「じゃあ、スタート」
そんな掛け声と共に補習最後のテストが開始された。窓の外は快晴で、絶好の花火日和である。出店の準備で通行止めになっている道路にニヤつきながらもおニューの浴衣を思い浮かべてまたほんのり頬が緩む。正直なところ、朝海と一緒に行くもんだと思っていたけれど、神谷くんと付き合った時点でその確率は低くなり、なら今年は一人かなーなんて思っていたから花火大会に行けるかもしれないという現実に多少なりとも浮かれていた。大人な片岡に少しでも釣り合うようにと落ち着いた白い浴衣を選んだ。いつもおろしているロングヘアーも今日は簪で止めて可愛くアレンジしようと遅くまで練習した。だから坂本先輩から入っていたラインはまだ未読のままだ。花火大会のお誘いかもしれないそれを開いて断るのが面倒だった。誰と行くのか聞かれた所で答えられもしないし。
順調に進んできたテスト。最後の問題に取り掛かった私はペンを止めて片岡を見る。真剣な顔でこちらを見返している片岡。
「なんで?」
「……」
「片岡昨日言ったよね雪乃に、間違えんなよって」
「落ち着けよ、一ノ瀬…」
苗字で呼ばれてぐっと唇を噛む。二人きりの時限定だったけど、今までずっと雪乃って呼んでくれていたのに今更苗字で呼ぶなよ。
「こんな問題習ってない、わかんないっ!片岡ズルい、昨日と言ってる事全然違うっ!雪乃のこと好きじゃないのっ?嫌いっ?嫌いなら嫌いって言えばいーじゃん。否定もできないのに、受け入れようとしないでよっ。酷いよっ残酷だよっ、」
世界が一瞬でグレーになった。さっきまで薔薇色だった世界からどんどん色味が消えていく。目に映る片岡は困っている。私のせいで。私のせいで困らせたいって、私のせいで困った顔する片岡が好きなはずなのに、今目の前でなんとも言えない表情をしている片岡なんて好きじゃない。くしゃくしゃに丸めた答案用紙を片岡に投げた。ぽこんと柔らかい髪に当たって床に落ちる。それと同時、後ろのドアが開いて現れた坂本先輩。
「陣、悪いな…」
そう言って雪乃の背中を押す片岡に心底腹がたった。ねぇ意味わかんない、なんで坂本先輩に雪乃のこと託すの?
「雪乃ちゃん、行こう」
私の手首を掴もうとする坂本先輩の腕を振り払う。それからキッと坂本先輩を睨みつける。
「触らないでください!」
「この前みたいなことはせぇへん。誓うよ。雪乃ちゃんよう考え、片岡先生がこの学校からおらんくなってもええん?」
坂本先輩の言う事は正論だ。でも今はそんな事聞き入れられない。耳を塞いで片岡を見る。あんなに泣きそうな顔してるのにほおっておけないのに、雪乃を見てくれない。目を合わせてくれない。
「片岡っ!ねぇ片岡っ!!」
「陣、連れてって」
低いその声に坂本先輩が強引に雪乃の腕を掴む。
「やだ離してよっ!雪乃は片岡と話してんのっ。邪魔しないでっ」
「するよっ!俺かてほんまに雪乃ちゃんが好きや。今どんだけ雪乃ちゃんに嫌われても構わへん。それでも片岡先生との未来は絶対にないって言える。辛いんは今だけやって、俺がほんまに支えるから、俺がずっと傍にいるから!」
ぐいぐい引っ張る坂本先輩は、半ば雪乃を抱えるようにして教室から連れ出した。こんな終わりってない。準備したもの全部が無駄になったことなんてどーでもいい。許せないのは片岡の言葉がなかったこと。
「なんで迎えにきたの?」
「…健太と立花さんとたまたま昨日会うてな、雪乃ちゃんの話が出てん。片岡先生と花火大会行くかもって言ってて、どーゆーこっちゃ?って片岡先生に会うてん。それで雪乃ちゃんのこと少し聞いてな。…片岡先生は憧れてるだけやって言うとったけど、ほんまに好きやった?」
勝手に過去形にされて腹がたった。たまたまが重なって坂本先輩に問い詰められた片岡を思うと胸が苦しい。どこに片岡の本音が隠れているかも雪乃にはわからない。それでも信じたかった、雪乃のことが好きだって。こんなことなら、あんな浮かれたライン朝海に送るんじゃなかった。ボロボロのいつ切れてもおかしくない雪乃と片岡の赤い糸は、ほんの些細な事で簡単に切れてしまった。
「片岡になに言ったのっ?どーして邪魔すんのっ?ねぇっ答えてよっ」
坂本先輩の腕を掴んでぐらぐらと揺らす。
「雪乃ちゃんの未来潰す気か?って…」
「雪乃の未来ってなに?坂本先輩が決めれることなのっ?馬鹿にしないでよっ!雪乃は心は一生あんたのものにならないからっ!もう帰って、独りにしてっ!」
恋愛で泣くなんて思わなかった。こんなにヒステリックに泣き喚く自分を誰が想像しただろう。坂本先輩まで傷つける必要はなかったかもしれない。それでも割り込んできた罪をわかって欲しい。片岡との未来がなかったとしても、坂本先輩との未来なんてもっとない。
漆黒の空にあがる夏の夜の大輪の花。浴衣を着て手を繋いで歩くカップル達。朝海と神谷くんもどこかで幸せな時間を過ごしているだろうか。私の目に映る花火はモノクロで、その日を堺に雪乃の世界から片岡を消した―――。
あとがき