先生も男

 一日の始まりと終わりを好きな人と過ごせるのって奇跡なんじゃないかと思っちゃう。
「お前今日なんかあった?」
「え?」
 何とも言いづらそうな、困惑した表情の片岡。心配そうに雪乃を覗き込むようにハンドルに顔を乗せてこちらを見つめている。前髪がくねりと曲がっていて可愛い。毎朝の送り迎えの前にうちに電話を入れて「今から行きます」ってきっちりママに伝える律儀な片岡。うちのママはあっけらかんとしていて、なんなら今日は片岡の分の夜ご飯も用意しているんじゃないかと思えた。
「いや男子達の噂になってたから…クールな一ノ瀬が泣いてたって…。俺の送り迎えの事で何か嫌な事とか言われたりしてたら?って思って…それ以外の事でも、泣くぐらいの事あったんなら相談にのるよ」
 なんだ、そーゆう事か。ふふ、心配してくれるのちょっと嬉しい。目尻を下げて笑いながら首を横に振る。
「大したことじゃないよ。でも片岡に心配されるのはモチベあがる。だからずっと雪乃の心配してて」
 へらっと笑うと伸びてきた手が痛くない程度に雪乃のオデコを指で弾いた。ちょっとだけ不貞腐れた様に頬を膨らませる片岡が子供みたいでめちゃくちゃ可愛い。
「心臓に悪いからやめろ」
「そろそろ片岡のここに雪乃の存在が根付いたかなぁ?」
 ぽこっと片岡のスーツの胸板を叩くと苦笑いで目を逸らす。そのまま真正面向いてシートベルトをかける片岡はもう先生の顔に戻っていてそれがすごく嫌。せっかくの二人きりなのに。だからまた手を伸ばしてハンドルに置かれた片岡の手を取ると当然ながら視線が届く。
「一ノ瀬〜離せよ」
「雪乃って呼んでくれたら離してあげる」
「お前なぁ、我儘は昨日だけのはずだろ」
「名前で呼んで貰えるなら我儘でもなんでもいい。手は離したくないけど…」
 片岡への気持ちを認めてしまえば後はもう鼻歌のように素直に言葉が溢れ出す。そんな雪乃の気持ちを受け止めてくれない片岡は、俯いて深く溜息を零す。
「マジでさぁ、俺が雪乃に本気になってもいいわけ?言っとくけど俺も教師である前に成人してる男だからな。普通にエロい事もするよ?」
 珍しく感情的な片岡に瞬きを繰り返す。
「いいよ。大歓迎!雪乃も片岡とえっちできるよ」
「いやそこだけ拾うなって…」
 八重歯を見せて苦笑い。この困った顔は大好きで、雪乃の言葉で片岡の感情を剥き出しにさせたり、片岡を迷わせたりするのは堪らなく快感だった。夕焼けに照らされた片岡の赤みがかった頬に手を伸ばすと、それを空中で遮るように手首を捕まれた。
「からかうなって、マジで。頼むから、さ…」
 低くて静かな声色に、片岡が少し怒っている様に聞こえる。だから仕方なく手を離した。そのまま無言で走り出す車。今朝、朝海と神谷くんに伝えた幸せな気持ちとは裏腹に、片岡に少しでも拒絶されるとこんなにも胸が苦しいのかと思う。それならいっそ好きって言ってしまおうか?…勇気出して伝えた所で真面目な片岡の答えなんて分かっている。
「直人先生…」
「うん?」
「好きな人、いる?」
「…どうかな」
「もしも雪乃がもう成人してる大人だったら、好きになってくれた?」
「…ならないよ」
「片岡なんて大嫌い」
「それでも俺は一ノ瀬の事、生徒として大事に想ってるよ」
 私の世界から色が消えかかっているのを感じていた。目に見える景色も、隣にいる片岡でさえもグレーに見える。それでも最初からこんなもんだったと思えば、別に以前と何も変わらないと思えた。それでも、一度芽生えてしまった恋の炎は、きっと消えない。どうして同じ世代に生まれてこなかったんだろう。
「着いたぞ。玄関まで送るから待ってろ」
 ぽんと雪乃の頭を撫でる片岡。ずるくない?冷たくした後に優しくするのって。そんなに雪乃可哀想に見えた?しょぼんと沈んで見えた?だから慰めてんの?そんなのいらない…
「いらない、もう一人で平気。迎えも明日はパパにしてもらうからいい」
 雪乃を支えようとする片岡の腕を叩くように振り払った。そんな傷ついた顔するくせに、矛盾してる。でも、振り払った雪乃も心が痛くて…
「…泣くなよ雪乃…悪かった」
 後ろから捕まれた手首。振り返ると片岡はやっぱり少し困った顔。頬を伝う雪乃の涙を片岡の指がそっと拭った。
「明日も迎えに行くから」
 結局振り払うことのできない片岡への想いと同じで、私が片岡を好きな以上、片岡を無視する事ができない。教師という立場である片岡を困らせてやりたいし、雪乃のために悩んで欲しい。それでももしこの「好き」が片岡の人生の邪魔になるのなら、閉じ込めないといけないのだろうか…。
 ただ好きなだけなのに…。
 こんなにも雪乃の中には片岡しかいないというのに、世界はどこまで残酷なんだろうか。
 それでも明日起きた瞬間、私はこの人にただ逢いたいと思うんだろうって…
「直人先生、おやすみ」
「おやすみ、雪乃」
 この日から二人きりの時だけ私を雪乃って呼ぶ片岡に、どうしようもなく胸が熱くなるのは、恋以上の愛だからと思いたい。

あとがき