仮の嫁

「三ツ谷くん、あの…」
「あ、悪りぃ悪りぃ…」

顔を上げた三ツ谷くんは何だか嬉しそうで。
私の頬を指でやんわり撫でたりして、ドキドキが止まらない。視線を合わせてニコッと微笑む三ツ谷くんは頭をポンポンと撫でると、また私をふわりと抱きしめた。
トクンと三ツ谷くんの肩に顔を押し当てられる。

「苗字聞いて。今度トーマンがメビウスに喧嘩吹っ掛ける。狙われたのは苗字だけじゃなくて、ぱーちんの親友も、その女も…ーー正直回された女が苗字じゃなくてホッとしてる。あのまま柚葉の事流さなかったらお前もクソみてぇな野郎たちに回されたと思うと気が狂いそうだ。だから柚葉の事はまだ否定しねぇし、傍に置いておく。けど言わせて…」

そう言うと三ツ谷くんは私を抱きしめていた腕を離して少し距離を作る。真剣な瞳に見つめられて胸がドキドキと爆音を鳴らす。私の頬に触れる優しい手にほんのり目を細めると、三ツ谷くんはこう続けた。

「俺は苗字が好きだ。俺が好きなのは柚葉じゃねぇ、ーー苗字だけだから」

三ツ谷くん達族の世界の事は全く分からない。でも今、目の前にいる三ツ谷くんは私を好きだって言ってくれて…

「いつまで待てばいいの?」
「え?」
「いつまで待ったら三ツ谷くんの隣で歩けるの?」

何言ってんの?って自分でも思う。でも、三ツ谷くんへの気持ちを認めざるを得なくて、認めてしまったらそれは溢れる一方で。三ツ谷くんがカモフラージュしなきゃならない理由も分かったけど、それでもやっぱり、堂々と三ツ谷くんを好きでいたい。
私の問いかけに頭を下げる三ツ谷くん。銀色の髪がふわふわと私の頬を掠めている。

「苗字って、素直になったらなんかヤベェ…」
「え?」
「いや、なんもねぇ。…メビウスやったら俺の嫁にしてやるから、それまでの辛抱だ」

三ツ谷くんの口から繰り出す【嫁】という言葉に私はコクリと頷く。スっと三ツ谷くんの前に右手の小指を差し出す。それをキョトンと見つめ返す三ツ谷くん。

「ん?」
「約束」
「あーそゆことな。うん、約束する」

キュッと三ツ谷くんの右手の小指が私の小指に絡まる。大きさも太さも違うそれにドキッとする。

「ふふ、三ツ谷くん意外と手大きいね」

ギュッ、ギュッと小指を握ると三ツ谷くんの視線が降りてくる…ーー絡めた小指をそのままに、三ツ谷くんの右手が私の頬に触れて、自然と私の顔が上を向く。三ツ谷くんの垂れ目の奥で、ほんのりと揺れている瞳に私が映っていて…

「名前…」

名前で呼ばれてドクンの胸が大きく脈打つ。コツっとおデコをくっつける三ツ谷くんの口端はほんのり緩んでいる。セミの鳴き声すら、今の私たちには耳に入っていない。

「俺が今何考えてっか、分かる?」

三ツ谷くんの指が私の唇をなぞっていて、視線が私の目と唇を行ったりきたりしている。これは分かる、流石に分かる。想像して恥ずかしくなるけど、嫌じゃなくて。

「うん、分かる」
「なら遠慮しねぇ」

トンって下駄箱を背に三ツ谷くんの左手が顔の横に着く。憧れの壁ドンすら今は気にならなくて、伏し目がちな三ツ谷くんの長い睫毛を見つめていると、ちゅっと重なる唇にそっと目を閉じたーー

初めての感触に胸のドキドキが止まらない。子宮の奥がキュッと締まるような感覚で、ほんのり離れた唇がまたすぐに重なる。三ツ谷くんの香りが鼻腔を掠めて全身が三ツ谷くんに包まれるような気分だ。

「三ツ谷く、」

名前を呼ぶとキスの途中で目が合う。

「どした」
「ドキドキする」
「ふ。俺も」
「でも嬉し…」
「たく。あーヤベェ!今すぐ嫁にしてぇわクソッ!」

ブンブンと頭を振る三ツ谷くんのニットの裾をちょこんと摘む。

「嫁になったら私どーなるの?」
「んなの決まってる。ゲロ甘やかす!んでいっぱいちゅーする」

フッて笑った三ツ谷くんがまた顔を寄せる。耳元に顔を寄せて甘く囁く三ツ谷くんにコクリと頷く。

「今は仮の嫁な。いっぱいちゅーさして」

ゲロ甘な三ツ谷くんのちゅーは、私の心を意図も簡単に埋めつくした。もう三ツ谷くんしか見えない。色付く景色の中にいる三ツ谷くんだけが私の瞳にひた映っているんだ。




存分に甘やかされた私は三ツ谷くんと一緒に下駄箱を出る。外に誰かを待たせていたのか、三ツ谷くんは「おう」そう声をかけると2年生だろうか、小走りでこちらにやってきた。

「三ツ谷さん、お疲れ様ッス」

ちょっと暴力団員みたいな挨拶に苦笑いする私を他所に、三ツ谷くんはその中の一人に私の鞄を持たせた。

「家まで送り届けろ。寄り道すんじゃねぇぞ」
「はい」

三ツ谷くんはくるりと振り返るとニカッと白い歯を見せて笑う。

「こいつら全員苗字の護衛隊だから安心しろ。あの日からずっと苗字の事護衛させてた。もう一人にする訳にいかねぇからな」
「え?気づかなかった。え、護衛?」
「そ。苗字が家出てから帰るまで毎日な。外出る時はGPS見て誰かしら向かわせてた。だからあれから狙われてねぇだろ?」

涼しい顔で凄いこと言ってるような気がするけど、色眼鏡をかけている私には三ツ谷くんが言うなら間違いないとすら思えてしまう。

「うん」

できるなら三ツ谷くんに護ってもらいたいなんて思いながらも、護衛くん達の前でゲロ甘は封印だ。現に三ツ谷くんが私以外に出す声はビビるぐらい低くて別人のようで…それがトーマンの三ツ谷隆なんだと思わざるを得ない。

「じゃーな苗字!」

クシャッと髪を撫でた三ツ谷くんは私に手を振る。私は周りにいる人に頭を下げて歩き出す。
家までしっかりと送り届けてくれた護衛くん達は、鞄を手渡してくれる時に「苗字さん、三ツ谷さんにめちゃくちゃ愛されてますね!では、失礼しました」深々と頭を下げられる。誰かにそう言われる事がこんなにも嬉しくて擽ったくて、ゲロ甘なんだと身をもって知る。
あんなに悪かった気分は三ツ谷くんのお陰でスッキリとしていて、心はとても晴れやかだった。