取り消すことができない。地雷を踏んだって分かってる。でも悔しかった…愛莉の言葉にだけ素直に応じた不死川主任が。自分の存在を全否定されたような錯覚に陥ってしまった私は、涙を堪えて本館の1階に位置する資料室へと入って行った。

他の出版社の雑誌や新聞など、自社の書籍の他、自由に使えるPCだったりデスクだったりが置いてあるここは、地下の書庫も合わせてほとんど人が寄り付く事の無い穴場と化していた。だからめちゃくちゃ眠たい時にここに来て資料を集めるフリして仮眠を取った事も何度かあり、誰も来ないと分かっていてここに来た私はデスクに顔を埋めてそれでも声を殺して泣いた。

「…あんな事言わなきゃよかった」

目を閉じて小さく呟いた独り言は、誰の耳に入ることなく消えていく。今日は就業時刻までここで過ごしてやろうかと思ったのに…「一ノ瀬?」聞こえた声にドクンと胸が高鳴った。

「…煉獄さん」
「古い資料を探しに来たんだが、どうした?」

一つ息をついて私の横の椅子を引き寄せて座った煉獄さんは、ふわりと髪を優しく撫でた。
弱っている時に会いたくなかったと心の中で思う。
静かなここは、私と煉獄さんしかいなくて、人の足音も雑音も何も聞こえない。ただ時計の針がカチカチと動いている音だけが耳に入る。

「なんでもないです」

顔を上げて背筋を伸ばす私はわざとらしく欠伸をして「仮眠してただけです」腕をピンと伸ばして大きく伸びをした。ついでに首もコキコキと鳴らして軽いストレッチを試みる。

「ならこの涙の跡はなんだ」

ムンと両頬を煉獄さんに包まれて、目の下を親指の腹で二度ほど擦られる。嘘も誤魔化しもきかない煉獄さんに、泣きたくなんてないのにまた止まりかけていた涙が溢れてしまいそうだった。だから無理やり彼の腕から離れて髪で顔を隠す。

「気のせいですよ」
「言ったろう。辛い時は俺を頼れと。ゆき乃…こっちを向け」

離した顔をまた煉獄さんの温かい両手で包まれた。呼び捨てで呼んでいいなんて言ってないのに、二人きりの時だけ名前で呼ぶのズルくない?嫌でも意識しそうになってしまう。

「離してください」
「断る。何があったんだ?また、不死川か…」
「…煉獄さんには関係ないです」
「そうだな。だが君が泣いているのは見過ごせまい。俺はゆき乃が好きなのだから」
「私は、好きじゃないです」
「今は、な」

…ふわりと煉獄さんが私を抱きしめる。絶対に泣くもんかと歯を食いしばって、込み上げる涙を何度も飲み込んだ。
だけど不意に脳裏に浮かんだ愛莉の顔に、愛莉が泣いていた事を思い出して、私は彼の想像以上に分厚い胸板を掌で押して距離を作った。

「戻ります…」

何か言いたげな煉獄さんの瞳から視線を逸らして私は小走りに資料室の大きなドアを開けた。
だけどそんな私の目に飛び込んできたのは大きなドアに背中を預けて腕を組んでいた不死川主任。
ーーもしかして、追いかけてきてくれたの?

トクンと胸が大きく脈打った。

「不死川主任、」
「…さっきは悪かった。ついカッとなっちまって…その、悪かった」

視線は合わない。でもこうして追いかけて来てくれた事が何より嬉しくて私は左右に首を振る。

「私も、すみませんでした」
「ただ分かった事がある」
「え?」

そこまで言うと、不死川主任は一度言葉を止めて身体事私に向き直った。三白眼が私を捉えるとこう続けたんだ。

「川谷が泣いてる理由がやっと分かった。なぁ一ノ瀬…お前真剣に考えてやれよ、煉獄のこと。アイツは良い奴だァ俺が言うのもなんだが。一ノ瀬みたいな気の強い奴には煉獄みてぇなオトコが似合ってるんじゃねぇか」

ポンとまるで背中を押すように私に触れた不死川主任は、それだけ言うと私をここに置き去りにして戻って行った。
意味がわからない。いや、理解できない…
うううん、言ってることは分かったけど、気持ちが追いつかない。
不死川主任の言った言葉が頭の中で木霊している。
完全に眼中にないと分かってしまった。
私が煉獄さんとうまくいったら、愛莉はどうなるの?…愛莉は自分がいるから大丈夫ってこと?

「うっ、ッ…」

止まったはずの涙が堰を切ったように溢れてくる。ドアに背をつけたままズルズルとその場に座り込む。動くことができなくて、せっかくの定例会にも行けるわけがなかった。