中間テストを間近にした木曜の夜だった。合コン後に何度か会った女からラインが入っていて何となくこの呼び出しの意図が読めてしまう。自惚れているわけじゃないけど、好意を持たれているのは気づいていた。俺自身雪乃を想うのは止めようと、彼女の誘いに何度かのった。といってもあくまで健全な食事のみ。だからしびれを切らせた彼女が今夜決めようとしているのが何となく文面から理解できる。面倒くせぇなぁーと思いながらも、はっきり言われていないのに俺からノーというのもどうなんだ?って伸ばしに伸ばしにしてきたわけで。自分から今夜ちゃんと言おうと意を決して待ち合わせ場所で待っていると、仕事を終えた彼女が乗換駅から駆け寄って来るのが見えた。
「直人くん、ごめんね」
「あーうん。全然平気、仕事お疲れ様」
「ふふ、直人くんもお疲れ様。お腹空いちゃった、どこ行く?」
「佐藤さんごめんね俺、仕事まだ残ってて今日は酒飲めないの。車で来てて…」
そう言えばあきらかに顔を顰める佐藤さん。雪乃のヤキモチとは大違いだ、なんて結局俺の脳内は雪乃中心に回っている。
「そうなんだ、じゃあ直人くんの家でもいいよ…」
「え?」
ぎゅっとその場で俺に抱きつく彼女。殺伐とした街中で人混みに紛れてギャラリー関係なしに抱きつかれて意表を突かれてしまう。一歩後ろに下がった俺を見つめる視線にハッとして顔ごとそちらを向けば、そこには心底傷付いた顔した雪乃がいた。なんでこんなところに…。だけど雪乃は駆け寄ってきて佐藤さんの腕を剥ぎ取るように俺から離す。
「離れてよオバサン!雪乃の片岡に触らないでっ!」
ボロボロ涙を零しながら俺の前に立ちはだかって両手を広げる雪乃が愛おしくて堪らねぇ。
「は?なんなの?誰この子、何様?」
「悪い佐藤さん、今日はキャンセルで。ゆ、…行くぞ」
雪乃の手を引いて俺は駐車場に向かう。
「片岡のばか、片岡のばか、片岡のばか、片岡なんて嫌い…片岡なんてっ…」
「悪かった、雪乃。泣くなよ…もう会わねぇからあの人とは…」
後部座席に一緒に入ってそこで雪乃を強く抱きしめた。やべぇなぁ、このまま連れて帰りてぇなぁ俺。ほんとどーしよ。ぎゅうぎゅう俺に抱きつく雪乃の背中をとんとんとあやすように軽く叩きながら何とか理性が外れないようにと何度も目を泳がせる。マジでこのまま二人きりの世界に飛べねぇかな。したら俺、なんの遠慮もなく雪乃のこと抱けるのに。もう教師とか立場とか世間体とかPTAとか、全部ぶっ飛ばしたい。ぎゅっと雪乃を抱く腕に力が入る。俺の背中に腕を回して距離を詰める雪乃の長い髪からはシャンプーの甘い香りがして俺の鼓動を刺激する。車内から見る夜の街を行き交う人達は誰も俺と雪乃に気づくことなく通り過ぎて行く。
「直人…好き。大好き…」
うん俺も好き、大好き、愛してる…喉まででかかった言葉をまた呑み込む。
「もう雪乃我慢できない。抱きしめられるだけじゃ足りない。雪乃のこと片岡のものにしてよ。片岡のものになりたいよ、雪乃…」
泣いてる雪乃の頬を指で拭う。俺にはこれぐらいしかしてやれない。けどこの手が雪乃を連れて帰りたくて仕方がないってそう言ってる。目を閉じて雪乃の温もりを俺の身体に刻みつける。これ以上は本当にだめだとわかっているのに離せねぇ。ダメ人間じゃねぇか俺は。ゆっくりと雪乃と距離をとって俺は一つ息を吐き出す。
「ごめん。それはできない…」
「なんっ、で?」
「っ…、一ノ瀬は俺の大事な生徒だから…」
くだらねぇ。こんな見え透いた嘘バレバレなのに。どう見ても俺が雪乃に惚れてる事なんて雪乃に気づかれている。我慢しきれていない俺はこうして今も雪乃を抱きしめて離せていない。雪乃以外の女とは会わないって言って、雪乃以外の生徒のことも何とも思っていないって伝えて、自分でも何やってんだって情けなくなる。こんなにも感情をコントロールできねぇのは雪乃だけで、どうしたらいいかわかんねぇ…。
「片岡は雪乃のこと好きじゃないの?」
胸倉掴んで俺を見つめる雪乃の手は震えていて全身全霊で俺に向き合っている。それに応えたくて応えられない弱い俺。
「好きだよ、一ノ瀬は大事な生徒の一人っ」
「もういいっ!聴きたくないっ!雪乃が聴きたいのはそんな言葉じゃないっ。雪乃が聴きたいのは片岡の本音っ。教師だからとか周りの目とかそんなのどーでもいいっ、雪乃が聴きたいのはっ、」
何も応えられない俺を見切った雪乃は思いっきり俺を突き飛ばすと車のドアを開けて出て行った。降り出しそうだった空から大粒の雨がポツポツと地面を濡らしていく。追いかけても何も変わらない。それならこのままでいい、これ以上傷つけるぐらいならこのままでいい…。胸が痛くて苦しくて、大人になってこんなにも辛い恋は初めてだと、この運命を呪うよ。
――翌日、雪乃は学校に来なかった。
あとがき