ギロクル
心地よいまどろみからのそのそと這い出る。
いつも通り眼鏡は掛けたままなので視界は良好だが何かがおかしい。違和感の原因はすぐに見つかった。手首が軍事演習のお手本よろしく縛りあげられている。足を縛られていない分まだマシだと思いたい。
「ああ、起きたのか」
そこには予想通りの人物がいた。身近にいる人物の中でこんなことができるのは知る限りでは2人だけだ。1人はドロロ兵長、もう1人は目の前で呑気に座っているギロロ伍長くらいだ。特に理由もなく、それも同じ小隊の仲間を縛りあげてどうこうするような、心ない人物ではないのに珍しい事もあるものだ。
「やだー、先輩のえっち。俺様の事縛り上げてえっちなことしちゃうつもりなんでしょー」
精一杯の可愛いそぶりに声、仕草。言葉の中身はもちろん全てが嘘だ。いつもと違う状況でのいつものお遊び。きっと先輩なら顔を真っ赤にしながら、人を縛りあげている理由を焦りとともに話してくれるに違いない。
「してほしいのか?」
いつもとは様子が違う。こんな先輩は本当に珍しい。普段ならこんなことは言わないし、こんなに落ち着きはらった態度でもいないはずだ。これ以上煽っても面白い反応は見込めそうにないので態度を切り替える。
「ククッ、出来もしねえこと言ってんじゃねえよ」
「どうしてできないと思うんだ?」
「あんたが好きなのは日向夏美であってオレじゃない」
口に出せば無性に心がざわついた。
嫌われ者の俺なんかよりも、日向夏美の方が魅力的な事なんて言わずもがなだ。
理解なんてずっと前からしている。
オレでは日向夏美には敵わない。
それでも選んでほしいなんて思ってない、といえば嘘になるが、そんなことが起こるはずがないのも理解している。以前に先輩の記憶の中の日向夏美をオレに書き換えて遊んだことはあったが、あの後にきちんと記憶は元に戻したはずだ。第一、これまでさんざん嫌がらせをしてきたのに、好いてもらえるなんて虫のいい話があるはずがない。そんな事が起こったとすればそれは夢の中の出来事か、騙されているかの二択に決まっている。さらに言うならあの不器用なおっさんに、人を騙すなんて器用な事が出来るとは到底思えない。
「俺はお前が思っているよりもずっとお前の事が好きだぞ」
「罰ゲームなら余所でやんな」
「罰ゲームじゃない」
近づいてくる顔に合わさる唇。
何が起こったのかを理解する前に舌が口内へと入ってくる。罰ゲームにしてはタチが悪いし、どっかの隊長ならまだしもこのおっさんが罰ゲームとはいえこんなことをするなんてとことん珍しい。正直、何かが起こる、なんて事はないと油断していた。好きな女の名前を呼ぶのでさえとまどい、手なんてつなごうものなら顔を真っ赤にしているような唐変朴にこんな芸当ができるなんて夢にも思っていなかった。
縛られている手を自身の前に滑り込ませ、なんとか押しのけようとするが力ではかなわない。はなから力で勝てるとは思っていなかったが、少しも動かせないのはそれはそれで腹が立つ。比較的自由な足で蹴ってみたり、足を踏んだりもしてはみたが効果は見られない。
舌が口内から出て行き、自由になったのもつかの間、小さくじっとしてろと呟いたかと思えば、すぐに馬乗りに上に乗られ、手首を頭上で固定される。こうされてはもうなすすべもない。体をひねって抜け出そうとするがびくともしなくて、また腹が立つ。
「クックック、何のつもりだよ」
「だからお前が好きだって話だ」
「こんなことしといてよく言う」
こんなこと、と言いながら縛られた手を目の前に翳してみる。申し訳なさそうに眉を寄せる姿はいつもの姿に限りなく近い。変なものでも食べたかと思うくらいに今日は態度がおかしい。一か月程度さかのぼって考えても、隊長に渡した発明品の中には人の人格や性格を変えるようなものはなかったので、記憶が確かなら発明品の実験台に使われたということもないはずだ。
「それは……悪かった。そうでもしないとお前が逃げて行ってしまう気がしてな」
「逃げるに決まってんだろ」
苦虫を噛み潰したような顔をしてから、何かを考え込んでいる姿を見て、そんな顔をするくらいなら最初からしなけりゃいいのに、と思うが黙っておく。触らぬ鬼になんとやら、だ。
何か思いついたように、急に顔つきが変わった。大方罪悪感にでも負けたのだろう、手首の縄が徐々に解かれていく。完全に自由になった手に、縛った跡がさほど残っていないのは流石と言うべきなのだろうか。しかし拘束は解かれても、上に自身よりも重いものが乗っていては自由とは呼べないだろう。依然として動くことのできない状況のまま少しだけ待ってみたが、どうやらどいてくれる気はないようだ。
「邪魔。どけ」
「嫌だ。お前の気持ちが聞きたい」
「どけっつってんだろ。どかないなら大声でも出してやろうか?クークックック、誰か来たらこんなとこ見られて、誤解されて困るのはおっさんの方じゃねえの?」
「大声でも何でも出すなら出せ。それでも俺はお前の気持ちが聞きたい」
「チッ……嫌いだ。そもそもオレが好きなのはカレーだけだっての」
「そうか……」
本当に分かりやすい人だ。ほとんど全ての感情が顔に出てしまっている。失望や諦め。今まで何度もむけられたことのある視線だ。今回のように色恋沙汰に巻き込まれる事なんて片手で数えられるほどのものなので、大体はオレの性格の悪さに対するものだが、状況が変わっただけで、結果に変わりはない。みんな遅かれ早かれオレの元から去っていく。それならうんと早い方がいい。
元から持っていなかったものだ。今更、必要ない。
そんなものなくたって、生きていける。
何も手に入れてないから、何も失わない。それでいい。今まで通りのキラワレモノ。
「悪かった」
ずっと感じていた重量が失われ、身体が軽くなる。捨て犬みたいな顔をして、ラボを後にしようとする先輩をみて少しだけ、気が変わった。
「先輩」
呼び止められた事に不思議そうな顔をしながらこちらを振りかえる。
あと、少し。
「オレも、好きだぜえ」
言わなかった、あるいは言えなかった本音を少しだけ漏らせば、一拍置いてから真っ赤な顔をしているくせに、こぼれそうなくらいの満面の笑みを向けられる。その視線に鳥肌が立った。これだから純粋なものは苦手なんだ。何にも阻まれず、何にも負けず、何者にも汚せないその視線が、ひどく憎らしい。好きだと告げた言葉が震えていたのもそのせいにしておきたい。物質に対してや、からかって遊ぶためになら好きと言うことも多いが、本当に本心から好きだと思って、言葉にして伝えたのはほとんど始めてかもしれない。好き、という言葉は思っていたよりもずっと重く、喉に突き刺さって中々出てこなかった。こんなに苦しいものを他のやつらはよくもまあ軽々と言えるものだ。
おそらく気の迷いかアクシデントによるものだとしても、相手の気持ちが告げられてわかっているのにこんなに重いのだ。相手の気持ちが把握できないままならこの重さや息苦しさはどこまで酷くなるのだろうか。
全くもって、どうかしている。
耳につけているヘッドホンに手をのばす。音楽を聴く為ではなく、今のことをなかった事にする為に。
こんな事はなかった。だから先輩はオレの事を好きじゃないし、オレもまた先輩のことなんて好きじゃない。それでいい、その方がいい。何時間分の記憶を消すか少し悩んで、今日一日全ての記憶に設定した。何がきっかけでこんな行動に出たのか分からない以上、少しでも長期間の記憶がない方がいい。流石に何日も連続して消してしまうとそれはそれで面倒なことになるのでなるべくなら避けておきたい。
はち切れそうな目いっぱいの笑顔を浮かべたまま、先輩がこちらへと一歩踏み出してきた、そのタイミングでボタンを押した。
「……どうして俺はこんなところにいるんだ?」
記憶を失い、気がつけばラボにいる状況に驚いている先輩に少しだけ安堵した。先ほどまでの純粋な、一番苦手な視線ではなく今度は何をしたんだとでも言いたげな、いぶかしむような視線。これには慣れている。
「さあな、寝ぼけてたんじゃねえの?ククッ、その年でもう夢遊病とかおっさんも大概にしてくれよ」
「なっ!どうせお前が余計な事をしたんだろう!!」
「クークックック、大当たりぃ!もう終わったから帰っていいぜぇ」
「お前に言われんでも帰る!!」
これで普段通りだ。いつもの先輩、いつもと同じ、さっきまでの事はもう“なかった事”だ。思い出したりなんてしない方がいい。恋なんてなかった事にできればいい。大体このオレが恋なんてどうかしている。愛だとか恋だとかそんな子供っぽくて理不尽で、説明のしようがない非効率的な感情なんかに気分を左右されるなんて、考えただけでもぞっとする。どうにかなりそうだ。
ましてやその相手が同性で年上で部下で、へたれでかませ犬なんてもっとどうかしている。相手に好きな奴がいるのを知っているなら尚更だ。からかうのが好きなだけだ。だからやっぱり恋なんてなかった。
何もなかった。
だから、今心が痛いのも、嘘だ。
もはや出入り自由となっているラボの扉をくぐり中へ入る。
「クッルルー……ってあり?」
ここにいないことのほうが少ないので、いる前提で話しかけたが返事がなければ人影もない。このラボ以外、というかラボ内にもう一つ部屋があるのは知っているが、入るどころか覗くだけでも後が怖いのでやめておく。
「っちぇ、せっかく作って欲しい発明品があったんでありますが…」
流石に命は惜しい。
仕方ないので改めようとくるりと振り返った視線の先に“良い物”を見つけた。今までに見たことのあるものから見覚えのないものまで様々な発明品が山積みになっている。普段こんなふうにいろんなものを無造作に置いているところを見ないので、どこにしまってあるのか不思議だったが、どこかに貯めておいて一斉に整理、あるいは処分しているのかもしれない。
この中に何かいい発明品があるかもしれない。
「何々……マツゲナガクナール銃……ツメノビール銃……ホンネガデール銃……ゲロゲロリ」
このホンネがデール銃でペコポン人どもが本音をすべて口に出してしまい混乱している隙にペコポン侵略であります!
これが市販品なら時に気にせず使えるが、如何せんクルル印の発明品だけに思っている通りのものなのかが分からない。が、本人に聞いたところで素直に教えてくれるとも限らない。あたりに人がいないのを確認してからホンネガデール銃をこっそりと持ち出す。
使えなければ残念だが使えるものならラッキーだ。確かギロロが庭で武器の手入れをしていたはずだ。そこに寄って一度効果を試してから使うかどうかを決めればいい。何も変化がないようならまたこっそりと戻しておけばいいし、効果があるようならこのまま使うか改良してもらえばいいだけの話だ。
思っていた通り、テントのそばに座って武器を磨いているギロロにいきなりホンネがデール銃を向け、発射する。了解なんてしてくれるはずがないので、説得を試みるくらいなら後からギロロの小言を聞くほうがよっぽど早い。
「調子はどうでありますか……?」
「……好きだ!!」
「……へ?」
「どけ、俺はちゃんとあいつの気持ちを聞かなければ……」
「い……いってらっしゃいであります」
何が起こったのかを把握する前に日向家の中へと消えていったギロロの様子を見ると、どうやら本人がしたいと思っているができない事をさせるのかもしれない。最後までついて行ってどれくらいの期間持続するのか等気になることはたくさんあるが、ギロロの行き先が夏美殿のいる場所のようなので付いていくのはやめにする。ついて行って巻き添えをくらうのはゴメンだ。地下室に降りて行ったようなきもするが、今地下室にいるのはクルルだけなので気のせいか、荷物でも取りにいったのだろう。クルルの方は意外とギロロの事を気に入っているようで、ちょっかいをかけて遊んでいるのを見かけるが、ギロロはというと文句を言っている姿か怒っている姿しか見たことがない。ましてや普段あれだけ夏美殿にデレデレしているのだから、夏美殿に好きだとでも言いに行くのだろう。
「……ひょっとしてガンプラの本音が聞けるのでは……吾輩天才すぎるであります。早速ガンプラを作るところから始めるであります!」
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