3月14日、ホワイトデー。
大好きな彼からスマホのLINEにメッセージがきたのはホワイトデーの一週間前のことだった。
高校でもボーダー内でも交際を隠している秘密の恋愛中の私と彼、辻新之助くん。周りの人達から変に詮索されるのも嫌だし、あの二人付き合ってる!というそういう目で見られてしまうのも避けたかった。だからいつも外ではLINEでのやり取りのみで、二人きりの時にだけ恋人同士って表情を見せていた。
そんな私と辻くんが付き合い始めたのはバレンタインデーの少し前。故に、付き合いが浅い上に、初めて迎えるホワイトデーにドキドキしないわけがなかった。けれどお互いに防衛任務やらランク戦やらで、学校以外でもボーダーで多忙というのを分かっている為私ばかり我儘なことは言えない。圧倒的に防衛任務の多いだろう辻くんの為に大人な対応をしなくてはならない…そんなことに拘っていたんだ。だから…
「えっ…」
ボーダー内のラウンジ。後ろの席から聞こえた辻くんの声に私は素知らぬ顔で紅茶を一口啜る。
「どうかした?変な声出して」
辻くんの隣に座っていた犬飼先輩が確かに変な声をあげた彼にそう聞いた。
「いえ何でもないです」
パタンとスマホをテーブルに置いた音。何でもないと言った辻くんの声がほんの少しムッとしている様な気がしたけれど、それに気づいたのは私だけかもしれない。
「もしかしてフラれた?その顔は」
「はぁ?」
からかうような犬飼先輩の言葉に先程と違って感情的に苛々感満載の怒った声を出す辻くんを不謹慎ながら可愛いと思ってしまうのも私だけだと思う。
「珍しくバレンタインまでに彼女欲しいって言ってたけど、もうホワイトデーだよ?」
背を向けている私には決して見えていないけれど、頬杖をついて厭らしく笑っている犬飼先輩が容易に想像できる。
「いや俺別にフラれてないです。そもそも犬飼先輩が喋ると噂にバカでかい尾ビレがつくんで止めてください」
「またまたぁ!辻ちゃんのそんな複雑な顔早々見ないもん。やっぱフラれた?」
「だからフラれてないです!ねぇ名前ちゃん」
「……はい?」
いやいや何故ここで私に声かけた?…って表情で振り向いた私の前、明らかに不機嫌な辻くんの顔。
「なんで苗字が知ってんだよ?」
「いや私…何も知りませんけど?」
あくまで冷静にそう返したら犬飼先輩が「ほらみろ」って言いながら笑いを噛み殺している。どうやら私に助けを求めたけれど、冷たくあしらわれた辻くん…などと思われている様だ。それならそれで私の対応は間違っていなかったってことになるけど、どうにも辻くんの表情は更にムッとしている。
「ホワイトデーって女の人にとって重要じゃないの?名前ちゃん」
「あの…辻くん?」
「答えてよ名前ちゃん」
超絶真剣な辻くんの言葉にほんの少し後退りするように椅子の背もたれにぺたっと寄りかかりながらも先ほど辻くんに送り返したLINEのメッセージを頭の中に思い浮かべた。私なりに考えて答えたつもりだったんだけどなぁ。駄目だったんだろうか?
「ホワイトデー以前に、好きな人と一緒に過ごせるだけで幸せだっていうことじゃないの?」
「だって初めてなのに?」
「辻くん防衛任務とランク戦で忙しいし、それなら別にどこかに行くんじゃなくてもただ逢えるだけでいいってそう思ったんじゃないの?」
「でも初めてじゃん俺達のホワイトデー」
半ば被せる様に私の言葉を遮る辻くんの珍しくヒートアップした声に、辻くんの隣でキョトンとした顔の犬飼先輩が若干苦笑いで「なになに君達付き合ってんの?」そう聞いた。
つい私もムキになって売り言葉に買い言葉で言葉を紡いでしまったものの、今更ながら失敗した…と思わずにはいられない。物凄い期待の目で私達を交互に見る犬飼先輩なんかにバレたら、それこそボーダー全員に知れ渡ってしまうと言っても過言じゃない。元々感のいい犬飼先輩にバレるのは時間の問題なのかもしれないけれど、やっぱりまだ周りには秘密にしておきたいと思っている反面で、変に尾ビレをつけて広まるぐらいなら真実を話した方がいいの?もう分かんないっ。
「そんなわけありません」
「そうですよ」
同時に発した声に犬飼先輩の表情が余計に困惑した。
「……え?どっちよ?」
片眉上げてそう聞く犬飼先輩に苦笑いを返す私は「違いますから」そう言って立ち上がると、まだ飲みかけのミルクティーを手にしてラウンジから逃げるように出て行った。
興奮気味のせいで胸に手を当てると激しく脈打っていて、爆音を鳴らす心音にあんな公衆の面前で辻くんとムキになって言い合ってしまった事に今更ながら熱くなっていた。じわりとかいた手汗をタオルでそっと拭ったんだ。
「落ち着け私…」
誰に聞こえるでもなく一人自分に言い聞かせる様にそう何度も心のなかで呟いた。大きく深呼吸をした私は、制服のポケットにしまったスマホを取り出して数分前に送信したLINEのメッセージを見返した。
「なにが駄目だったの?」
辻くんから、ホワイトデーどうしたい?そう聞かれたから…
“一緒にいられればそれだけでいいよ。ボーダー忙しいし防衛任務終わったらお茶しよう!いつも通りに“
…私の気持ち、伝わらなかったのかな?やっぱりまだ付き合いが浅いから辻くんの考えていることが私にはよく分からないや。
しばらくしてラウンジに戻ると、二宮さんに呼ばれたのか、そこにはもう辻くんの姿も犬飼先輩の姿も無かった。ほっとしたのも束の間、先程までそこにあった姿が無いのは、それはそれで少し寂しいなんて。なんだかんだで辻くんが目に入る位置にいないのはほんの少し胸がちくりと痛い。けれど、あんな風に大人ぶって辻くんを分かっている風な返事をした手前、今更“寂しい“なんてことも言えるわけがなかった。
本当の本当は辻くんがホワイトデーのこと気にしてくれていたのがすごく嬉しかったのに、強がって素直になれない私って…もしかして逆に子供みたい?今時小学生でも自分の気持ちに素直になっているかもしれないのに、私ってば…やっぱり間違ってるのかなぁ。
そう思っていたら手中のスマホが揺れて、見れば辻くんからの着信だ。ドキドキしながらも私はすぐに通話ボタンを押してスマホを耳に宛てた。
「もしもし…」
【さっきはごめん。怒ってる?】
第一声で謝罪されるなんて思ってもみなく、結局私より辻くんの方が大人だなぁと思えた。電子機器を通した辻くんの声が耳元で聞こえてドキッとする私は誰に見られている訳でもないというのに緊張感とトキメキが一気に押し寄せてきた。
「うううん。私こそごめんね」
【名前ちゃんが俺の事考えて言ってくれたって分かってるよ。けど俺そんなヤワじゃないし、何より俺が何かしてあげたいんだ…】
「辻くん…」
【でも分かった。ホワイトデーさ、俺ん家来ない?】
「え?」
【俺の家。やりたい事があるんだ】
「やりたいこと?」
【うん。個人戦終わったら本部で待ってて。一緒に帰ろ】
「ん。分かった」
【名前ちゃん】
「うん?」
【…好きだよ】
「…私も」
好きだと言われることは単純に嬉しい。そしてホワイトデーは辻くんとお部屋デート。ずっとお家に招待して貰いたいなぁと思っていたから嬉しい。何かサプライズとかしてくれるのかな?とも思ったけれど、やっぱり私辻くんと同じ気持ちで同じ時間を共有できる事が、何よりも嬉しいかも。
そうしてウキウキ気分を隠したまま、私はホワイトデー当日を迎えた。個人戦を終えてラウンジで待っていると防衛任務から戻った二宮隊もラウンジに現れて、私達は人混みに紛れてこっそり落ち合うと、二人で本部から出て辻くんの家に向かった。
「お邪魔します」
部屋に通されて緊張しながらも見回す。モノトーンのシンプルな部屋の窓際に置かれた大きめのベッドに座っていいものかと視線を泳がせていたら、不意に辻くんの腕が伸びてきて簡単にスッポリとその腕に包み込まれた。途端にドキドキする心臓に私はどうすることもできずにその場で固まってしまう。
「ずっとこうしたかった…」
「……」
「ホワイトデーだからってこだわってた訳じゃないんだけど、名前ちゃんいつも我儘言わないから。今日は特にだけど、任務中も名前ちゃんのことばっかり考えてた。犬飼先輩にあれから色々聞かれて誤魔化したけどたぶん無理そう。俺としては、ボーダー内でも名前ちゃんともっとずっと一緒にいたいと思ってる」
「うん」
嬉しい。いい彼女気取って大人ぶっていても、結局私だって辻くんのことばっかり考えてしまう。
「俺ばっかり好きじゃない?」
ちょっとだけいじけた辻くんの声に笑いがこみあげる。
「そんなことないよ私も同じ…大人ぶって聞き分けのいい彼女のフリしてたけど、頭の中ではもっと我儘なことばっかり考えていた」
「ほんとに?」
私を覗きこむ辻くんの瞳はもうすでに艶っぽい。色気のある瞳に見つめられて私の心拍数はまた上昇。
「ホント。辻くんの家にもねずっときたかったの。だから今日も嬉しい」
「言ってよそんなこと。名前ちゃんの思う我儘なんて絶対我儘じゃないもん、絶対」
「あはは、二回言ったね、絶対を」
スって私の髪をすくってチュッとキスを落とす辻くん。心地好い感覚に私は辻くんの背中に腕を回した。うわ、久々の密着。辻くんて細く見えるのにやっぱ筋肉ついてんだー…なんてことを思っていた私に、辻くんの甘い唇が首筋に触れた。
「名前ちゃんが抱きつくから俺の理性が壊れた」
そう言って優しく笑うと辻くんの唇が私の唇に触れた。中々のすれ違い加減に、デートもままならなかったから、私達がこうして抱き合うのは事実上バレンタインの後以来で。約、1ヶ月ぶりの甘い展開に脳が昇天しそうな気分になった。
「そういえば、辻くん私とやりたい事があるって言ってたけど…」
「あ、まぁ、うん。…このまま続きしてもイイですか?」
…まさかの言葉に吃驚。やりたい事ってそのままなのね。確かに私達、バレンタインの時に初めてそうなってからしてなかったけど。なんかめちゃくちゃ恥ずかしい。ぎゅっと辻くんの服の裾を強く握りしめる私の耳元に熱い彼の声が届いた。
「名前…」
「ん」
「俺の名前呼んで」
「えっと、新之助くん?」
「もっと」
「…新之助」
「…最高」
「ふふっ」
何だか気が抜けていく。彼に嫌われないようにとしていたことが、逆に彼を不安にさせていたみたいで。まだまだ私達には知り合わなきゃいけないことが沢山ある。ゆっくりでいい、新之助と同じ歩幅でこれからも歩いてゆけたらいいな。