この仕事が終わったら思い切って食事にでも誘おうか。今まで誰かを好きになったことはあっても、こんな積極的な考えが浮かぶことはそうなかった。
出来ることならこの恋を実らせたい。そして、ゆき乃やアイスのように素敵な恋愛をしたい。
「わ、遅くなっちゃった!」
スマホに設定していたアラームが鳴る。ノー残業デーでもある水曜日に残っているのはわたしくらいだった。
煉獄さんに送ってもらったあの日。残業をするのは21時までにしてくれたら安心だ、と帰り際に言われたのだ。普段そんなに遅くなることは滅多にない。それでも、「俺が毎日送ることができればいいがそうもいかないからな」と言われてしまえば、その言葉を聞くしかない。
毎日わたしが残業してるかどうかなんて見てるわけじゃないし、そもそも部署も階数も違う。でも彼と顔を合わせた時にその目に映るわたしがよく映って欲しいと思うのは当然ではないだろうか。想いを寄せている人なら尚更。毎日送ってもらえるような関係になれれば、それに超したことはないのだけど。
最近は煉獄さんがわたしのことを気にかけてくれてるという自覚があった。いくら仕事だからと言っても、多少なりとも好意がなければわざわざ別のフロアまで様子を見にきたりしないだろう。
だからこそ、例え残業をしていても煉獄さんに会えるかもしれないという、
もしかしたら、そんな考えを持っていたからバチが当たったのかもしれない。
フロアの電気を消し、荷物を持ってエレベーターの降下ボタンを押した。1階ではなく上階から降りてくることが少し珍しいなとは思っていたけど、同じように遅くまで残っている人もいるんだなと呑気な事を考えていた。
到着音が静かなフロアに響く。帰ったら何しよう、と開きかけた扉に一歩踏み出し顔を上げた時だった。
「…あ、」
咄嗟に出たわたしの声に反応した二つの顔。そのどちらも目を見開き驚いた顔をしてわたしを見ていた。今まで向かい合って笑いあっていたのだろうと分かる。笑顔から真顔に変わるその表情に、わたしの心臓に甘くない痛みが走る。並んで立っているだけなのに、そのツーショットに何故だか泣きそうになった。
エレベーターに乗っていたのは、煉獄さんと愛莉だった。
「ハル、」
「愛莉お疲れ…。煉獄さんも、お疲れ様です」
「こんな時間まで残業か。仕事が詰んでるのか?」
そんな事ないですよ、とわたしは努めて明るい声で返しエレベーターに乗り込んだ。無理やり作った笑顔が引き
ずっと心臓が痛いくらいに強く脈打っている。これは煉獄さんに感じていた甘い痛みとは程遠い、ただ痛いだけの苦しいもの。
微かに漂うボディソープの香り。二人が残業で一緒になったのではなく、ジムの帰りなのだと察しがついた。愛莉が毎週水曜日はジムを利用していると言っていたのを思い出した。わたしは使ったことがないけれど。
数日前までの煉獄さんとの会話もあの温もりも、すべてわたしが作り出した虚像だったのだろうか。そう感じるほどに、まるで初対面の人と乗り合わせているかのような静寂に息が苦しくなりそうだった。
「藍沢さん、」
「明日は仮デザイン用意しておきますね!ではお疲れさまです。愛莉もまたね!」
扉が開らく少し前に、煉獄さんの声を遮って言葉を続けた。今、煉獄さんの声を聞きたくなかった。
目を合わせずに会釈をして先にエレベーターを降りる。そのまま行けばいいものの、正面玄関の自動ドアの前で足を止めた。
「え……、」
無意識に振り返ったわたしの目に映ったのは、エレベーターの前で愛莉に被さるように重なっている煉獄さんの後ろ姿だった。それはまるで、恋人にキスをしているような甘さが漂っていた。
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