始まりはなにってことないこの言葉だった。
中学三年春。
不良ってわけじゃない、ただ音楽の先生が耳に付けているそのピアスがとても綺麗に見えて、背伸びをしている訳でもないけど、なんとなく憧れたんだ。
「俺開けてやろーか?」
えっ?
振り向くと机を椅子に大股開いて乗っかっている同じクラスの三ツ谷くん。自分の耳を指差してニッコリと垂れ目を細くして笑っている。
「いいの?」
「いーよいーよ、俺うまいから。帰りにファーストピアス買いに行こうや」
「え、うん!お願いします」
「おう」
ニカッと笑ったその顔に安心感すら覚えた。
ルンルン気分で放課後になるのを待った。
そして、時間はあっという間に過ぎ、三ツ谷くんと一緒に教室を出た私はとある事に気づく。
「三ツ谷くんってバス?」
「ん〜違う違う。安心して安全運転するから」
ニコッと笑ったまま指差すそこには三ツ谷くんのらしきバイクが停まっている。ハンドルにかかった黒いメットを持つと私の前に回ってそれを頭にスコンと被せられた。
「とりあえず俺のだけど、ねぇーよりマシだから」
顎の下でカチッと鳴る音がすると、ポコンとメットの上から頭を撫でられた。
「もしかして後ろに乗る系?」
「そ。あー怖い?」
三ツ谷くんの顔にはまだ先日の傷が痛々しく残っている。トーマン関係でバイクに乗ってる所を襲われたとかで、数日入院したりしていたって誰かに聞いた。全くもって現実味のないそれが、今更リアルに目の前に現れて心臓がバクンと音を立てる。
もしまた襲われたら、私死んじゃうのかな。不安が顔に出ていたのか、三ツ谷くんは少し困ったように眉毛を下げる。ポリっと頬をかくとほんのり屈んで目線を私に合わせた。
「苗字が怖ええなら止めるよ。ちょっと時間かかるけどバスで行く。けどこいつに乗ってくれんなら、何があっても俺がお前を守る」
ここら一体は俺らの界隈だから誰にもデカい顔はさせねぇ!…そう続く言葉にゴクリと唾を飲み込んだ。
優しい三ツ谷くんの笑顔がほんの一瞬消えたように見えて脳が危険信号を出している。これ以上先に進むなと。でもそれとは裏腹に私の伸びた手は三ツ谷くんの制服の裾を掴んでいて。
「乗る」
一言そう口に出してしまう。途端に笑顔になった三ツ谷くんは、私の腰に腕をかけるとふわりと急に抱き上げてバイクの後部座席に座らせてくれた。一瞬で暴れる暇もないくらいスマートに抱き上げられて、心臓がめちゃくちゃ爆音をたてている。
「腹に手回してしっかり掴まっとけよ〜」
運転席に座った三ツ谷くんが、ちょこんと腰を掴む私の腕をぐいんと引き寄せてそんな言葉。完全に後ろから三ツ谷くんに抱きついた状態の自分に羞恥心が半端ない。でも、ヘルメットから香る三ツ谷くんの香りと、想像よりずっと逞しい彼の腹筋は、とても生々しいけれど何故だか心地よく思えたんだ。
エンジンをかけると爆音が耳に響く。
「んじゃ出っ発〜!」
楽しそうにそう言った三ツ谷くんは、ほんの一瞬私の手に自分の手を重ねるも、すぐにハンドルを握ってバイクを運転し始めた。
初めて乗るバイクの後部座席は、思ったよりも怖くない。安全運転してくれているのが分かる。そーいう意味では三ツ谷くんに嘘はないって思えたものの、
ーー数分後、私は目を瞑って三ツ谷くんにこれでもかってぐらい抱きついている。
少し後ろを走るバイクの爆音に恐怖で震える身体をそれでも三ツ谷くんにしがみつくしかできない。
「クソッ、しつけぇな」
何故か何故か、
「悪いな、もう少し我慢して」
小さく聞こえたそれにコクッと頭だけ三ツ谷くんの背中に押し付けると、ポンとまた手を軽く握って三ツ谷くんは前を向いた。
それから数分、色んな道を巡り巡ってやっとバイクが脚を止めた。
ガチャンとブレーキをかけて運転席から降りると、三ツ谷くんの手が私の腰を掴んで抱き降ろされる。脚がガクガクに震えて三ツ谷くんが手を離したらその場にストンと落ちそうなぐらい力が入らなくて。
「怖かったよな、マジでごめん」
ふわりとその場で三ツ谷くんが私を軽く抱き寄せた。
「めっちゃ怖かったよ三ツ谷くん…」
「ん。分かってる。でもアイツらの顔は覚えたからちゃんと仕返ししてやるからな」
ニカッて目を細めて笑うけど、そんな抗争止めていただきたい。そう言いたいのに声も震えてなかなか喉の奥から言葉が出てこない。大きく深呼吸を繰り返す私は、漸く三ツ谷くんの腕の中からそっと顔を出した。三ツ谷くんはヘルメットをとっぱらってくれると、それをバイクのハンドルにかけて、「ついておいで」ポケットに手を突っ込んで歩き出した。
向かうはショッピングモールとは程遠い、言っちゃえばそう、一軒家。表札には【三ツ谷】って出ているからここは三ツ谷くん家だよね。
「あの三ツ谷くん?」
「俺のピアスあげるから、それ付けてろよ、な?」
左耳に大きめな十字架を付けた三ツ谷くんが私を家に上げてくれた。…男子の家とか入るの初めてなんだけど、緊張する。
「一番奥が俺の部屋だから入ってて。準備すっから」
「う、うん」
ドキドキしながらも脚は廊下を歩いて一番奥の部屋へと進む。ドアをあけるとシックな色味の部屋が視界に入る。窓際にでかでかと掛かっているトーマンの黒い旗がほんのりと揺れていた。