終業後、閑散とした会社のロビーのソファに腰掛けながら、私は何度目か分からない溜息を吐いた。二十一時の待ち合わせの時間が近づくたびに、一刻一刻がずきずきと音を立てて、胸に刺さってくるようだ。意識的に深呼吸をして、気づけば浅くなっている呼吸を何とか整える。
この後は実弥さんと会うことになっていた。先日の煉獄さんとの出張以来、彼に会うのは初めてだ。あの日、スマートフォンの充電が切れて連絡が取れなかった私を、実弥さんが思ったよりも心配していなかったのは、煉獄さんが実弥さんに一報入れておいてくれたおかげだろう。勿論これは、後から煉獄さんに聞いた話なのだけれど。
煉獄さんが気を利かしてくれたのは有難かったが、実弥さんが快く思っていないことは火を見るより明らかだった。いつもあっさりしたSMSの文面が、あの日以来、一層素っ気なく思えるから。
一方私も、実弥さんと恋人関係を続けていくことに限界を感じ始めていた。実弥さんと恋人でいることが、ゆき乃や煉獄さんを苦しめている。そして何より、自分の気持ちをこれ以上誤魔化すことが出来ないのだ。実弥さんを好きになれると思っていた。あんなに私のことを想ってくれて、優しくしてくれる実弥さんを好きになることが出来たら、どんなに幸せだったことだろう。
「悪ィ、待ったか?」
背後で声がしたと同時に、ぽん、と頭に手が乗せられる。振り返れば、端正な顔に些か疲れたような表情を浮かべた実弥さんが立っていた。
「あ、お疲れ様です。いえ、全然待って…」
ソファから立ち上がり実弥さんに向き直ると、僅かであるが煙草の残り香が鼻先を掠めた。
「…どうした?」
「……実弥さん…禁煙は?」
唐突に言葉を切って眉を顰めた私に、実弥さんが不思議そうに問うものだから、私は眉間に寄せた皺を深めてゆっくりと口を開く。すると、実弥さんはバツが悪そうな顔をして視線を逸らすと、そのまま強引に私の手を引いて歩きだす。掴まれた手首が痛いと感じるくらいの力で、いつもの彼らしくなかった。
「ちょっ、実弥さん!ねぇ、何で何も言ってくれないんですか」
会社を出ても、無言のまま歩き続ける実弥さんに痺れを切らした私は耐えられなくなって口火を切った。気づけば私達は、会社から少し歩いた所にある繁華街まで来てしまっていた。無秩序に輝き点滅するネオンに照らされた実弥さんの横顔が、なんだかとても苦しそうだった。
「……あの夜…煉獄と何かあったのか?」
飲食店が立ち並ぶ大通りを抜けて、夜の色が濃くなった路地に差し掛かったところで、ふと実弥さんが足を止めた。私に問いかける三白眼がいつも以上の鋭さを孕んでいる気がして、少しだけ怖くなった。全身にじんわりと嫌な汗が滲む。
何もないよ、とは言えなかった。だって私は、煉獄さんにキスしたんだから。開きかけた口を閉じて、後ろめたさから逃れるように私は唐突に問題をすり替える。凄く卑怯だ。そんなことは分かっているけど、実弥さんの鋭利な視線に耐えられなかった。
「そ、それより、私のさっきの質問に答えてもらってないです。実弥さん、少しだけ…煙草の匂いがしました。禁煙してくれたんじゃなかったんですか?」
「……俺だけ我慢しなきゃいけねぇのかよ」
「え…」
地を這うような低音に背筋が粟立ち息を呑む。一歩後ずさった所で、繋がっていた手を強引に引かれる。実弥さんはそのまま私を、安っぽいネオンが輝くラブホテルへと連れ込んだ。やだ、という抵抗には少しも耳を傾けてもらうことができず、強引に私をラブホテルの一室に押し込んだ実弥さんは、部屋に入った途端、私の肩を入り口の傍の壁に押し付けて乱暴に唇を重ねてくる。
両手で実弥さんの胸を叩いて精一杯の抵抗を示すも、その手をあっという間に掴まれて、壁に縫い付けるように拘束されてしまう。いやいやと首を振っても実弥さんは唇を離してくれなくて、空気を取り込むために僅かに開いた唇の端から、にゅるりと舌を侵入させた。ぬるつく舌が私のそれに絡みつき、扱き上げて弄んでくる。水の中にいるみたいに苦しくて、眦には涙が浮かぶ。
陶酔するような舌戯で私の口内を攻め立てながら、実弥さんは私の脚の間に自身の膝を滑り込ませて、スカートを捲りあげストッキングと下着を引き下げる。こんな風に乱暴にされるのは嫌なはずなのに、空気にさらされたそこがひんやりして濡れているのが分かり、恥ずかしさと情けなさで、目尻に溜まった涙が零れた。
ようやく唇を自由にしてくれた実弥さんが、そんな私の様子を眺めながら嗜虐的な笑みを浮かべる。
「はっ、相変わらずしっかり濡れてんなァ」
「っ、…はぁ、はぁ、酷い!どうしてっ、どうしてこんな」
「……いつまで…待てばいいんだ?愛莉はいつになったら、俺を見る?」
一瞬、端正な顔が寂しそうに翳り、掠れた声が私に疑問を呈してくる。心臓を突き刺されたような胸の痛みと悲しみが襲ってくる。私は、実弥さんにもこんなに辛い思いをさせていたのだと思い知らされる。ゆき乃も、煉獄さんも、実弥さんまでも。私は、私はなんて最低な女なのだろう。酷いのはどっちだ。
「実弥さん、あの、ごめんなさい。私——」
「言い訳は聞きたくねぇ」
「ひゃあっ、あっ、ん、だめぇ、やっ…ん」
骨ばった指が、唐突に秘部に埋め込まれる。濡れているとはいっても、まだ十分に慣らされていないそこに、微かな痛みが走る。しかしそれは一瞬のことで、私の弱点を知り尽くしている実弥さんの巧みな指遣いで、疼痛は快感に塗り替えられていく。蜜口をかき回すじゅぽじゅぽとした厭らしい音が、どんどん激しくなって鼓膜に流れ込んでくる。小刻みに動かされる指に、臍裏の好い所をずりずりと擦られると、だめなのに、という意思に反して、おかしくなるほど感じてしまう。
「実弥さっん…はぁ…っ、お願い、も…とめてっ。あっ、だめ、も、あっ、ん…私」
甘い悲鳴を上げて懇願するも、実弥さんは小さなキスを繰り返しながら、私の弱い部分を遠慮なく攻め続ける。膣が歓喜し、厭らしく蠢いているのが分かった。太い指の腹が媚肉の天井部のふっくらとした箇所を捕らえ時、ひと際心地よい高みへと追い込まれる。
「ぁっ、はぁ、あ、だめっ。も、イッっちゃうからっ!あんっ、そんなに擦ったら、出ちゃうよぉっ、だめっ、ぁっ、実弥さん」
「好きでもねぇ男にイかされて潮吹きか。とんだ淫乱だなァ」
「なっ、あっ、なんでそんな意地悪っ、ぁあっ、だめっ、もう出ちゃう!出ちゃうっ!あっん、実弥さん、だめぇっ、イっ…く」
嬌声を張り上げて、指の愛撫だけで私は快楽の極みへ昇り詰めてしまう。身体がびくびくと痙攣し、秘部からはさらさらとした厭らしい液が飛び散って、ラブホテルの床と私達の服に小さな染みを作っていった。
実弥さんの言う通りだ。煉獄さんを好きな気持ちを忘れたくて実弥さんを利用して、それなのに彼のことを好きになれなくて、そうかといって男女の営みはちゃっかり済ませて、気持ち良くなっている。これじゃ、形だけの恋人で、まるで私が実弥さんをセフレとしてキープしているみたい。本当に、救いようのない淫乱女だ。
ゆっくりと秘部から指を抜かれたと同時に、私は膝から崩れ落ちる。両目からは大粒の涙が零れて、ホテルの床に、また別の染みを作った。
「おい、愛莉」
「ふぇっ…ごめんなさい。っ…ごめんね、実弥さん」
堰をきったように泣き咽ぶ。己のことしか考えられない自分が惨めで、情けなくて、どうしていいか分からない。
頭上で小さな溜息が聞こえ、目の前にさっと影が落ちる。先ほどまで私の手を拘束していた手が、頬を伝う涙をそっと拭った。
「悪ィ。…ついかっとなって」
「実弥さん、ごめんなさい」
「いれ、俺の方こそ——」
「違う、そうじゃないです!」
ぶんぶんと頭を振って実弥さんの優しい手を振りほどき、水浸しになって瞳で目の前の恋人を見つめた。
「もうっ…別れてください。…本当に、今まで、ごめんなさい」
三白眼が一瞬動揺に揺れたのが分かった。実弥さんの反応を確認する勇気が出なくて、私は返事を聞くこともないまま、床に放られた荷物を引っ掴んで逃げるようにラブホテルを後にした。