カビ臭さとお腹の痛みで意識が戻った。薄暗いここが何処なのか分からないけれど、見渡す限り倉庫の中みたいだった。手足を結束バンドの様な物で縛られていて身動きが取れない。三ツ谷くんの弱点だというだけで、こんな目に合い続けてしまうんだろうか…。私は彼女でも何でもないのに。トーマンはそんな危険な人達なんだろうか。三ツ谷くんがどれ程注意してやり返してくれた所で、この無意味な争いは終わらない様な気がした。
三ツ谷くんのバックにいるマイキーが目的?もうそんなの何も分からない。ただここが暗くて怖くて心細くて、三ツ谷くんが助けに来てくれる事を待つしかできない弱い自分が情けなくて…
「三ツ谷くん…怖いよ…」
涙が溢れてくる。次から次へと…。
空気の悪いここは、数分で気分が悪くなった。
それからどれくらい経っただろうか。意識が朦朧としてきて周りの音も遮断されてきて、そっと目を閉じると何も聞こえなくなった。
ーーガタガタガタガタ、不意に聞こえた音に目を開ける。何かを外でガシャガシャ壊している音がして、大きな物音と共に明かりが入ってくる。
「苗字ッ!!!」
「三ツ谷、く…」
「悪い苗字 、マジでごめんっ!」
外にかかっていた古い鍵をぶっ壊して助けに来てくれた三ツ谷くん。蹲っている私を見てチッと舌打ちをするとすぐに手足の縛りを外してくれた。「悪かった」ボソリとそう言う三ツ谷くんはそのままぐったりしている私を緩く抱きしめた。三ツ谷くんの香りに包まれて安心してホッとして、こうしてちゃんと助けに来てくれたのが凄く嬉しい。それなのにどうしてだろう、胸が苦しくて…
「三ツ谷くん、もうやだよこんなの…」
「苗字?」
「どうして私ばっかりこんな目に合うの…」
「苗字…悪い、俺のせいだよな」
「三ツ谷くんがトーマンだから?…毎日こんな風に狙われて怖くて、もうやだ」
涙が溢れて止まらなくて。三ツ谷くんを責めたい訳じゃないのに、気持ちが言葉に変換されて勝手に口に出てしまう。三ツ谷くんの事気にしていた気持ちすらもう今は無くなっている。トーマンメンバーの好きな女はこうも狙われるのなら、私にはきっと無理だ。一般人の私には三ツ谷くんの想い人は務まらない。こんな事屁でもないって強い女じゃないと…
「三ツ谷くんはちゃんと助けに来てくれるけど、狙われたくない。もうやだ、もう無理…普通の生活がしたい…」
泣きながら心のモヤモヤを吐き出す私を、三ツ谷くんはただ黙って全部受け止めてくれた。彼を責める私を責め返す事もせず、ただ「ごめん」と何度も私の背中を撫でていた。
三ツ谷くんを見るとドキドキが止まらなくて、三ツ谷くんの声だけが耳に入ってきて、三ツ谷くんを追う視線が自分じゃ止められなかった私はもう、ここには居ない。
きっと三ツ谷くんにも言い分は沢山あったはずなのに、それでも三ツ谷くんは私を受け止めるだけだった。
「もう苗字に迷惑は絶対ぇかけねぇ。マジでごめん…」
家の前でバイクの後部座席から私を下ろした三ツ谷くんは私の手をギュッと握ってそこに祈りを込めるようにおデコに推し当てた。トクンと胸が小さな音を鳴らす。
「あのさ、一つ頼みがある」
「え?」
「俺の苗字への気持ちはどうにも変えられねぇ。けど俺もこれ以上苗字が一人で今日みたいになる事は御免だ。たぶんアイツらの最終的な狙いはマイキーだ。今後は俺だけの問題じゃなくなる。どんな事があっても、俺の苗字を好きだっつー気持ちは変わんねぇから。それだけは忘れねぇで覚えといて欲しい…」
三ツ谷くんは何かを見据えた顔でそう言うと、私の手にほんのり口付けを落とした。そこに三ツ谷くんの想いが強烈に込められている様で、それを私には受け止めきれなくて…何も言えなかった。
無言で立ち尽くす私の頭を優しく撫でると、「じゃあな苗字」三ツ谷くんの笑顔がゆっくりと私から離れていく。
その手の甲へのキスが最後になるなんて思いもしなかった私は、それから2日間学校を休んだ。
ーー3日後、登校した私の耳に入ってきたのは、「三ツ谷くん彼女できちゃったんだって〜」なんて騒ぐ隠れ三ツ谷ファンの女子たちの言葉で。髪の長い小柄のキリッとした美人を隣に連れて歩く三ツ谷くんと擦れ違っても、視線すら合わなかった。まるで私の存在その物が見えていないかのように。
自分で望んだ言葉だというのにどうしようもなく胸が苦しい。三ツ谷くんの言った言葉を信じたいのに、女連れで笑いあっている姿を見ると、裏切られたような悲しい気持ちに陥ってしまうのはどうしてなんだろう。
それでも私の耳には三ツ谷くんの声が今も届いてしまうし、この瞳が彼の背中を追ってしまう。
それが無駄な行為だと分かっていても止められるものでもなかった。
だけれど、この日から私はもうトーマンを狙う他のチームの輩に狙われる事もなく、連れ去られる事もなくなった。望んでいた普通の生活が戻っただけなのに、心の中にポッカリと穴が空いてしまった様でどうしようもない消失感に悩まされている。
放課後部活に向かう三ツ谷くんを見つけた。
「み、三ツ谷くん」
勇気をだして名前を呼んだ私に、三ツ谷くんは立ち止まってゆっくりと振り返った。
「なんか用?」
冷たい言い方だった。前みたいに優しい雰囲気は微塵もなくて、こちらを見つめる視線も冷たく感じてしまう。
それでも私は彼に駆け寄って耳に手を当てる。
「あのピアス付けたい…」
「あー悪りぃ、こないだ間違えて捨てちゃったんだわ。だから他当たって。ごめんな」
ニッコリと微笑む三ツ谷くんだけど、そこには温かみも何もなくて、今ここには私と三ツ谷くんの二人きりだと言うのに、まるで別人と接しているかと思えてしまう。
「三ツ谷くんあの、私、」
「苗字、もう俺に関わるな」
伸ばした手が空中で止まって掴みきれず自分の足元に戻ってきた。冷たい言葉を浴びせた三ツ谷くんに、恋愛初心者かつ脳内子供な私は、それが三ツ谷くんの最大限の優しさであり愛情だなんて、気づけるわけもなく、ただ目の前で過ぎてゆく事が受け止めきれないんだ。