居場所をあげる

 あの日、冗談に聞こえたその言葉は、実は半分くらい本気だったんだろうか…
 もしも本気だったとしたら、せめて繋げてあげたいと思った――。

 美月と弓場先輩が別れたって噂が広まったのは、その事実から一ヶ月も過ぎた頃だった。
 ここ数週間明らかに態度がおかしかった。普通にしていたんだろうけど、私には分かる。死んだ魚みたいな生気のない表情で「大丈夫」と答えた美月はご飯が喉を通らないのか少し痩せていた。
「理由聞いても、ただ自分が悪いって言うだけで。あんな美月もう見てらんない。どうしたらいいの?」
 膝を抱えてそこに顔を埋める。元気だけが取り柄の私も、特段仲の良い友人が一人悩んでいる姿を目の当たりにして、何もできない事がただ悔しく無力で、何とかしてあげたいという気持ちばかりが先走ってしまいそうだ。
 居酒屋の一角、二十歳を超えたばかりの酒の弱い恋人は、私の為に飲み屋だというのに飲まずに話を聞いてくれている。
 その隣で遠慮なくガバガバ飲みまくっているのは、諏訪隊の諏訪隊長で、恋人蒼也と仲が良い。面倒くさがりだけど、根は優しく面倒見の良い先輩だ、口は悪いけど。
「雪乃まで落ち込むな」
 ぽすっと頭に手が触れてそれが優しく撫でてくれるけれど、このもモヤは晴れそうもない。
「どうして別れたんだろ、あの二人。弓場先輩何か言ってた?」
「いや、弓場は何も言わないだろう。聞いた所で」
 蒼也の言葉に小さく溜息をつく。でも弓場先輩はそういうヒトだ。別れた理由を軽々しく言いふらす様な男とは誰も付き合わないだろう。
「美月はあぁ見えて全部一人で背負い込む所があるから、そのタグが外れちゃったらなんていうか、怖い。感情無くなっちゃうんじゃないかって…そんなの絶対にイヤ」
 じわりと目尻の奥がツーンと痛くて、一つ瞬きをしたらほろりと涙が頬をつたった。
 その瞬間、それまで黙ってディナーを堪能していた諏訪隊長が私をちらりと見て漸く口を開いた。
「んで。俺がここにいる理由もそろそろ聞かせろよ、お二人さん」
 本来なら友人のプライベートな話題に部外者を巻き込むなんて事はしない。けれど…
「だって美月前に言ってたんだもん。諏訪さんに甘えたいって…。だからね…、諏訪さん今彼女いる?」
 嫌な予感しかねぇな〜って煙草の灰を灰皿に落とした彼は、まだ半分くらい残っているビールジョッキの中身を一気に喉の奥へと流し込んだ。その後煙草に火をつけてスゥ〜と吸い込むと溜息混じりに白い煙を口から吐き出した。ランク戦でもいつでも咥え煙草のヘビースモーカーな諏訪さん。絶対ちゅーしたら煙草の味がするんだろうなぁなんて思うと、諏訪さんの事は好きにならないようにしよう!なんてどーでもいいことを思った。
「いねぇよ、見ての通り。おめぇーら二人の呼び出しにも顔出す程度にな」
「なら諏訪さん、美月の様子見に行って欲しい…」
 あわよくば、慰めてあげて欲しい…という言葉はさすがに口に出せなかった。
 憎まれ口叩き合っていても、蒼也と諏訪さんは仲良しであって、お互いに信頼もしているだろう。蒼也の前で、諏訪さんを美月に使うなんて事は言えない。まぁ半分ぐらい言ってるけど。
「雪乃やハルには言えなくても、諏訪さんになら言える事もあるかもしれないし、諏訪さんみたいな包容力のある人になら、素直に甘えられるかもしれない…――駄目ですか?」
 どうかイエスと頷いて欲しい。どうか、どう――「わーったよ」…ほんとに!?
 顔を上げると諏訪さんの大きな手がぽすっと頭に降りてきた。そのまま乱雑にぐしゃぐしゃにされる。サラサラにセットした髪を壊されたけど、今はそれどころじゃない。
 拍子抜けしたマヌケな顔で諏訪さんを見上げる私の前で諏訪さんは静かに立ち上がる。ジーンズのポケットからチャリンという音と共に1.000円札が3枚程テーブルに置かれた。
「今日はいらん。俺の奢りだ、諏訪」
「てめぇーに奢ってもらう義理もねぇよ。今日は単純におめぇら二人と飯食うつもりでついてきたんだ。素直に受け取っとけ」
 ちょっとだけ分かった気がする。美月が諏訪さんを選んだ訳が。ぽーっと見上げる私と隣の蒼也を交互に見た諏訪さんは、ニヤリと口端を緩めると頭に乗った手をふわりと頬に添えた。
「え」
「一ノ瀬も、風間に傷つけられたら慰めてやっからいつでも言えや」
「あ、はい」
「雪乃!!」
 流れるように私の頬を指で一撫ですると、諏訪さんは薄手のカーディガンをハンガーから取るとそれを羽織ってそのまま飲み屋から出て行った。
 どーしよ、めちゃくちゃドキドキする。
「おい雪乃、なんて顔してる…」
 当然ながら面白くないって表情の蒼也に、それはそれでまた嬉しくて。普段私ばっかりヤキモチ妬いてるせいか、蒼也のブスッ面は私には新鮮で今の諏訪さんへのキュン心が一瞬で消え失せた。
「雪乃のこと好き?」
「当たり前だ」
「じゃあちゅーして」
「飲み屋だぞここは」
「個室だからいいじゃん」
「…それはそうだが、」
「早く」
 目を閉じて蒼也を待つ幸せな時間にハッと目を開けて、触れる寸前だった蒼也の胸を手で押した。
「なんだ、自分から誘ったくせに」
「美月が辛い時に雪乃だけ幸せとか、イヤかも…」
 そう言えば蒼也の腕が伸びてきて優しく抱きしめられた。
「お前のそういうとこ、好きだが、原田は俺達の邪魔をする気はさらさらないと思うが。悪いが俺は止める気はない、ほら目を閉じろ」
 さっき諏訪さんの指が触れたラインを上書きする様に蒼也の手でなぞられてぞくりと肩を落とす。そっと目を閉じれば遠慮なく重なる唇に、ぎゅっと蒼也の服の裾を掴んだ。ほんのり唇が離れると「まだまだ足りない、こんなんじゃ」珍しく蒼也のスイッチが入ったのは、諏訪さんのお陰かもしれない。

 ◇◆◇

 ピンポーン。
 別にあいつ等に触発されたからって訳じゃねぇ。正直原田の事は俺も気にかけていたってのが本音だった。
 たくよぉ、二宮といい、弓場といい、いい大人が高1のクソガキに何マジになってんだ?って話だけど、せっかく風間の女から貰ったチャンスは活かすしかねぇだろ。
 久しぶりに緊張していた。確か母親と二人暮らしって言ってたよな、アイツ。何度か呼び鈴を押したが人の気配はねぇ。けどアイツの帰る場所はたぶん今んとこここしかねぇ。
 仕方なくトリオン体になって、アパートの2階まで飛ぶと、部屋の窓をコツコツと叩いた。
「おい、いるんだろ原田、顔出せよ」
 俺の声に反応してカーテンが開く。意表を突かれたって吃驚顔の原田が窓の鍵を開けてドアを横に引くから同時に換装体を解いて原田の部屋に入り込んだ。
「なんですか、ストーカーですか?」
 相変わらずの憎まれ口に、俺は原田の髪をくしゃりと撫でた。とてもじゃないが、風間の様に甘え顔なんてできやしねぇが、それでもこーゆー時、好きな女に我慢はさせたくねぇわけで。まぁ、座れよ、なんて自分家じゃねぇのに俺は原田の手を掴んでベッドの上に座らせた。
「一ノ瀬が心配してんぞ。弓場になに言われたんだ?仕方ねぇから聞いてやる」
 なんで!?そう言いそうな顔で俺を見たから原田の背中に腕を伸ばして肩を抱く。触れた肩は華奢で壊れちまいそうで。
「意味不明です。雪乃には連絡しておきますので、もう帰って…――ッ」
 壊れねぇ様に原田を抱きしめりゃ、簡単に涙腺のタグを外しやがった。俺如きの前で。
「好きなだけ泣けよ。気が済むまで帰らねぇから」
「諏訪さんのくせに、」
 ぎゅっと原田が縋るように俺に身体を寄せたから、もう一度強く抱きしめた。やっと泣けたのかと思うと、もっと早くこうして来てやればよかったと思わずにはいられねぇ。
 一ノ瀬の言った事はあながち間違ってねぇのか?って。
 なぁ原田。居場所が欲しいなら、俺をそれに使えばいい。原田一人面倒見るくれぇ、朝飯前なんだわ、俺は。

 ◆◇◆

 泣きつかれたのか30分ぐらい眠った原田は、薄っすらと目を開けた。俺の腕の中で目を覚ました原田は、そのまま俺に寄りかかってまた目を閉じた。
「いや起きろよ、そろそろ。寝るなら襲うぞ」
「いいですよ、どーぞどーぞ、こんなチッパイでよければ」
 制服のシャツから見える鎖骨の先、そこに視線を移す俺を見つめる原田は、ここで俺が本気で押し倒しても抵抗すらしねぇだろうと思えた。まぁでも試す価値はあるか…。
「俺は大きさより形に拘るタイプだぜ」
 トサッと原田の細い身体を片手で支えながらベッドに押し倒した。サラサラの髪が乱雑にベッドの上で泳ぐように散らばる。そのまま無言で顔を寄せると原田は普通に目を閉じたんだ。
 不覚にも、そのキス待ちの顔が可愛く見えちまって俺の心音は上昇。
「後悔しねぇーのかよ?」
「…諏訪さんこそ、後悔しませんか?」
「たく、てめぇーはさっきから俺の質問に一個も答えてねぇじゃねぇか!たまには答えてみせろや」
「…後悔なんてしません。諏訪さんが来てくれて嬉しかった…」
 自分でも馬鹿だってわかってる。4つも年下の女に音を上げるだなんて。けど生まれちまったこの感情に名前をつけるとしたらそれはもう一つだけだ。
「バカヤロウ、可愛いじゃねーか、クソがっ」
 風間に言ったら間違いなく正論で返されるだろーから絶対ぇ言わねぇがな。
 愛しちまったからには、こいつを一人にするわけにはいかねぇんだわ。
「一度だけ言わせてくれ。居場所が欲しいなら、俺をそれに使えばいい。原田一人面倒見るくれぇ、朝飯前なんだわ、俺は」
 ポロポロと恥ずかしそうに涙を流す原田を、心底愛おしいと思えたんだ。

 ◇◆◇

 ボーダー本部基地。
「ハルはさー、迅さんのどこが好き?」
「うえっ!?わたし!?」
「そぉ。顔?エロ?」
「ぷっ、雪乃の脳内それしかないの?」
 くすくすとハルに笑われたけど、顔も身体の相性も大事だと思うわけで。
「うーん、迅さんの顔もエロも勿論だけど、大事にしてくれる所かなぁ。あと頼りになるところ!雪乃は?風間さんのどこが好きなの?」
 確かに迅さんのSEは凄いしなぁ。
「全部。顔も声もエロもかっこいいとこも、強いとこも、優しいとこも、ちょっとだけ厳しいとこも、ぜーんぶ好き。でも一番は、雪乃をいっぱい愛してくれるところ」
 諏訪さんが美月の所に行ってから一週間が過ぎた。B級1位の二宮隊である美月は色々忙しいのか、学校にも来ていなかった。ボーダー本部に行けば会えるかな?と思ったけど、スナイパーの美月とアタッカーの雪乃と、オペのハルが偶然会う確率は極めて低く、一週間も会えていない事が寂しくて仕方がない。
 同じ隊のユズルにスナイパーの合同訓練に美月がいないか聞いたも「原田先輩?見てないけど」って冷たく言われて凹んだ。
 蒼也の所に行くと、きくっちーに追い返さるのが面倒だからカゲと訓練室で対戦していたけどそれも飽きてハルをラインで呼び出した。
 個人戦のブースでは、今日も玉狛の遊真と日下部隊の駿くんが個人戦で競い合っている。
 風間隊は本部指示の仕事でここんとこ少しバタバタしていて美月同様、蒼也にも一週間程逢えていなかった。
「知ってる。風間さんほんと溺愛してるよね、雪乃のこと」
「溺愛してくれない彼氏なんてお断り。あ、迅さんが駿くんに捕まってるよ」
 指差した方向を見て頬を赤く染めるハル。当然の様にハルの自然に気づいた迅さんがこちらに手を振った。ちょっと羨ましい。
「蒼也に逢いたい…」
 膝を抱えて顔を埋める私に、「あー大丈夫、今日は会えるんじゃない?」なんて迅さんの声。
「雪乃と蒼也が逢ってるの見えた?」
 そう聞けば、頬をポリっとかいて「まぁそんなとこ」視線を逸らされた。
 迅さんのお陰でちょっとだけ元気になった雪乃とハルの前、フロアの入口から小走りで駆け寄ってくる美月の姿が見えた。
 一週間ぶりの美月に雪乃もハルも立ち上がる。
「ご心配おかけしました。色々ありましたが原田美月、復活しました。今日からまた宜しくでーす」
 死んだ魚の目じゃない。
「美月〜よかった!でも無理しないでね?なんかあったらいつでも力になるから」
 ハルがそう言うと美月は嬉しそうに笑った。
「諏訪さんとなんかあった?」
 何となく気になってそう聞くと、美月は「えーっとまぁ、うん」無理矢理でもなんでもない照れ笑いに、胸がぎゅっと掴まれた様な感覚になる。
「それは、良いこと?」
「まぁ、うん」
「きゃーなにそれ!!!!詳しく聞かせなさいよぉ〜〜〜」
 逃げ腰の美月を追いかける様に戦闘もしないで3人で個人戦のブースに入り込んだ雪乃達は、当たり前に堤さんに怒られるのである。