助けて

 終業式が終わると冬休みの始まりだ。長期休みに入るからか、いつもは無視している片岡に視線を向ければすぐに目があった。通知表を貰うときも片岡は雪乃を見てにっこりと笑った。カラオケの受付のバイトをしている陸が終わり次第雪乃を迎えに来る。それまで何して時間潰せばいいの?朝海は当然ながら神谷くんだろーし、邪魔できないし。仕方なく坂本先輩に連絡してみようかと鞄を漁るとスマホを学校に忘れた事に気付いた。寒いのに行きたくないけど、陸と連絡とれなかったら困るし、何より冬休みで学校に入れなかったら困る。首にマフラーをぐるぐる巻にしてコートを羽織ると財布と定期だけを持ってバスに飛び乗った。朝から冷え込んでいて、バスの窓に息を吹きかけると白く濁った。窓ガラスに指でハートを書いてみる。あの日黒板に書いたハートの写メ…消してなかったっけ。指で直人と書こうとして止めた。未練たらしいというかなんというか。陸との時間はそれなりに楽しくて前程片岡のことを思い出さなくなった。それでもきっと完全に消えてはいない片岡は、いつまで雪乃の心に居座るのだろうか。
 バス停を降りると等々空からは雪の欠片が降り落ちてきた。傘なんて持ってないから走って学校まで戻った。もう先生もいない様で車も残っていない。片岡は彼女とデートなのか?と思うと胸の奥がチクリと痛む。昇降口の階段を登り一年の下駄箱に行く。上履きも持って帰ってきちゃったから来客用のスリッパをカラコロ鳴らして誰もいない廊下を歩く。閉まっているドアを開けて教室内に入る。自席の机の中にポツンと取り残されたスマホを手にしてなんとなく開いたカメラロール。そこに残されていたハートの相合い傘とお弁当箱。あの日の自分は心底幸せだったな…。陸との付き合いは常に穏やかだけれど、あんな風に世界が虹色になるような事もなく、今も雪乃が見ている世界は変わらずモノクロだ。何一つ不満はないのに、どうして色付いてくれないんだろう。優しい彼氏に愛されて幸せいっぱいなはずなのに、心の中は満たされておらず、今でも雪乃はやっぱりどうにも片岡が好きなんだと思い知らされる。
 いつも片岡の立っている教卓にぺたんと頬を乗せる。目を閉じると浮かぶ片岡の残像に涙が溢れてきて止まらない。こんなの嫌なのに、早く忘れなきゃなのに、そう思う心とは裏腹に今も片岡を求めてしまう。
「…誰か助けて…」
 ポロリと出した声に「一ノ瀬…?」今一番逢いたくなくて、どうしようもなく愛してる片岡の声が耳に届いた――。

「かた、おか…」
「どうした?泣いてるのか?青山になんかされたのか?」
 速足で距離を詰める片岡は雪乃の髪に優しく触れる。その瞬間、モノクロだった世界が色付く。やだもう、どうして今なの…。止め処なく溢れてしまう涙に片岡の手はそれを拭いたいと言っているように見えてしまう。そっと肩に置かれた片岡の手が雪乃を抱きしめたいと言っているように見えてしまう。これは錯覚?妄想?重症だな、末期だな。
「片岡のせい…」
「え?」
「どうして優しくするの?なんでいるの?」
「いや、一ノ瀬が走っていくのが車から見えたから戻ってきた…」
 なにそれ。彼女とデートは?雪乃じゃなかったら戻ってない?涙でボヤける片岡が歪んで見える。瞬きをすると零れ落ちる涙で片岡が鮮やかに瞳に映った。
「どうしたらいいの…雪乃片岡じゃないと世界が色付かないの。まだこんなに好き…。雪乃を好きになってよ片岡ぁ…」
 ぎゅっと雪乃から片岡に抱きついた。小柄だけれど分厚い胸板。安心できる片岡の体温と、ほんのり煙草の香りのするスーツも、何もかもが覚えていて身体から離れない。強く抱きつく雪乃の肩に片岡の手が伸し掛かって、ゆっくりと剥がされる。
「一ノ瀬、だめだ。それはできないよ」
「だったらどうして戻って来たの?なんでそんなに優しい目で見るの?」
「それは…一ノ瀬が俺の生徒だから」
 一番聞きたくなかった答えを言葉にした片岡。やっぱりどう頑張っても片岡を手に入れる事はできないんだと思うしかないじゃん。もういい、もう顔も見たくない。一歩、二歩と後ろに下がった雪乃はそのまま片岡に背を向けて走り出す。
「一ノ瀬っ!!」
 後ろから叫ぶ片岡を無視して走り出す。下駄箱で脱ぎっぱなしにしていたローファーに履き替えて、スリッパなんてそのまま、粉雪の舞う中を必死で走った。一瞬だけ色づいたモノクロの世界は孤独で寂しくて、陸のライン画面で通話ボタンを押す。バイト中で出れるわけないってわかってるのに何度も何度もかける。ポケットにスマホを隠し持っているのか、メッセージでどうした?って返ってくる。文字じゃなくて声が聴きたい。今すぐ陸の声が聴きたい。寒くて動けなくてコンビニ前に蹲っていたら「雪乃ちゃんっ」名前を呼ばれて顔を上げたら、肩でぜーぜー息をしている坂本先輩が傘をさして雪乃の目の前に現れた。また堰を切ったように流れ落ちる涙に、傘が転がった音がして雪乃の身体は坂本先輩に抱きしめられていた。

あとがき