胸の奥のモヤモヤ

「超安全運転」
 プッと思わず笑ってしまった。バス通の私とチャリ通の坂本先輩。駅に着くまで坂本先輩の自転車の後ろに乗ったものの、めちゃくちゃ安全運転だから普通に漕ぐより倍ぐらいの時間がかかったんじゃないだろうか。この人と一緒に居たら大事にされるんだろうとは思う。
「当たり前やんか。雪乃ちゃん乗せて転びでもしたら嫌やもん」
 鼻息荒くそう言う坂本先輩はどさくさ紛れにスッと私の手を取った。だからスッと離してみせる。
「やっぱアカンか…」
 地味に落ち込んで肩を落とす坂本先輩は悪くない。
「そーゆーのは、両想い限定ですよ」
「ほな俺の事好きになれへん?」
「遠慮しておきます」
「むっちゃ空いとんで?結構お買い得やと思うねんけど」
「逆に雪乃なんかのどこがそんなに好きなの?坂本先輩」
「可愛い、とにかくタイプやねん」
「顔が?」
「まぁそうや」
「もし雪乃がすんごい性格悪くても好きでいてくれんの?」
 顔だけが好き…で、こんなに何度も告ってくるならそれはある意味凄いのかもしれないなんて思った。坂本先輩は目を細めて笑うと「雪乃ちゃん性格悪ないやろ。顔も勿論タイプやねんけど、雪乃ちゃんの性格も知った上でお付き合いしたいねんで、俺」こーゆう時、ちょっとおちゃらけて言ってくれるのは助かる。急に真面目ぶられたら真面目に答えないといけなくなるから。未来を想像してみるも、隣にいるのは坂本先輩ではない気がする。街中に視線を移すと、夏のセールで賑わっている。期末テストが終われば夏休み。坂本先輩はきっとこの夏で私と一層仲良くなりたいんだろうなぁ…なんて客観的に思った。どうしてか自分が傍観者の様に見えてしまう。当事者だというのに、坂本先輩に対してこれといってなんの気持ちもわかない。横を通り過ぎるカップルは楽しそうに手を繋いで喋っていて…
「そんなに手繋ぎたいですか?」
 そう聞けば、細い目をパァーっと見開いてこくこくと首を縦に振った。手繋ぐぐらい別に誰とでもできる…そう思い私は坂本先輩の前に腕を放った。律儀に制服の横で両手を拭いた坂本先輩は「手汗やばいねんけど」なんて言いながら私の手を握った。ゴツゴツして自分よりずっと大きな手。勿論男と手を繋ぐことは初めてじゃない。だけれどあまりに坂本先輩が嬉しそうに微笑むから、ほんの少しだけ握り返したんだ。
「雪乃ちゃ、ん…」
 目の前が暗くなったと思えば、頬を掠める坂本先輩の熱い吐息。瞬きする間に縮まる距離に、気づけば私は繋いでいた手を離して坂本先輩の胸板を思いっきり両手で押し返していた。どすんと尻餅をついて私を見上げる坂本先輩は、「ご、ごめんっ!なんやむっちゃ嬉しなって…理性飛んでもーた。ほんまにごめんっ、雪乃ちゃんっ!」即座に正座からの土下座。制服汚れるのなんか気にする事なく頭を下げる坂本先輩に悪気はない。それなのになんだろうか、この胸の奥のモヤモヤは。今までこんな気持ち、感じたことがない。心の奥底に誰かがいるような、そんなよく分からない感情だ。
 肩を揺らせて呼吸を整えた私は「もういいから頭上げて下さい。みんな見てて恥ずかしいんだけど」自慢のシルバーウルフヘアーをぽこんと軽く小突く。顔を上げた坂本先輩は男のくせに泣きそうな顔で眉毛を下げていて…
「ほんまにごめんっ」
 また頭を下げる。別にキスぐらい誰とでもできるつもりなのに、無意識で坂本先輩のキスから逃げたのは、胸の奥のモヤモヤがあるからなんだろうか。
「お土産にタピオカ2つ買ってくれたら許す。それと、私に指一本触れないで。それが許す条件」
「もちっ、もちろんやっ!ほんまにごめんなっ。もー俺穴があったら入りたい…」
 そこまで否定されると逆に虚しい気もするけど、私は帰りに学校に戻って片岡とタピオカを一緒に飲もうなんて事を頭の中で考えたいたんだ。だからその後坂本先輩と何をどう過ごしたのかあまり記憶にない。たぶん坂本先輩が一方的に話していて、それを私が相槌を打っていたとは思うけれど、それでも私の右耳から入った彼の言葉のほとんどは、左耳から流れていた。
 学校に忘れ物したから一度戻るって坂本先輩に告げると私は毎朝乗り込むバスに乗り込んだ。学校まで送るって言った坂本先輩に、「触らない約束!」そう言えば、ぐっと唇を噛んで頷くしかなかった。
 外から見える職員室の明かり。私は坂本先輩に買ってもらったタピオカを胸に抱えて閑散とした廊下を走って職員室のドアをがらりと開けた。

あとがき