魔法の時間

「いや、ダメですそんな…七海店長にそんな、」
「気にしないでください。あ、彼女に似合いそうな服を一式見繕みつくろってください。靴もお願いします」
「あ、あの…」
「服はそのまま着ていきますので、今着ているものを袋に」

私は向こうで待っています。
そう言うと颯爽とその場から離れた七海店長。私はブランド服を纏った店員に試着室へと連れていかれ、あれよあれよという間に着替えをさせられた。
鏡の前に立つ自分が、まるで別人だった。こんな服、女の私であっても着たことなんてない。
歩く度にカツンと鳴るヒール。揺れる膝丈のフリルスカート。椅子に座っていた七海店長の視線が私を捉えながら立ち上がった。眼鏡の奥の視線に、熱が顔に集中していく。

「とてもお似合いです、藍沢さん」
「…七海店長、」
「今日は休みなので店長はやめましょう」
「そんな、えっと…七海さん?やっぱり私、」
「さ、行きましょうか」

差し出された手を見つめる。否定的な言葉が奥へと引っ込んでいく。長く綺麗な指は見惚れてしまいそうな程綺麗だった。
その手を掴んでしまったのはきっと、魔法にかけられたからだろう。私だけに注がれる視線も温もりも、全部夢にまでみたものだったから。
魔法はいつか終わりを告げるのに、この時の私はそれに気づかずに浮き足立っていた。

女にしては高身長の私がヒールを履いてもまだ見上げるほど背が高い七海さん。彼も新しい服を買い、二人でカフェに入り、ゆき乃さんが好きなパンを買い…まるで付き合ってる恋人同士のデートのようだった。
店内の照明ではなく、陽の光の下で彼を見ているからだろうか。いつも以上に輝いてみえてしまう。

「藍沢さんは本当に物欲がないですね。今日買ったものは全部レイラさんへの物じゃないですか」
「いいんですよ、だって生活費は全部ゆき乃さんから貰ってますし…それに、私に出来ることはこれくらいです。ゆき乃さんは恩人ですから。それにゆき乃さんが嬉しそうにすると私も嬉しいんです」
「貴女も、そうやって笑うのですね」

七海さんの足が止まり、私も自然に足が止まる。柔らかく笑う彼の奥、遠くを歩いていたのはローゼのキャストであるマイだった。
こんな格好でしかも店長である七海さんと一緒にいるのがバレたら風紀に関わるかもしれない。
私は慌てて無意識に七海さんに隠れるように抱きついてその身を隠した。マイが腕を組んで歩くその男は、どこかで見覚えのある男だった。誰だっけ。

「あの、藍沢さん?あの…」

困惑したような七海さんの声に我に返る。彼に抱きついていた身体を慌てて離した。怒られるかも、と思った私の予想に反して、七海さんの顔は少し赤くなっていた。

「すみません!私ったら、あの…マイさんがいたので隠れなきゃと思って咄嗟に」
「行きましょうか」

しどろもどろになる私の手を取り歩き始めた七海さん。繋いだ手の指が絡まり微笑みを向けられ、胸がキュッと締まった。心地のいい心音だった。
それからまたマンションまで送ってもらい、荷物を部屋まで運んでもらった。店長を荷物持ちだなんてバチが当たってしまいそうだ。

「本当にわざわざすみません…服だって」
「貴女は謝りすぎです。私が勝手にやったことです…それとも、迷惑でしたか?」
「そんな!迷惑なはずないです。こんな格好したのは初めてだし、今日は本当に楽しかったし…嬉しかったです、七海さんとご一緒できて」

話してる内に恥ずかしくなって、その瞳から逃げるように視線を胸元へと下げた。
本当に嬉しくて幸せで、胸がいっぱいだ。

「ありがとうございま、」

顔を上げてお礼を伝えたその唇に、何かが触れた。顎に添えられた手が私の顔を上げるように支える。それが彼の唇だと分かったのは、七海さんの温もりが離れた後だった。

そのキスのせいで、私は今日見た光景をすっかり忘れてしまっていた。そして魔法は魔法でしかないのだと思い知らされるのだった。