シャワーを浴び終わった私は、白いコートのようなバスローブに身を包み、ベッドに腰掛けていた。浴室の扉の向こうからシャワーの音が聞こえる。
何をしているんだろう、と自身を鼻で笑うような溜息を吐く。ここは、会社からほど近いシティホテル。雨でびしょ濡れになった私を、この場所に連れて来たのは不死川さんだ。否、それではまるで不死川さんに無理やり連行されたみたいな言い方だ。違う。私は今、自分の意思でここにいる。
ゆき乃が怒るのも分かる。私は最低だ。煉獄さんがゆき乃のことを好きなのはゆき乃の責任でもなんでもないのに、私はただ、自分が苦しくて悲しくて気持ちのやり場がなくて、不死川さんの優しさに甘えてしまった。
追い打ちをかけるように不死川さんに恋愛対象外宣言をされたゆき乃の気持ちを考えたら、私は彼女を追わずにはいられなかった。不死川さんの手を振り払い、オフィスのロビーを飛び出しゆき乃を追って目にしたものは、キスする二人の姿だった。あたり一面が白っぽく見えるほどの猛烈な雨だったが、二人の姿だけは、その場所だけスポットライトが当てられているかのように、はっきり視界に捉えることが出来た。
——間に合ってよかった。本当によかった。もう安心だ、君を一人にはしない。俺がずっと傍にいる。この先ずっと
キスの後、煉獄さんは確かにゆき乃にそう言っていた。きっと罰が当たったんだ。不死川さんに縋ってしまった私に、神様が制裁を加えた。当然の報いとして、心ならずも現実を受け入れるしかない。
ふと、シャワーの音が止まっていたことに気がついたとほぼ同時に、浴室の扉を開ける音がした。お揃いのバスローブに身を包み、バスタオルで頭をがしがしと拭きながらこちらに歩み寄ってきた不死川さんは、ドライヤーで乾かしたにもかかわらず、まだ少し湿っている私の髪を掬った。
「…寒くねぇか」
「……不死川さん…酷い」
私の髪を掬う筋張った手が頬に触れてしまいそうで、胸が痛いくらいどきどきする。バスローブからちらりと覗く鍛え上げられた胸板が目に入って、頬が燃えるように熱くなり、堪らず顔を逸らす。
「酷い?」
不死川さんは眉根を寄せて呟くと、私の横に躊躇なく腰を降ろした。ベッドが微かに軋む。
「…ゆき乃にあそこまで言う必要があったんですか。だって私…不死川さんと付き合うなんて言って——」
全てを言い終える前に、噛みつくような口付けで言葉を封じられてしまう。そのままベッドに押し倒されて、ざらりとした舌が私の唇を無理やり抉じ開けて口内に侵入してくる。
「んっ…んんぅ」
合わさった唇からくぐもった声が漏れる。だめ。だめなのに。けれども私は、本気で不死川さんのキスを拒むことが出来ない。
脳裏にゆき乃と煉獄さんの姿が過って、切り傷が風に触れるみたいに胸が痛む。私は、虚しさを、この胸の痛みを、不死川さんで埋めて欲しいと思っているんだ。だからこうして、抵抗なく彼のキスを受け入れている。
「はぁっ…し、なずがわ…さ…」
散々口内を蹂躙され漸く唇が離れると、私は息も絶え絶えに言う。
「俺とここに居る時点で…川谷も同罪だろォ。…酷いのはどっちだよ」
「っ…酷い…そんな言い方」
「一ノ瀬のことも、煉獄のことも…もう忘れろ。…もう俺のことだけしか、考えんな」
低い声で囁かれ、背筋がぞくりとする甘い息が耳朶を撫でる。
「不死川さ…だめっ…ゃっ…」
「愛莉…」
彼の口から初めて私の名前が紡がれて、首筋をじゅっと吸い上げられる。ねろりと舐め上げられ、首筋の柔らかい肌を、ぬるぬるとした舌の感触が移動していく。ふっと全身の力が抜け、子宮が恋をしたみたいにきゅうと締まった。
「あっ…んぅっ…」
湿った声が唇から零れる。くすぐったくて肌が粟立ち、突き出した頤が震える。
不死川さんは私のバスローブの紐をいとも簡単に解くと、露わになった乳房に手を這わす。男性らしい指先に、硬くなり始めた乳首を刺激されると、腰がびくんと跳ねて甘ったるい声が漏れた。
「ぁっ…ん…不死川さん、だめっ…やっぱり私」
「…そんなエロい顔で言われても…説得力ねぇなァ」
「なっ…なんでそんな意地悪ばっかりっ…」
いくら寂しくとも、ここで不死川さんと行為に及んでしまうのは、彼にだって失礼な気がした。けれども、不死川さんは止める気はないらしい。自分のバスローブをばさりと脱ぐと、そのまま私に覆いかぶさり、再び唇を重ねてくる。直に触れ合う肌が熱い。
このまま流されてしまえばいい、という自分と、ちゃんとけじめをつけるべきだ、という自分が、頭の中で審議している声が聞こえてくる気がする。私、どうすればいいんだろう。もうどうしたらいいか分からない。雨のように降り注ぐ不死川さんの熱烈なキスを受け入れている時点で、私の答など決まっているのかもしれないが。
私の肌の感触を確かめるように腹の辺りを優しく撫でていた大きな手が、突然、二本の指で硬く凝った胸の先端をぎゅっと摘まむ。すると、突き上げるような快感に苛まれる。
「きゃっ…ぁあっ…ゃだっ…不死川さん…だめぇっ」
離れた唇から、嬌声が零れる。思えば、男性と性交渉に及ぶのは久しぶりだった。他人から与えられる刺激に大袈裟に身体が反応してしまうのはそのせいかもしれない。否、きっとそのせいだ。
「だめだァ?…こんなに腰くねらせといてよく言うぜ」
「ひゃっ…ぁっ…やだっ…そこ、触っちゃっ、だめぇ」
不死川さんはべろりと自分の指を舐めて湿らせると、私の下着に手を差し込んで、中指で秘裂を撫でた。くちゅりという可愛らしい音が鼓膜に流れ込んできて、恥ずかしくて堪らなくなる。
「…すげぇ濡れてんじゃねぇか」
呆れたような声が聞こえたかと思えば、抵抗する間もなく私の蜜壺に武骨な指が侵入する。慌てて不死川さんの手首を掴むも、既にかなり潤った膣の中で、彼の指が淫靡な動きをみせる。指を前後に動かされるたびに、くちゅりくちゅりと音がして、乳首と秘部を攻める指の動きに呼応するように、火照った身体がひくひくと痙攣する。
「ぁっ、やだぁっ、ぁあっ…そんなに動かしちゃ…やぁ…っ」
「…だから、嫌じゃねぇだろォ」
熱っぽい目が、私を射るように見つめる。その視線だけで、頭が麻痺してしまいそう。この状況が良くないことを頭では分かっているのに、淋しい気持ちが私の理性を奪っていく。
すると突然、乳嘴を刺激していた指が陰核に移動する。ぐりぐりと押し込まれるように刺激されれば、全身が快楽に震えはじめる。やだ。このままだと私、イかされちゃう。
「だめっ…ん、そこ…ゃだ…不死川さん…だめっ」
「中、びくびくしてんなァ。…ほら、イけよ、愛莉」
「しなず…がわさ、だめっ、イっちゃ…ゃだっ…私、イっちゃう…ん、ぁあっつ」
埋められた指で媚壁を執拗に擦られ、ぷくりと膨れた陰核を今度は爪先で虐められれば、甘やかな衝撃が頭まで突き抜ける。ひと際大きく腰が跳ね、私は呆気なく達してしまう。
生温かい蜜が下着を不快なほど湿らせた。口に溜まった唾液を飲みこみ、乱れた呼吸を整えていると、目尻から頬にかけて熱い何かが伝う。それが涙だと気づいたのは、不死川さんの心苦しそうな顔が目に入ってからだった。
「…悪ぃ」
ぼそりと呟いた不死川さんは、私の中に埋め込んでいた指を抜き、愛液で濡れたそれをべろりと舐める。そして、空いたもう片方の手で私の涙を拭うと自身の上体を起こした。熱が離れ、途端に圧迫感から解放される。
「ふぇっ…ご…ごめんなさいっ…」
「泣くほど俺が嫌いかよ」
涙を隠すように、両手で顔を覆って震える声で謝罪を述べる。すると、ベッドに再び腰掛けた不死川さんが私の頭を優しく撫でて、些か拗ねたような声を漏らす。私はぶんぶんと首を左右に振って、少しの装いも無い素直な胸中を口にする。
「ち、違います…だって…不死川さん凄く優しく触れて…キスしてくれるだもん…っ、そんな風に優しくされたら…甘えたくなっちゃいます。…煉獄さんのこと忘れたいからって…不死川さんのことっ…利用してるみたい。こんな自分が本当に嫌で…ゆき乃のことだってあるのに…こんな状態で不死川さんとしちゃったら…不死川さんにもゆき乃にも失礼だと思うし」
じーんと鼻の奥が痺れて、また涙が溢れる。涙に咽た声は自分でも聞き取り辛かったが、不死川さんには確と届いたようだ。
「好きなだけ利用すればいいだろ…俺がそれで良いって言ってんだからよォ」
「でもっ…」
「…まぁいい。…お前の好きなようにしろ。俺は……待ってるから」
「不死川さ…ん」
濡れた顔を擦って不死川さんを見上げれば、優しい眼差しが私を見つめていた。
私はこの人を好きになれたらどんなに幸せなんだろう。なんで私は不死川さんじゃなくて、煉獄さんを好きなんだろう。考えているとまた、衝動的に涙が突きあげてくる。
「…本当…よく泣くよなァ」
「っ…ごめんなさい…」
心底呆れた様子の声だったが、頭を撫でてくれる手は春のそよ風みたいに優しく温かかった。泣き疲れた私は、知らずうちにそのまま眠ってしまっていた。
朝、シティホテルで目が覚めた時、そこに不死川さんの姿はなかった。早朝五時にセットされていたモーニングコールは、きっと彼がフロントに頼んでくれていたのだろう。ホテルクリーニングに出したとはいえ、昨日と同じ服で出社するわけにはいかない女性の私を気遣っての、早朝五時のモーニングコールなのだと推察出来た。
細やかな心遣いに感謝して、タクシーで自宅に戻り支度を済ませて出社する。泣き腫らした目はなんとか化粧で誤魔化せたが、いつもの二倍はアイメイクが濃くなってしまった気がした。あれだけ冷たい雨に打たれたにも関わらず、くしゃみの一つも出ないのは、直ぐにシャワーを浴びて身体を温めることが出来たからだろう。不死川さんには、もう足を向けて寝られない。
家を出る直前、ゆき乃にメッセージを送ったが返事は無かった。いつもならすぐに返事をくれる彼女は、ひょっとすると煉獄さんと居るのだろうか。昨夜、二人はどうしたのだろうか。
考えれば考えるほど、煮え湯を飲まされているような気になってくる。否、ゆき乃だってそう思っているに違いない。実際私は、煉獄さんのことがあったとはいえ、昨晩彼女との約束をすっぽかし、不死川さんと行為の一歩手前までいってしまったのだから、今更何を言っても遅いのかもしれない。でも、ゆき乃とはちゃんと話し合わなければ、とも思う。
ゆき乃の性格は熟知している。何しろ大学時代からの付き合いだ。決めたら一歩も引かない、という頑固な部分があるから、意地でも私に返事を返さないつもりかもしれない。待っていても埒があかない、と思った私は、出社した足で休館の編集部へと向かう。
部署の扉の前までくると、緊張で足が竦んだ。息苦しいのを誤魔化すように深呼吸を繰り返し、ドアノブへ手をかけた時、聞き知った声が背後で揺らぐ。
「…愛莉」
ゆき乃だった。上着を羽織っているので断言は出来ないが、ゆき乃は多分、昨日と同じ服を着ている。それが意味することは、もう一秒もしないうちに彼女の口から紡がれることになる。
「…愛莉…ごめんね。私、煉獄さんと付き合うことになったから」
脳天に落雷したような衝撃が襲う。「言葉を失う」という表現は、こういう場面で使うのが相応しいのかもしれない。
「…待って…付き合うことになったって…どういうこと?」
絶望を音にしたような自分の声が耳に滲む。すると、氷のように冷たい声が返ってくる。
「は?…それはこっちの台詞だよ。昨日、不死川主任と付き合うことになったって言ったのは愛莉だよね?」
「違う!あれはそうじゃなくて、私はちゃんとゆき乃と話してって思って」
「もう聞きたくない!私との約束すっぽかして、男とっ…しかもっ、よりによって不死川主任と居た時点で…もうないから。…愛莉とは…もう親友なんか出来ないよ」
吐き捨てるように言って、ゆき乃は室内へと入っていった。彼女の頬を、透明な雫が転がり落ちるのが見えた。
やはり、もう手遅れだった。親友も好きな人も、私は一気に失った。不思議と涙は出なかった。何も考えられない頭で、エレベーターのボタンを押せば、いくつか並ぶ扉の一つがタイミング良く開く。
「……川谷…」
扉の前でかち合ったのは不死川さんだ。彼を視界に捉えた瞬間、突然、涙が突きあげてきて、直ぐに目から噴き零れた。
「おい…どうした…またなんか」
「っ…忘れさせて……忘れさせて…不死川さん。好きにっ、好きにならせて下さいっ……」
涙を声にして、縋るように言う。次の瞬間、腕を引かれた。背中に壁の冷たさを感じたかと思えば、唇には焼けるような熱が落とされた。
エレベーターの扉がゆっくりと閉まる。