クリスマスプレゼント

 あのサチコ事件から三ヶ月が過ぎていた。確かに愛莉を傷付けた男に復讐するためにサチコから奪い盗ってしまったから文句を言われても仕方がなかった。だからといって今も同じ事を繰り返しているほど幼くはない。サチコは私との一件以前に仕事に対する姿勢が酷く、あの後すぐに解雇されたらしい。そして人の噂なんてすぐに消えるという事も、私達は知っている。
 年末の繁忙期も終え、クリスマスイヴの今夜は仕事納めだった。

「一ノ瀬、挨拶回り行くぞォ」
「え、待って!今紅茶淹れたばっかなのに…鬼主任!」
「あァ?もっかい言ってみろ」

 年末年始の大型連休に入るから今日中に社内に常備していた茶葉を使い切ってしまおうと朝からひたすら紅茶を啜っていた私の頭をパコンと軽くチョップする不死川主任は、いつもガッツリ開けている胸元を珍しくネクタイで締め付けていた。まぁ挨拶回りなんだから当たり前か。ズカズカ大股で柄悪く歩く不死川主任の横に並んで私もパンプスをカツカツと鳴らして歩く。各部署に主任と一緒に年末のご挨拶をするのは今年が初めてだった。
 一通り挨拶回りを終えてholiday編集部に戻ってくると、不死川主任はすぐさまネクタイを片手で外した。気怠そうな表情を浮かべて椅子の背凭れに寄り掛かると視線を私に向ける。

「お前…今夜はなんか予定あんのかァ…」

 三白眼が私を見つめて離さなくて、公共の場でイヴの誘いを受けているのか?と思うとカァッと顔に血液が集まるように熱くなる。見つめる不死川主任の瞳は私に何を求めているのかさっぱり分からない。

「…ないです」
「なら付き合えよ俺に」

 見つめ合ったまま、表情も変えずにサラリと言われた。トクン、トクン、と胸が音を立てている。
 杏寿郎と私が別れるより前に、愛莉に別れて欲しいと言われていたらしい不死川主任。そのせいでか、ちょうど私の異動云々が重なって不死川主任の気持ちもフラフラしていただろう時に、甘露寺さんの誘いもあって児童書編集部にスカウトされた。もうこれ以上愛莉の恋人ってポジションの主任を見たくなくてその異動の話をのんだけれど、悲鳴嶋部長のご厚意で異動の話をストップしてもらっていた。児童書編集部と、holiday編集部との業務で体調を崩して倒れた私に、あの日不死川主任は「holidayに残れ」と言った。そこにどんな意味が含まれていたのかを私は未だ知らずにいる。
 それから不死川主任とは仕事だけの付き合いを続けてきた。繁忙期という事もあり、恋愛に時間を割いている余裕がなかったのもあるけれど。異動ではなく掛け持ちという中途半端な位置に私を収めてくれた悲鳴嶋部長には感謝しかない。でもそれで、不死川主任の部下というポジションから外れずに済んだ。

「あの主任、今日がなんの日か分かって言ってます?」

 デスクの上で煙草を咥えていた不死川主任がライターを指でカチカチとさせながらも私を見上げる。ほんの一瞬PC横に置かれたカレンダーに視線を移すも、「あァ」そう言うだけだ。
 そんな一言じゃとてもじゃないけれど、この人の心なんて読めるわけがない。
 勿論、誘われて嬉しいって気持ちしかない。でも頭の片隅で浮かんでしまうのは――愛莉の代わりにするつもりなのか?と。あれだけ私に対して恋愛拒絶してきたからなのか、どことなく真実味がなかった。愛莉みたいに、愛される自信もサラサラない。

「…嫌なら別にいい、ンな困った顔すんなら」
「嫌じゃない!…不死川主任に誘われて嫌だと思うわけないじゃないですか…」

 喉から手が出るぐらいこの人が欲しいと思う気持ちは今も変わらない。それが独り善がりになるのが怖いだけだ。

「なら7時に駅前で待ってる」
「はい」

 一礼してデスクに戻った。ドクドクと心拍数が上がっていて身体中が熱い。やり残した仕事が一つもなくてよかった。今日はもう仕事どころじゃない。クリスマスイヴの夜を不死川主任と過ごせるなんて、それだけで今日まで生きてきてよかったとすら思えるなんて。
 叶うのなら、愛莉も杏寿郎と一緒に過ごしてくれたなら、私達は本当の意味で元の友達に戻れるのかなぁなんて勝手な事を願った。
 ちゃんと仲直りはしたし、あれから愛莉やアイス、ハルとも変わらず時々ランチや飲みに行ったりしてる。愛莉と二人で行くこともあったし壊れかけた友情は元に戻ったと言ってもいいだろう。それでも私は杏寿郎の話をしないし、愛莉も不死川主任の話をすることは無かった。その話題をタブーと化してしまった事を少し悔やんでしまっているものの、やっぱり関係を持ってしまった以上は、触れられない暗黙の了解だったんだと思う。
 ただ一度だけ、「杏寿郎と別れた」と愛莉に伝えた私に、愛莉は涙目で「私も実弥さんに別れたいって言ったの。私の気持ちはやっぱり煉獄さんにしかない」と、嘘偽りのない瞳で私に話してくれた。お互いにもうこれからは自分の気持ちに正直に生きよう!なんて二人で誓いあったのが遠い昔のようにも思えるけれど。何でも話せる仲間が傍にいるという事は、偶然でもなにものでもない、奇跡なんだと改めて思う。


「皆さん、良いお年を〜」

 そんな言葉と共に一年頑張った社を後にした。忘年会シーズンでこの辺りのお店も今夜はいっぱいだろうと思う。holiday編集部では昨日が忘年会で、散々飲みまくったから今日は控え目にしようなんて思いつつ、不死川主任が何処に連れて行ってくれるのか想像するだけで胸がポッと熱くなる思いだ。
 イヴの夜に食事に誘ってくれたということは、少しは期待してもいいのだろうか。そう思う気持ち半分、全然違う意味で誘ったのだったらと、自信のなさの現れで足幅もゆっくりになりかける、それをさっきからずっと繰り返してしまう。道行く恋人達とすれ違う度に、あんなふうに仲睦まじくできたらいいのにと思わずにはいられない。手を繋いで二人だけの会話を楽しんで…脚を止めた私を「上司を待たせるとはいい度胸だなァ、たく!」ポコンと頭を殴られた。どうやら約束の時間を数分過ぎていたらしい。私の腕を掴んだ不死川主任がジロリと睨みをきかせつつもそのまま私を引っ張って歩き出した。

「あの、どこ行くんですか?」
「行きゃ分かる」

 無愛想にそう言う不死川主任の手を引っ張ってその大きな手に指を絡めてギュッと繋ぎ直す私に何も言わずにされるがまま。もう擦れ違う恋人たちに目もくれない。私を引っ張る不死川主任しか目に入らない。
 自然と頬が緩むのが分かった。腕にぎゅっと抱き着くと視線が降りてくる。首元に巻いてるグレーのマフラーが不死川主任の口元を隠していてそれがちょっとかっこいい。

「私達も恋人同士に見えちゃいますね。今夜はイヴだし」

 私の言葉に無言で視線を逸らした不死川主任。まぁスルーされるだろうと思っていたから想定内。それでも繋いだ手を離さないでいてくれる主任がやっぱりどうにも好きだ。嬉しくてギュ、ギュと握る私の手を不意に力強く握り返されて…視線をあげると真っ直ぐに私を見下ろしていて…

「好きなの選べェ、買ってやる」

 ガラス張りのそこに入ると店員が皆揃っていらっしゃいませとこちらを向いた。薄いグリーンをモチーフにした有名ブランド店。可愛らしいジュエリーがたくさんショーケースに飾られていて…
 へ、意味不明!!なんで急に!?思わず不死川主任と繋がった手を引っ張るとまた視線が絡んだ。まだ何も決定的な言葉を貰っていないというのに、なんでこんなこと…

「買ってもらう意味が分かりません…」

 そりゃ欲しいけど、でも、でも、違う。そんなものを求めているわけじゃないのに。

「クリスマスプレゼントだァ。素直に選べよ」
「…どうして?不死川主任は私に何も言わせてくれなかったのに、なんで何も言ってくれないの?心の中の気持ちなんて、言葉で伝えてくれなきゃ分からないです。どうして私なんかにプレゼントしてくれるんですか?どうして今更…」

 ポロリと涙が一粒頬をつたう。だってズルい。私の気持ちは分かっているかもしれないけれど、私が知っている不死川主任の心はずっとずっと愛莉のもので、別れたからってそれが私に向く事になるわけじゃないって思ってた。そりゃ私がガンガン押したから色々考えてくれてたのかもしれないけど…だからって不死川主任が私を好きだという気持ちなんて一つも伝わってきていない。
 泣き出す私の手を引いて不死川主任はお店から出た。外の空気に触れて白い息が漏れる。「悪りィ、予定変更だァ」そう言うと不死川主任は近くに停めていたのか、パーキングに停まっていた車に私を押し込んだ。運転席に戻って暖房をつける。カーナビのラジオからはタイミングよくクリスマスソングが流れてきていて…

「お前の言う通りだなァ、悪かったよ」

 ポンと頭に置かれた大きくて温かい手がゆっくりと私の頬を掠めた。

「勝手に伝わってると思っていたが、何も口にしてねェのも事実だ。…川谷とはもう終わってる。たぶん川谷に別れを告げられたのと一ノ瀬の異動が同じぐらいで…俺は川谷が自分から離れちまうことよりも、一ノ瀬が俺の部下じゃなくなる事の方が嫌だと思った。散々お前に煉獄を見てやれだとか、女として見てねぇだとか言った手前、今更なんだよって話だっつーことも分かってるし、川谷を愛してると思った気持ちが何だったのかも考えた。嘘にしねぇように意地張ってんのかとか色々考えたが、愛してた事は間違っちゃいねぇと思う。それでもお前が俺の傍に変わらず居てくれる事が有難てェと思ったよ、心底な」

 トクン、トクン…胸が脈打っている。目の前の愛する人からの言葉を一語一句聞き逃さないように私は見つめ返す。頬を指で擦る彼の瞳が私を真っ直ぐに見つめていて、小さな黒目の中に自分の姿が映っている事に幸せを感じずにはいられない。
 ふぅと一つ大きく息を吐き出した次の瞬間、不死川主任の瞳が私を捉えた。

「お前が好きだ。…愛してる。これからもずっと隣に居てくれねェか?」

 欲しくて欲しくて堪らなかった言葉。どんなクリスマスプレゼントよりも嬉しい。

「それが、不死川主任の行き着いた答えってことですか?」
「あァ、これが俺の出した答えだァ」
「嬉し…私の気持ちは今も変わらず貴方を愛してる…」
「ゆき乃…抱きしめさせろ」
「はい」

 狭い車の中で、ふわりと伸びてきた不死川主任の腕がそっと私を抱きしめた。よく聞くと、主任の心音は早鐘を打っていて…少なからず彼も緊張してくれていたんだと思うと頬が緩んでたまらない。

「好き。主任が好き」
「あーその主任ってやめろォ。普通に呼べよ」
「普通に?…不死川さん?」
「いや、」
「実弥さん?」
「さんはいらねぇ」
「…実弥?」
「それでいい、ゆき乃」

 強く掻き抱く実弥の方に身体を寄せると運転席の方まで引っ張り上げられた。慌ててラッコ座りで実弥の開いた脚の上に乗っかると、間髪入れずに唇が重なる―――。
 初めて触れるその唇は、ほのかに煙草の味がした。