片岡の補習は毎日楽しくて。プリントが終わると数年前に行ったロス留学の話を聞かせてくれた。海外は危険なことも多いけれど学ぶべきものは沢山あるから若いうちは一つに絞らずに色んな世界を見たほうがいいと言われた。そんなつもりはないのだろうけど、それが雪乃には片岡以外の人も見ろと言われている様で、そこだけは右から左に聞き流しておいた。
「直ちゃん先生質問!」
「なんだー?」
「どうしてキスはAなの?」
ガクンと教卓に頭突きする勢いで肘を曲げた片岡は苦笑いで雪乃に視線を向ける。健全なる高校生たるもの興味津々にそう聞けば頭を抱えた。
「そーゆーのは、生物の岩田先生が得意だよ。俺はあんま得意じゃねぇの」
「嬉しい。直ちゃん先生が得意だったら雪乃撃沈」
「そーゆー雪乃はどうなんだよ?俺以外の男と如何わしいとこ入ろうとしてたろ?」
そういえば、きっかけはそんなんだった。どこの誰だか知らないけどご丁寧にラブホに入った雪乃の写真が担任の片岡の手に回ってそれで放課後呼び出されたんだ。でも今はそんなことどーでもいい。だって、「直ちゃん先生以外…。今はそんな気さらさらないなぁー雪乃。直ちゃん先生こそ、雪乃以外の女と絶対えっちしないでよ!キスもハグも全部だめだよ!」本気で独り占めできるとは思ってないけれど、それでも気持ちは言葉にしなければきっと伝わらない。そして言葉にする事で、万が一の望みができることだってきっとあるはずだ。片岡が雪乃を生徒以上に思っているかはわからない。ただこの人は優しいから押せばなんとかなる…どこぞの女にそう思われる事は死ぬ程嫌だ。できるのなら仕事であっても女の先生と絡んでほしくない。ましてや合コンや友達の紹介や、マッチングアプリになんて絶対の絶対に登録してほしくない。
「まぁ正直忙しくてそれどころじゃないんだわ」
「え?そんなに忙しいの?先生の仕事って」
きょとんと片岡を見つめるとフッと口端を緩めてどら焼き型の口を開く。それから真っ直ぐに伸びてきた手がぽんと雪乃の前髪を撫でた。
「我儘な生徒の面倒見るのに忙しいんだよ」
「それって雪乃のこと?」
「さーな」
絶対雪乃のことじゃん!てことはつまりだ、雪乃の面倒見ることに忙しくて、他の女の相手をする暇がないってことでいいよね?ふふふ、やばい。どーしよう、気持ちが溢れそう。
「直ちゃん先生さ、そんなに雪乃のこと好き?」
前に片岡に言われた様にそう聞けば、今度は痛くないデコピンが飛んできてまた口が開く。
「自惚れてんな、ばーか」
自惚れるよ。気持ちは言葉にしなければ伝わない。それでも伝わる想いもあるとも思う。だってどう見ても片岡も雪乃のこと好きだもん。頬杖をついて片岡を見つめていると、この貴重な逢瀬を邪魔するラインのバイブ音。堂々とスマホを見ればそこには水色と紺色の浴衣を着た朝海の画像が2枚。メッセージには「どっちが似合う?健太くんどっちが好きかな?」なんて惚気けた文豪が書いてあった。そういえば、明日はこの界隈で一番大きな花火大会が開催される。地元の小中学校の同級生は勿論、うちの高校の生徒もそれを見に行く人が多そうだ。
「直ちゃんせんせ、明日のテスト満点だったら雪乃と花火大会一緒に行ってほしいな。だめ?」
小中学校の先生は見回りがあったはずだけれど、さすがに高校の先生たちはそんなもんないだろうって。片岡はつぶらな瞳を泳がせて考えている仕草をしている。
「一文でも間違えたら諦める。でも満点だったらお願い!」
パンと顔の前で手を合わせて懇願する。英語はあんまり好きじゃなかったけれど、片岡の授業は楽しくて解りやすくて気づけば高得点を取れるくらいになっていた。それでも満点はまだ一度もとったことがない。雪乃と花火大会に行きたくなければ難しい問題を出せばいいだけだ。でももし、片岡と一緒に花火大会に行けるのなら、夜に咲く大輪の花を見ることができたのなら、もう一度明日好きって伝えようと思う。今は未来がなかったとしても、伝えたい。もしも片岡が一歩踏み出せないのなら、雪乃が片岡の方に何歩でも歩み寄るから。
「たく。仕方ねぇな、間違えんなよ」
ほらね、そんなズルいこと言うのって、雪乃が好きってバレバレだよ。浮かれていたといえば当然ながら浮かれていた。だから朝海からきたラインに返信するついでにちょっとだけ私も自分の気持ちを言葉にした。
【水色かな!雪乃も浴衣着るよ】
片岡って名前なんて出してないし、二人で行くとも書いてない。それでも朝海にはこの文章だけで雪乃が片岡と二人で見に行くと伝わっていると思う。だからこんなライン、送らなきゃよかった…そう後悔することになるなんて、思いもよらない。
あとがき