小さな疑問
「帰りたくない…」
生まれてこの方、こんな台詞を異性に対して放ったのは後にも先にもこの時だけだと思う。
パパとママはここんとこ喧嘩ばかりだった。原因がパパの浮気だって知っている。大人のオトコは浮気をするものだと思った方がいいのだろうか。そんな夢が壊れるような事は、ごくごく普通の一般家庭にも当たり前のように起こりうるんだ。
「なにしてんだこんな遅くに、危ねぇだろが」
コンビニエンスストアで雑誌を立ち読みしていたわたしの頭をポコンと大きな手が掠めた。
トーマンの集会がある日は、帰りに必ずこのコンビニに堅くんが寄る事をわたしは知っている。だからその時間に合わせてわざわざ出てきた。
コメカミの龍が呆れた顔でわたしを見下ろした。
「小腹がすいたの」
「あ?太んぞこんな時間に食ったら」
「な!!!そんなにいっぱい食べないもん」
「つか脚出してんじゃねぇ、馬鹿が」
ホットパンツが気に入らなかったのか、また頭をポコンとされてわたしが手にしていた雑誌を棚に戻すと首根っこを掴まれて「帰んぞ」コンビニから連れ出された。
でもいいや、堅くんの顔見れたから。嫌なことあっても、彼氏の堅くんがこうして優しいからわたしはまだ幸せだと思う。
「…また喧嘩、か?」
バイクの後部座席に乗ったわたしに視線を移してそう聞く。我が家の内部事情を知っている堅くんにコクリと頷いた。ほんのり顔を歪めた堅くんはクシャっと私の前髪を優しく撫でた。そのまま無言でバイクのエンジンをかけるとわたしの家とは反対方向へと走らせる。向かうは堅くんの家だった。
バイクを停めてエレベーターに乗り込むと「帰りたくなったら送るから言え」堅くんの部屋に連れて行ってくれるらしい。なんだかんだで優しい堅くんに胸がキュッと音を立てた。
部屋に入るとさっきコンビニで買った牛カルビ弁当を取り出してそれをパクつく。私は買っていたアイスを口にした。
「ねぇ堅くん」
「あ?」
「男の人って、どーして浮気するの?」
「は?してねぇし俺」
「違うよ分かってる。堅くんじゃない。うちのパパ、パパが浮気なんてしなきゃママは機嫌がいいのに。結婚する時に誓い合うよね?それってやっぱり意味無いのかな〜」
バニラアイスをスプーンですくって口元に運ぶ。甘くて美味しくて幸せだって思う。小さな幸せはこの世の中に沢山あって。忙しかったり疲れていたり、人間は余裕がないとそんな小さな幸せにすら気づけない事が多い。
こうして堅くんと過ごす時間ですらわたしには愛おしい。好きな人が同じように自分を想ってくれる事はやっぱり奇跡だと思うし、その奇跡を甘んじちゃいけないって事なのかなぁ…。
「オヤジさんの気持ちは俺には分かんねぇよ。時間を重ねれば永遠なんてもん、無くなっちまうのかもしんねぇし。俺らみてぇなガキには今大切な事をするだけで、未来なんて見えてねぇのかもしんねぇからな。けど少なくとも一生を誓った相手の事は、永遠愛していくのが筋だと思う…俺はな」
カルビ弁当なんて食べていても物凄くカッコよくて。堅くんは聞けばちゃんと言葉にしてくれる人だった。聞かないと言ってくれない事の方が多いけれど、それでも質問にはこうしてちゃんと答えてくれる。
「わたし…結婚できるのかなぁ」
「は?お前喧嘩売ってんのかよ?俺が面倒見てやるっつーのに」
「え、ほんと?わたし結構重たいけど、」
備え付けのウインナーをわたしの口に差し出す堅くんは、フッて大人っぽく笑った。でもそれがわたしの全身上から下まで見てからの笑いだったから…
「え、違う!体重の話じゃないよ!」
「わーってるよ、ちゃんと。つか名前、俺は名前と別れる気さらさらねぇからな。もし俺らに別れがくるとしたら、それは名前が俺を捨てる時だけだ」
捨てるなんてそんな事、あるわけない。
考えるだけで泣きそうで、膝を抱えるわたしに堅くんがまた優しく髪を撫でた。ウインナーをむしゃむしゃと咀嚼するわたしに、「だから捨てんなよ」そう言う堅くんの腕が肩に回って、まだ半分ぐらい残っていたウインナーを舌で絡め取られてしまう。ほんのりカルビ味の残っている堅くんの舌はまだ食事の途中だというのにわたしの口内から出ていかないで、歯列をなぞって上顎をやらしく舐めとっていく。舌を甘噛みされてキュンと子宮を疼かせるわたしに、堅くんは尚もキスを続けた。
二人きりじゃないと当たり前にできないせいか、こうして触れ合う事が数日ぶりという事もあり、堅くんのキスは止まるすべがなく、何度も何度も角度を変えて唇を
隣の部屋から聞こえるピンク色の喘ぎ声ですら今のわたし達にはBGM程度と化している。
トサッとラグマットの上に押し倒されたわたしは、コメカミの龍に手を伸ばすと堅くんの舌が首筋に移動した。
心地よくも目を閉じたわたしに堅くんはチラリと壁にかかっている時計に視線をずらした。
「あ、止めないで…帰りたくない…」
思わず口を継いで出たそんな色言葉に自分でも恥ずかしくって…
「悪りぃが、最初から帰す気ねぇから。諦めろー」
そんなこと言いながらも、帰るって言ったら堅くんはちゃんと送ってくれるって分かってる。
きっと、ママから電話が掛かってくるにはまだ時間が早い。トーマンとかマイキーとか、そーゆう時間にわたしは入る事ができないけれど、この時間だけは堅くんを独り占めできるから嬉しくて堪らない。
コクリと小さく頷いて堅くんの首に腕を回すと、堅くんの大きな身体がわたしにゆっくりと落ちていく…。
前言撤回、大人の男が浮気をする生き物ではなく、堅くん以外のオトコがそれに当てはまっているのかもしれない。
