ギロクル






うつぶせになって雑誌を読んでいる先輩の上に飛び乗る。う、という低いうめき声の後に飛んでくる罵声に覚悟を決める。
「クルル、いい加減にしろ」
人を不快にさせるための言葉の引き出しの少ない先輩ならこんなものだろう。一言も言葉を発しないまま無防備に晒された首筋に顔を埋めた。メガネが髪の毛に埋まり、瞼にくっついてぺたぺたと気持ち悪い。思いつきで首を舐めて、そのまま耳まで舐めるとますます抵抗はするが言葉だけで拳は飛んでこないし振り落とされる事もない。その気になれば俺一人くらい軽々と振り落とせるのに何もしないんだからつくづく甘い男だ。
背中から優しく地面に落とされて、読んでいた雑誌で軽く頭を叩かれる。ため息をつきながら座り込み、持ち上がった手のひらが前後に動いて無言で膝の上へと呼びつけられるが無視して、暴力はんたーいと唇を尖らせる。声は聞こえてはいるようだが、少し眉を寄せただけで返事はなく、伸びてきた腕に絡め取られて向かい合う形で膝に乗せられる。いつもの事なのに何故だか無性に気にくわない。
「甘い匂いがするな」
ふんふんと鼻を鳴らして首元を嗅がれると擽ったくてつい逃げてしまうが、いつの間にか腰に回されていた手がそれを許してはくれない。まるで大型犬のようなその仕草に、首輪でもつけてやろうかと思いはするが、つけたらつけたで後で痛い目を見るのは分かっている。大人しく白状するまでは離してもらえなさそうなので仕方なく持ってきていた包みの中から透明の袋に入っている方を取り出して差し出す。
「先輩に俺様から愛情たっぷりチョコだにょー」
わざとらしいくらいに可愛い声で精一杯しなをつくり少し首をかしげて下から見上げる。手渡したチョコを見た瞬間は晴れやかだった表情が時間が経つにつれてどんどん曇っていく。雲行きが怪しいのでそっと立ち上がろうとしたがしっかりと掴まれていて逃げられない。
「……カレールーだろう、これは」
「チッ、バレてんのかよ。日向夏美からだと思ってた時は食べたくせに、俺からの時はちゃんと目が付いてんじゃねぇかよ」
「う……あれは差出人がわからなかったからな」
しどろもどろになりながら明後日の方向を向いて、なんだかよく分からない言い訳を披露している姿は愉快ではあるが、理由が理由なだけに面白くはない。
「だから?」
「すまん、今年はお前からしか貰うつもりはないから安心しろ」
どうせ日向夏美から貰ったら受け取るくせに、と口に出しそうになって慌てて口を塞いだ。そんな事を言うのはキャラじゃない、そんな事を言ってはいけない、そんな聞き分けのない事を言っては、いけない。
指摘された通り透明の包みの中に入っているのは特製の激辛カレールーで、とてもそのまま食べられるような代物ではない。カレールーは隊長の所にでもこっそり忍ばせて遊ぼうと思っていただけで、先輩に渡すつもりはなかったし、ちゃんと先輩用に生チョコを作って持ってきてはいるのだが、ついカレールーの方を渡してしまったので今更出しづらい。
「そっちの袋は何が入ってるんだ?」
「ク……それは……」
ギロロの目が獲物を見つけた獣のように光る。止めようとした手をするりと躱され乱暴に包みを奪われ、中に入っていた箱を開けられてしまう。中に入っているチョコが見えたところでギロロの手が止まって、責めるような視線が肌に突き刺さる。
「俺にはカレールーで、どこの誰にこのチョコをやるつもりだ?」
「ク……」
「クルル?」
「……アンタだよ!!こっそり置いとくつもりだったのに何で先に見てんだよ」
返答次第では逃さないと目を尖らせていた肉食獣の瞳が柔らかく溶けて行く。そうか俺にか、とチョコを見ながら笑うギロロの微笑みがむず痒い。勝手に人から奪っておいて勝手に食べようとし始めているのを目の前で見るのが気恥ずかしくて逃げ出したいのに、ずっと腰に回されたままの腕が無言で逃がすつもりはないと訴える。
作ってきたチョコを一つ摘んで口に入れる姿を見るのがこんなにも嫌なものだとは思わなかった、バレンタインなんて無くなればいい。赤くなっているであろう顔を手で覆い隠して俯いたが、そんな事は許さないとばかりに上を向かされる。それならと勢いよく背中を向けて逃げ出そうと試みるがやっぱりどうあっても逃がすつもりはないようで男らしく逞しい腕に抱きとめられて阻まれる。こんな時だけは体力がない事が恨めしいが、どうせ一朝一夕に鍛えたところで勝てるような相手ではない。
こうなったら開き直ってさっさと食べさせるより他にない。さっきから膝の上でくるくるとしている気もするが、また正面に向き直ってチョコの箱の在り処を目で探る。別に隠されてもいない小さな箱は男の左手の上で大人しくしていた。
「ククー、ニヤニヤしてるといつもより3倍マシでおっさんに見えるぜぇ。さっさと食べさせてやるから貸しな」
男の手の中からチョコの箱を奪い取り、中のチョコを1つ摘んで、突然の出来事に狼狽して口を開けている男の口の中へと放り込む。口にチョコが入っていて満足に文句も言えないのを承知で、箱の中のチョコを摘んでは口の中へと放り込んでいれば3つ目で口が固く閉ざされてしまう。仕方なく口の前まで持っていっていた4つ目のチョコを自分の口の中に入れてみれば独特の甘い香りが鼻に抜ける。ビターチョコを使ったので甘過ぎる事はないが、甘くないわけでもない。
食べ終わるのを待っている間に口の中でゆっくりとチョコを溶かしていれば伸びて来た手の平に顎を掴まれ、抗議する間も無く唇を奪われて、入り込んで来た舌に口内を蹂躙される。長いキスにしびれを切らして腹が立つほどに厚い胸板に何度も拳を振り下ろしたところでやっと解放された。
「な、にすんだよ」
「俺のだ」
「……子供かよ」
「何とでも言え」
箱の中のチョコをつまんで口の中へ入れようとしたが、腕を掴まれて逆に口の中に放り込まれる。さっきは食べるなと言ったくせに、と口の中に広がる甘い香りに戸惑っていればギロロの顔が近づいてきてすぐに意味を理解したが、口移しで食べさせろという無言の意見に素直に従うつもりはない。顔を背けてキスから逃げている間に口の中のチョコを飲み込んで見せつけるように口の中に何もないと口を開けたが、それでも関係ないらしく唇が奪われる。
「キスしたいだけかよ」
「まあな」
箱の中に残された中チョコはあと3つ、どうせ逃れられないなら口移しで食べさせるのも悪くない。チョコをつまんで唇ではさみ、男の首へと手を伸ばし、鼻と鼻が触れそうな距離で一旦動きを止めた。
「待て」
「待たない」
犬におやつを我慢させるように声をかけてみたが聞く気はないらしく、人の話をきかない大型犬に唇を奪われる。執拗なまでに歯列を舌でなぞられて息が苦しい。
「待てって言ってんのに」
「待たないと言っただろう」
「躾のなってねえ大型犬かよ」
「じゃあお前が躾てくれ」
瞳に欲望の炎が灯ったのは気のせいだと思いたいが、背中から地面に下ろされて上に覆いかぶさってくるのを止める手段はない。
「待てって!!」
ギロロの頭を押しのける為に伸ばした手は頭の上に押し付けられ、首筋に熱い吐息がかかる。膝から撫でるように上へと上がってくる指先は確実に性的な意思をもって蠢いている。
「先輩、本当に待って、ここじゃやだ」
耳をべろりと舌が舐めていく。ゾクリと寒気を感じて声が上擦る。
「耳、弱いな」
「う、るせ……ここ寒いからやだって」
「ここじゃなきゃしていいのか?」
「よ、くねぇけど」
「けど?」
「ここよりはマシ」
内股を撫でていた手が止まり、縫いとめられていた腕が解放される。ちゅ、と軽く音を立てて交わされる触れるだけのキスは心地がいい。
抵抗する間も無く横から抱き上げられて所謂お姫様抱っこの状態にされてしまい、なすすべも無くどこかへと運ばれる。行き先は不明だが基地の方へ向かっているらしく足取りは軽い。変に抵抗すると下に落とされて痛い思いをするこの抱き上げ方が嫌いだと何度も言っているが一向に改善の気配がないのは普段の嫌がらせの意趣返しなのかもしれない。
ふいに吐息が聞こえる距離まで顔が耳元へ寄せられる。
「ラボまで我慢してやるからチョコより甘いお前を食わせろ」
今時こんなセリフを言う奴がいると思わなかったゼェと率直な感想を呟いてみたが特に堪えている様子はない。
赤い顔を隠すために手で口元を覆ったが余裕たっぷりの笑みに全て見透かされているような気がして気持ちが落ち着かない。
「文句は明日聞いてやるから今日は大人しく抱かれていろ」
「ありえねぇ……今聞けよ」
「明日、な」
額に触れるだけのキスが落とすその姿は男の俺から見てもかっこいい。それを夏美にすれば良いのに、と思ったところで俺以外にはして欲しくないと思ってしまっている自分がいることに気付いてしまう。どんな形であれこの人の特別を誰にも渡したくない、そんな嫉妬心が自分にも存在したことには驚きを禁じ得ないが、決して口には出さない。
落ちないように首に回していた腕に力を込めて抱き寄せるように耳元へ顔を寄せた。
「クク、仕方ねぇ。文句は明日にしてやるから、今日は……抱いて」
驚きに見開かれた瞳と視線が合う。悪戯が成功したようで気分がいいし、まあ1年に1回位は、素直に甘えてみるのも悪くない。




2017.02.14
St. Valentine's Day








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