杏寿郎に拒絶されたショックが消えた訳じゃない。
…けれど、エルヴィンのお陰で気持ちが少しフワフワしている事も、間違いなかった。
名残惜しくキスを終えたあと「ゆっくりでいい。私の事をもっと頼って欲しい。そしていつか、ハルの笑みを私に見せて欲しい」そんな言葉をくれたエルヴィンにときめかない女がいたら見てみたい。
とはいえ。杏寿郎に拒絶された事が後を引いて仕事に支障が出る程わたしは彼が好きだったんだと、同時に自覚してしまった。
杏寿郎に会わなければ、いつしかこの気持ちは消えて無くなるものなんだろうか?
就職してから会う日も少なくなっていく中、杏寿郎の存在はわたしにとって、無くてはならないものであったと自覚してしまった今、この矢が突き刺さった様な状態で、エルヴィンと向き合う事すら許されない気がする。
「難しいな、恋愛って…」
「…なんだあ?いきなりどうした!?」
ヤバ!!
わたしの声を拾ったのか、たまたま隣に座っていた同期のジャンが馬面の顔をこちらに向けて素っ頓狂な声をあげる。
苦笑いしかできないわたしをロックオン状態で見つめるジャンが続けてこう言ったんだ。
「あのさ、昼休み時間ある?ちょっと頼みがあるんだけど」
なんとなく分かる。どーせゆき乃さんの事だって。万年フラレ野郎のジャンは、ゆき乃さんに2度程告白していた。だけどゆき乃さんは一度もジャンの告白を受け入れてはいなく、それでも尚、ゆき乃さんを思い続けるジャンの話を聞いてみたくなった。
「うん、いいよ」
まさかそれを、七海さんに見られてしまうとは思ってもみなかったけど。
◆
定食屋に連れていかれるのかと思ったら、案外ちゃんとしたイタリアンに連れてきてくれたジャン。女子の扱いにはそこそこ慣れているらしい。顔に似合わず。
「ゆき乃さんってピザが好きなんだよな、確か」
その下調べがちょっとキモイけれど、美味しかったら今度ゆき乃さんと一緒に来ようなんて悪知恵がわたしの脳内を過ぎる。
「で、どうしたんだ?なんか恋愛が難しい的なこと言ってたろ」
てっきり自分の話をするんだと思ったけれど、ジャンはどうやらわたしの話を聞いてくれるらしく、完全に聞く体勢になっていた。
「…好きな人がいるんだけど、ハプニングありきでキスしたんだけどね、…すぐに、なかった事にして欲しいって言われてしまって。そんなわたしの事を好きだって言ってくれる人が2人もいて。2人とも凄く誠実で素敵な人だとは思うんだけど、まだ心の中にモヤがかかってるみたいで、苦しい…」
ジャンなら、どうする?そう言うとジャンはアイスティーを一口飲んだ。
「話したらどうだ?そのキス野郎と。なかった事にして欲しいっつーのが俺にはよく分からねぇ。マジで魔が差したのか、それとも、キスにカウントしたくなかったのか、な。いい男2人に言い寄られてるのも、素直に受け止めていいとも思うが。付き合っていくうちに、そのキス野郎より好きになる可能性だってあるんだろ?」
なんとなく、ジャンの言いたい事が分かった。
わたしと杏寿郎の未来はないんだと。
ゆき乃さんを諦めないジャンに、杏寿郎との未来はないと遠回しに言われてしまったら、結構な勢いで凹んだ。だから、その後ジャンがゆき乃さんについて色々話していたけど、どれも耳に入ってこなかったんだ。
それでもひたすら喋りまくっているジャンは、会社のエレベーター前で「一服してから行くわ」そう言うと颯爽と喫煙所の方へと消えていった。
ジャンと入れ替わるかのよう、エレベーターに乗り込んできたのは七海さん。
「藍沢さん」
小さく名前を呼ぶと、ドアが閉まる寸前、ふわりとわたしを抱き寄せたんだ。