「それではテストの答案を返す。名前を呼ばれたら取りに来い。吾妻〜」
期末テストの答案が次々と返ってくる。一人一人前に出て答案を取りに行く。男子が終わって女子の番だ。
「一ノ瀬雪乃」
あえてなのか、フルネームで私を呼んだ片岡の表情は読めない。けれどその表情の訳は分かっていた。
「なんで雪乃フルネーム?」
「一ノ瀬お前なぁ…」
ひらりと手にした答案用紙には3点という可愛らしい数字。それは片岡ならではの名前をちゃんと書けば貰えるというボーナス点だった。今時珍しい思考の片岡は結局の所生徒に甘い。その唯一の3点以外全部に斜線が引かれていて目を大きく見開く。トンと片岡が指さしているそこは空欄になっていて…
「え、ズレてるの?えー嘘…雪乃赤点?」
「そう、一ノ瀬だけな、赤点」
「最悪!ちゃんと回答できたら雪乃何点?」
「…93点」
がっくし肩を落として自席に戻る。朝海が私の手から答案用紙を見て吹き出した。
「始めて見たわ、一桁」
くすくす笑う朝海の短い髪をくしゃくしゃにしながらも後ろの自席に座って深呼吸。よっし作戦成功だ。これで片岡の補習にでれる。やった、やった、やった―――――!!!脳内では大フィーバー中だけれど、それを一ミリも出すことなく英語の授業を乗り越えた。
「補習がなくとも夏休みだからってハメを外しすぎないようにな、お前ら。男子も女子も開放的になりすぎんなよ〜。女子は誘惑にのらないこと!いいな、立花」
「はぁー?なんで私だけ?片岡こそ、ゆ」
「以上、今日の授業はここまでだ。日直!」
日直が起立の掛け声をかけるとクラスメイトが椅子を引いて立ち上がる。やばいめっちゃウケる。朝海と片岡の間にバチバチ火花が散っている事に気づいているのは雪乃だけで。危うく雪乃って言いかけたのをタイミングよく遮った片岡は流石だと思った。それからしばらくは朝海は不機嫌で、挙げ句、雪乃って見る目ない!なんて言い出したからぽこっとげんこつをお見舞いしてやった。
そうして迎えた夏休み。片岡の補習授業は思いの外多かった。CMでやってたリップメイクの新色がすごく綺麗でそれをつけて学校に行った。
「おはよーございまーす」
ガラリとドアを開けるとまだ片岡の姿はなかった。私はトンと教台に乗っかってチョーク片手に黒板に小さくハートを描いた。左側に雪乃、右側に直人と書いてそれをスマホのカメラロールに収めた。ラインの背景にしちゃえーって設定し直していたらガタンって音がして振り返ると苦笑いしている片岡と目が合う。視線の先は雪乃の書いたハートの落書き相合い傘。
「あのさ、一応聞くけど…わざと間違えた訳じゃないよね?」
ハートに照れながらも真っ直ぐに雪乃を見つめる片岡にニッコリ微笑む、無言で。何も答えない雪乃に眉毛を下げた片岡は雪乃の前まできて、一ノ瀬?と、もう一度問いかけた。
「わざとって言ったら怒る?」
「当たり前だろ」
「じゃあわざとじゃないよ」
「じゃあって…」
「早く始めよーよ、直人せーんせ」
へへって舌を出して笑うと片岡はまた困ったように笑った。それでも抱えていたバインダーから問題の書かれたわら半紙を数枚机に置くと教卓に戻った。本格的に夏本番だ。外では運動部が練習を始めているのか、セミの鳴き声に紛れて色んな音が聞こえてくる。
「一ノ瀬はケアミスで赤点だったけど、特に補習でやる事ないんだよなぁ。逆になんかやりたい事ある?」
「片岡のそーゆうとこ、ズルいね。片岡とやりたい事なんて数えたらきりがないよ。字幕の映画観たい、観に行こーよ」
「行かねぇ行かねぇ、そーゆーんじゃねぇわ。でもまぁ最終日は視聴覚室で映画でも観るか」
「え、じゃあ雪乃借りてくるからそれ観てもいい?」
「字幕ならな」
ちょっと眠そうな顔でネクタイを緩める片岡にトクンと胸がときめく。思わず見惚れていた雪乃にゴホンと咳払いをすると「その目禁止な」なんて言われる。その目ってどんな目?顔を歪めた雪乃にクスッと笑った片岡は、「その目ってどんな目?」そう聞いたらさっきの雪乃と同じで答えてくれなかった。それでも片岡と二人きりで過ごす2時間は今の雪乃にとって薔薇色で、それ以上のものはないと思えた。
「片岡はまだ帰らないの?」
「んー。また明日な」
「待ってちゃだめ?」
「だめ。終わったんだからさっさと帰って夏休みの宿題しろ」
「いい事思いついた!明日から宿題持ってきてここでやってる!いいよね?」
「だめだ。それじゃ宿題になってねぇだろ」
「分からない所教えてね、直人せーんせ」
ひらひらと手を振って廊下に出た雪乃は、数秒してこっそりドアの窓枠から中を覗く。パチッと目が合ってドクンと激しく心音が高鳴る。思わずドアを開けて中に入ると片岡は苦笑いで雪乃を見ている。
「見てた?雪乃のこと。帰ってほしくない?」
脚を開いて椅子に座っていた片岡はそっと手を伸ばして雪乃の髪に触れると優しく撫でた。
「ばーか、早く行け」
「帰りたくない。片岡と一緒にいたい…」
「頼むから困らせないでよ、一ノ瀬。一ノ瀬は俺にとって大事な生徒なんだから。な!」
納得できないって言いたかったけれど、あまりに切なそうに片岡がそう云うから、何も言えなくなった。
あとがき