恋の終わりは、始まりの合図

傷猫を受け入れてから最初の一週間は交代で付きっきりで観察した。
FIPの子の投薬が始まってからグッと食欲が落ちた。元々が小柄な子だから食べてくれないと体重が減少して身体が持たない。
体力がなくて脱水状態になってしまって危険だからとりあえずの処置として皮下注射で補液をしていた時だった。

「ユヅキ、」

聞こえたアルミンの声にカメラ横に置かれたパソコンの画面をつける。研究所で白衣姿のアルミンがちょっと複雑な顔をしてこっちを見ている。

「アルミンなに?」

「この子、そっちでお願いできるかな?」

スッとアルミンが画面に映した猫は顔の右側がえぐれていて肉が見えてしまっている。
血が苦手な人なら倒れているかもしれない。

「その子は、事故?それとも、虐待?」

「分からない。でも人馴れはしてるから、」

その先は言わずとも分かる。外猫でも人馴れしている猫は一度保護したら二度とリターンはできない。人馴れしている猫ほど虐待の対象になってしまうから。

「迎えに行く。そっちに用事もあるし」

私の言葉に頷くアルミンは、次の瞬間ふわりと笑って「リヴァイ班長に?」なんて聞かれてトクンと胸が脈打つ。
ここ一週間、リヴァイとまともに話すらしていなかった。
昼夜の生活が一変しているのもあるだろうけど、ほんの少しでも目を離せない子もいるから。

「リヴァイは、元気?」

「めちゃくちゃ荒れてるよ、ユヅキに逢えてないからだと僕は思ってるけど。相変わらず厳しいし、エレンとよくやりあってる!いつもミカサが間に入って…というか、エレンを守ってる。班長もユヅキに逢いたがってるのが僕には分かるよ。」

そこで思い出す、ハルとアルミンの事を。知らないリヴァイを知れて嬉しい気持ちはあったけれど、画面越しのアルミンが切なく微笑んでいるのが気になった。

でも…それでも私はアルミンの切ない顔よりもハルの泣き顔の方が苦しい。
言いたい事は沢山ある。けれど何一つ言えない。
結局の所私は二人からしたら第三者で、答えを出すのは私ではなくハルであり、アルミンであるから。

…実弥にもちゃんと言わなきゃ!と、不意に思った。

「交代が来たらすぐに行くね。」

それだけ言うとアルミンはこくりと頷いた。
pcの画面を切ると傍で聞いていたマルコがニッコリと微笑む。

「行っておいでよユヅキ。僕は一人で大丈夫。何かあればすぐ連絡も取れるし。」

基本は二人体制と決めたのは私たちなのに、マルコって人は状況を見ていつだって優しく人にとって最前の方法を提案してくれる。

「疲れた顔してる。…リヴァイ班長に会って充電しておいで。ね?」

「マルコ…ありがとう」

「どういたしまして」

優しく微笑むマルコに甘えて私はシャワーを浴びて身支度をすると、そのままリヴァイのいる研究所へと急いだ。






「え、いないの?」

「うん。ハンジさんに連れて行かれちゃって。ユヅキが来るとは言ったんだけど、急ぎの案件でナナバさんとミケさんも一緒に出て行ったよ、リヴァイ班長は」

アルミンの言葉にガクリと肩を落とす。
確かに忙しい人だけれど、ここに居座っていると思っていたからか、すこぶるショックだった。
そんな私を見てアルミンはクスクス笑う。

「ユヅキってば、変わったね。前に班長と付き合ってた時はそんな女っぽい顔しなかったのに。正直なんで付き合ってんだろ?って思ってたよ僕は。まぁ班長がユヅキを好きなのは誰が見ても分かってたけどさぁ。今は本当に大好きなんだね、リヴァイ班長のこと」

ポスッてアルミンが私の髪を撫でた。なんだろうか、この上から目線。いや決してアルミンを下に見ている訳じゃないけれど、何故か恥ずかしくなってアルミンを睨みつけた。

「好きよリヴァイが。」

ついムキになってそう言うとたまたま通りがかったジャンと目が合う。タイミング悪すぎって思いながらもジャンは聞こえてなかったのか、こちらに歩いて来た。

「珍しいなユヅキがこっちに来るの」

「うん、この子を迎えに」

ゲージに入って眠っている子を見てジャンは顔を歪めた。

「ひでぇな。みんな命をなんだと思ってんだ。何もできない命こそ守ってやらなきゃな、せめて俺らだけでも」

「うん。ジャンってばたまにはいい事言うのね」

「おいおいユヅキ、そりゃねぇよ。それよか俺交代で行くから一緒に行くわ。マルコも寝てねぇだろ、どーせ」

ポンと肩に手を落とすものの、すぐにハッとして周りをキョロキョロと見回すジャンにアルミンがクッて笑う。

「リヴァイ班長ならハンジさん達と出て行ったよ、ジャン!」

「あぁ、そうか。ならよかったぜ」

ふぅ〜って汗を拭く真似をするジャンに私も小さく笑った。



傷猫ちゃんを連れた私は助手席に座るとジャンが運転席に座った。

「どこか寄るとこあるか?必要なもんがありゃ寄るぞ!」

ジャンに言われて頭に浮かんだのは実弥。
約束だけでも取り付けて来なきゃと思ったもののこれは完全にプライベートで、こんな寄り道しても許されるものだろうか?
無言で俯く私を見てジャンが顔を覗き込む。

「なんだ?なんかあるなら言えよ」

「一つだけ行って欲しい場所があるの。」

「おういいぜ!」

どこだ?と聞くジャンに小さく耳打ちする。
キョトンとした顔のジャンはそれでもそこに私を連れて行ってくれた。




「一人でいいのか?」

「うん。すぐに戻るから少しだけ待ってて欲しい。ごめんねジャン。」

こんな事頼んで…。ジャンもマルコも私の周りの人はみんな優しいからつい甘えてしまう。

入口で来客用の緑色のスリッパに履き替えると私はそのままカラカラと音を鳴らして廊下を歩く。
なんとも懐かしい匂いと景色に自然と頬が緩んだ。
途中、廊下を歩く私になのか、金髪の少年が「いい女の足音がする!間違いねぇっ!!」なんて追いかけて来そうになったけれど、黒髪ロングのブルーアイの先生に止められていた。

「失礼します、」

そう言って私はそのドアを開けた。

「…ユヅキッ!!!!」

なんとも吃驚した声のハルが慌てて近寄ってくる。近くには忘れもしない、煉獄杏寿郎の姿も。この男には一言も二言も言うことがあるけれど、今日の目的は煉獄杏寿郎じゃない。

「ハル、実弥は?」

「う、え、と、不死川先生は今授業に出ててあと五分ぐらいで戻るかと。」

「じゃあ待たせてもらう。リヴァイの事、ちゃんとユヅキの口から実弥に話そうと思って。…ハル問い詰められたりしたよね?ごめんね、迷惑かけて。」

キメツ学園の職員室の中、ハルの隣の席に腰掛けて実弥を待つ私はほんの少しドキドキしていた。
誰かと真剣に向き合うのはいつだって心が苦しい。
でもリヴァイだけの物になる為には自分のケツは自分で拭かなきゃならない。

「馬鹿だなぁユヅキ。そんなの気にしなくていいのに。」

「ふふ、ハルならそう言ってくれると思ったけど。でもねハル…欲しいものを手に入れる為には犠牲は付き物だと思うの。ハルも逃げないで立ち向かって欲しいな、煉獄杏寿郎にも、アルミンにも。私はまっさらでリヴァイに愛を伝えたい。それだけの為にここにいる。」

「うん、分かってる。」

ほんのり微笑むハルの後ろ、チャイムはまだ鳴っていないのにここ職員室に実弥が入ってきた。
私を見て思いっきり目を見開いた実弥が風のようにビュンと私の前に駆け寄ったんだ。

「ユヅキ、」

実弥の私の腕を握る腕に力が込められていて。その手をそっと話すとほんの少し切なげに瞬きをした。

「実弥ごめんね、ずっと連絡しなくて。話したいことがあって…」

「あァ俺もだァ。準備室に案内する。着いてこい」

「うん。ハル、またね!」

手を振る私を不安気に見つめるハルは、この時実弥が私を監禁でもするんじゃないかって思っていたなんて知る由もない。そんな事された日には、リヴァイが黙ってないのにね。



カタンと窓際にある机に寄りかかる。
インスタントコーヒーでも煎れてくれるつもりなのか実弥がカップを二つ取り出した。

「ごめん、長居はできない」

実弥の手を止めるように触れると実弥が振り返る。
泣いてる訳じゃないのに、すごくすごく悲しそうな顔。そんな顔させてごめん。

「ハル先生の言った事は嘘じゃねぇって事かァ…」

ポツリと呟く実弥に胸の奥がズキンと痛む。適当に恋愛していた頃は、誰かに断りを入れる事にすら傷つかずにいた自分が嘘の様だ。
そしてやっぱりハルが私の事をちゃんと実弥に話してくれていた事が分かった。

「ごめんなさい。シガンシナで付き合っていた人ともう一度一緒にいる事を選んだ。私が愛してるのはその人だけ。本当にごめんなさい。実弥が本当に私を想ってくれるなんて知らなくて…」

「…自惚れんなァ。テメェの事なんて本気な訳ねぇ。安心しろォ、キレイさっぱり忘れてやるからァ」

強がりかもしれない。でもそうする実弥を笑うなんて出来やしない。
私への負担まで背負ってくれる素敵な人だと今更気づいてももう戻れない。私にはたった一人リヴァイがいる。リヴァイ以外はいらない。

「…うん、忘れる。あなたも、忘れてね」

「あァ」

「じゃあ行くね。…元気で」

「ユヅキも、」

実弥に背を向けて二、三歩足早に歩き去る私が数学準備室のドアに手をかけた瞬間、物凄い力で後ろに引き寄せられた。
えっ!?振り返ろうとした私をふわりと後ろから実弥の腕が包み込む。
忘れもしない実弥の香りに包まれて胸がドクンと脈打った。

「実弥?」

「十秒だけだァ、頼む」

「…ん、」

カチカチと時計の秒針が動く音と混ざって強く抱きしめる実弥の吐息が頭上を舞っている。
きっと十秒にも満たない時間だったと思う。
ゆっくりと私を離した実弥がポンと背中を押す。

行け…という合図だと思った。
振り向くことなく私は数学準備室から出て行くと、ズズズズ…と実弥が崩れ落ちるような音が聞こえたからそのまま走った。
職員玄関まで一気に走って心臓がバクついている。
泣いちゃダメ。泣かない…辛いのは私じゃなくて実弥だから。それなのにどうしても涙が溢れてしまってポロポロと頬から零れ落ちる。

「誰だぁ?あんた、」

どこにいたのか、どこから現れたのか、泣いてる私を思いっきり不信顔で見てくる大柄のオトコが顔を覗き込むように屈み込みそうになったから慌てて涙を拭いてニッコリと微笑んだ。

「ハルがお世話になっています。」

それだけ言うと目を見開いたけれど私は何かを話しかけるその大男を無視してジャンの待つ車へと走った。



❀恋図❀