あの日の真実

忘れもしない、この香り…

「杏寿郎…」

小さく名前を呼ぶと更に強くギュッと抱きしめれる。
散々すれ違ったわたし達。もう気持ちもきっとお互いにすれ違ってしまっている。
だけど、この期に及んで杏寿郎の温もりに胸がドクンとときめいてしまう。それでもわたしは建人さんを、杏寿郎はサチを選んだのだから!

「離して杏寿郎。どうしたの?」

「ハル…どうしても逢いたくて…。どうしてもハルが忘れられぬ」

くるりと反転して杏寿郎の顔をよく見ると口端が切れて血が滲んでいた。殴られた様な跡が残っていて…

「どうしたのよこれ」

口端に指で触れるとクッと目を細めた。それから柔らかく微笑んだ杏寿郎はハッキリとその声を届けたんだ。

「父に婚約を解消したいと言ったらこうなっただけだ。確かに俺はサチとの婚約を受け入れた。それも煉獄家の為だと思って、自分の気持ちもしまいこんだ。ハルとはこれからも幼馴染でいれば、その関係が途切れることはないと思ってな。けれど、日が経てば経つほどに、ハルへの気持ちが大きくなって止まらなくて…。俺は大きな間違いを起こしたのだと気づいた」

そこまで言うと杏寿郎は少し距離をとってわたしの頬に優しく触れた。
初めて聞く、杏寿郎の本音に胸が震えそう…

「それでもどうする事もできずに、この想いをただ君に伝えようとしたけれど、それはやはり俺の自己満足だったし、それを伝えた所でハルの気持ちが俺に来るとも思ってはいない。こんな中途半端な気持だからか、サチともあまりうまくいかなくて…。全部自分の嘘が招いた事だと分かっている。頭の中ではちゃんとしなければと思うのだが…ーーふとした瞬間に浮かぶんだ、ハルきみの笑顔が。俺はハルを愛してる。嘘偽りのない真実だ、これが。勝手だと分かってるが、言わずにはいられない…」

ずっと聞きたかった杏寿郎からの愛してる。やっと聞けた。やっと聞けたというのに、どうして今なの?

「なんで今なのよ、なんで今更そんな事言うのっ?もう戻れない。わたしは建人さんを選んで杏寿郎にはあの女がいる。もう戻れないよ、今更。もう戻っちゃダメなんだよぉわたし達…」

その後は言葉にならなかった。杏寿郎の唇がわたしのそれに触れてその場でギュッと抱きしめられる。この雨の中、どれくらいここで待っていたのか、杏寿郎の唇も身体も冷たくなっていて…

「馬鹿よ、杏寿郎…」

言わなきゃいけないのはもっと違う言葉なのに。杏寿郎を突き放せない自分がそこにいて、この雨に紛れてわたし達の姿も消えてしまえばいいと願わずにはいられないんだ。

「ハル好きだ」

「愛してる」

繰り返される杏寿郎からの告白に身体が熱くなる。
あの日拒絶されたキスを、杏寿郎の方から何度となくしてくれる。それがこんなにも嬉しいなんて。こんなにも、苦しいなんて…ーー

どこへいけばいいのか、もう分からないよ。