マリヒュ







宿屋に着くなり男はすまんが先に寝かせてくれと言い、事実その通りに一番乗りで夢の世界へ旅立った。連日の野宿で疲れが溜まっていたのだろうか、あるいは頻繁に夜間の見張りをかってでていたからかもしれない、おそらく両方だろう。
眠れないだとか今日は戦闘中に怪我をしたんだから早く休めだとか何かにつけて夜間帯の見張りをかってでてくれていたのは確かに助かってはいたが、やはり負担になってしまっていたのだ。大体は一緒に起きて他愛のない話をしたり、交代で少し眠ったりしていたがそれでもやはり彼一人の睡眠時間が減っている事は事実だ。無理に寝ろと言っても寝ないだろうがそれでも座っているよりかは横になっていた方が身体も休まるのだから次からはせめて横になれと言うべきかもしれない。
真っ白なベッドの中で寝息を立てるその姿を見て、まるで子供のようだと思った。本人は適当な事を言って煙に巻いているが本気で彼を慕う女性も多いだろう、実際その現場を目の当たりにしなくとも自信をもって言い切れる。普段の態度と容姿を考えれば当然だろう、なんていったって誰にでも優しく、紳士的に振る舞っているし顔だって年相応に老けてはいるがその年齢を考えてもそこらの男では適わない。同性である僕から見ても充分に魅力的なのだから異性の眼から見ればさらに魅力的に映るのではないだろうか。そんな魅力的な人が今、目の前で無防備に寝息を立てている。あどけないその顔は普段見せる大人びた表情とはまた違って映る。この人の寝顔を見られるであろう人数の少なさを思い、微かに胸躍った。
なんだ、この気持ちは。胸が締め付けられる。思わず手を伸ばして触れそうになっていた自分に気付き、今にも彼に触れそうになっていた手を慌てて引き戻す。自分で自分が理解できない、これほどまでに感情をもてあまし動揺した事など今までに一度もなかったし、またずの気持ちが一般的に恋だとか愛と称されるものに酷く類似しているということがまずおかしい。かっこいいからああなりたいという憧れとは決定的に違っていて、それでもどこか似ているのだ。
第一彼は男だ、どう勘違いしてもどれだけ屁理屈をこねてもどこから見たって男にしか見えない。そして僕も男だ、少なくともこれまで生きてきて女に間違われた事はない。馬鹿げている。僕はどうかしてしまったのかもしれない、男同士なんて間違っている。それにこんな突拍子もない事を突然言えば彼だって困るだろう、詳しくは聞いたことがないが彼には彼なりに好きな女性もいるようだし年だって親子と言っても差し支えのないほどに離れている。それにどうもあの人は僕がパスカルさんの事を好いていると勘違いしている節がある。
確かにパスカルさんの事は嫌いではないがそれと同様にソフィの事もシェリアの事も兄さんの事も好いている。更に言うのであればマリクさんの事も好いているけれどそれはまた別だ、なんと表現していいか分からないがとにかく違うのだ。特別、特別な存在。
きっと本人に告げれば勘違いだとか気のせいだとかなんだかんだと理屈をこねて煙に巻いて逃げてしまうだろうから言うつもりはこれっぽっちもない。僕は彼が酷く臆病で誰にでも優しくするくせに必要以上に好かれる事を怖がっているのを知っているのだ、そんな彼に何を言っても無駄になるか否定されるに違いない。
好きなのではないかと自分を疑うたびにその気持ちが本物になっていくような気がしてならない、一種の自己催眠のようなものかもしれない。考えればその分だけ深みにハマっていく、あまつさえ僕が好きなのだから向こうも僕の事を恋愛対象としての好きとまではいかずとも、少なからず好意的には見てくれているのではないかと思えてくるから不思議なものだ。さすがにそんな自己の願望を鵜呑みにする程馬鹿ではないがそんな自分に都合の良い妄想が現実になればいいと思っているのも確かだ。逆に僕のこんな薄っぺらな感情なんかとっくに見とおしているのに素知らぬふりをしていて、その実唾でもはきかけたい程に嫌悪されているのではないかという思いが心に暗い影を落としている。僕が毎日どれほどに悩み苦悩しているかを知ってか知らずか、この人はへらへらと見た事もない女と楽しそうに話しこんだり、飲みに行く等と言ってはふらっと僕の目の届く範囲から抜け出し、どこへなりと行ってしまうのだ。
いつか本人が自分で自身を狡い大人だと言っていたが本当にその通りだ、大人が総じて狡いものなら僕はこの人の前でだけではもう少し子供でいたい。何かにつけて僕を子供扱いする癖に狡い大人は都合のいい時だけ僕を大人にしたがる。大人なんだから分かるだろう、なんてもっともらしい言い訳で僕から逃げるのだ。本当に狡い人だ、それを知っているのにまだこの人にこんな気持ちを抱いてしまうのは何故なんだろう。
苦しい。胸が痛い。こんなのは、知らない。
「ん……」
びくりと震える。今起きられたら普段通りに接する自信がない。お願いだからそのまま眠っていてと懇願するが期待とは裏腹に男は薄く眼を開き数度瞬きをした。
「あ、あのこれは……」
急に寝ている間に寝顔を見ていた事だとか、触れようとしていた事が何だか後ろめたい事のような感じがしてあたふたした気持ちが口からこぼれたが、その言葉を聞かずに男はまた瞼を閉じ夢の世界へと帰って行った。今目を覚まされたりなんてしたら勢いに任せて迂闊にも貴方が大好きですなんて口走っていたかもしれないと思うと恐ろしい、僕はこの気持ちを悟られるわけにはいかないのだ。
こんな気持ちは固く蓋をして心の底の底に閉まっておかなければならないと思っているのに少しの動揺ですぐに上の方へと跳ね出ては、隙を見て口から出て行こうとする。大体愛だの恋だのそんな曖昧で形のないものに振り回されるなんてリアリティにかける話だと思うのに、思うだけで現実にはそのリアリティに欠ける話を実体験として体感してしまっているなんてふざけた話だ。いったい何をどうしたら僕とこの父親ほども年の離れた男が恋仲になるというのだろうか、僕がどんなに想ったって向こうからは願いさげに違いない、なんて考えると途端に胸がざわめき、微かに痛みを訴え出すというのだからまったくもってどうかしているとしか思えない。
この人には急に話をふってきたり突然絡んできたりと驚かされるも多いのだから一緒に旅をしている以上完全に避ける事こそできはしないが、僕がとんでもない事を口走りそうな内は可能な限り距離を置いた方がいいだろう、少なくともこの気持ちに整理がつくまでは。
きっと僕は今愛だとか恋だとかそういうふわふわしたものと尊敬であったり憧れといっしょくたにして大きな勘違いをしてしまっているのだ、そんな勘違いに他人をつき合わせる趣味はない。第一好意のような曖昧なものにこんなにも振り回されているのがそもそもの間違いなのだ、どうかしてしまっている。全くもっておかしな話だ、人間の行動とは一時の流されやすいすぐに朽ちてしまうような感情で行われるべきものではない。もっとよく考え、計算された上で行われるべきもののはずだ。それなのにこの男ときたら冗談ではあろうが、一緒に風呂に入ろうだとか添い寝してやろうか等と僕の予想を軽々と越えた事を言ってのけるものだから僕はいつだって冷静な思考機能を失って馬鹿げた返事を返してしまうのだ。
「…ヒューバート?」
心臓が飛び出るかと思った。薄く眼を開け、眠そうに瞬きしながら大きな手が僕の頬に触れる。ゆっくりと男の上体が起きあがってくるのが目に入るが動けない。まるで恋人にでも向けるような笑顔で、目を愛おしそうに細めるその姿がやけに心にとまる。そんな顔をされては勘違いしてしまう、彼も僕の事を想ってくれているのではないかと、好きだと素直に言ってしまってもいいのではないかと。
あと少しで唇が触れそうな程に顔が目前まで迫ってくるが、自分で思うように動く事が出来ない。頭ではこの人は寝ぼけているだけなんだから取り返しのつかなくなる前に止めて起こさないと、と思うのにそのくせ心のどこかではこのままキスされたいと願っているのだ。気持ちの整理がつかぬままに目を伏せ制止のためにと男にあてた手は力も入らずにただ押し返されてゆくだけで本来の意志を果たせない。いつしかそれは押し返す為ではなくただしがみ付くだけになってしまっていた。
唇に柔らかな感触を感じ思わず手をぎゅっと握りしめる。離れて行く気配に目を開け、様子を伺えば視線が噛み合い、見つめあう事になっている事に気付き慌てて目を逸らした。少ししてからようやく事の重大さに気づいたらしく、目に見えて慌てだすその姿はなんだかいつもと違って子供じみているようにも見える。
「夢…じゃない…のか…?………すまん!これは…そう事故だ、事故なんだ。忘れてくれ!!」
正直拍子抜けした。確かに寝ぼけているとは思っていたがこうも口を挟む余地もなく謝りたおされるとは思っていなかったし、そこまで悪い事をしたと思われるのが悔しかった。
「忘れられるわけないじゃないですか!その…こういう事は初めて…なんですから」
男の顔に一瞬喜びの色が浮かんだような気がしたが気のせいだろう、きっとそんな事もした事がないのかと馬鹿にしているに違いない。浮かんだ喜びの色はすぐに消え去り、しかめつらに変わる。口からは本当にすまなかっただとか許してくれとは言わないだとかそんな謝罪の言葉ばかりだ。本当にこの人は僕を何だと思っているのだろうか、本当に嫌ならもっと早くに拒むことだってできたのに。
できたのに?
拒まなかったのは僕だ。つい先ほどこの気持ちが勘違いで尊敬や憧れ、憧憬とごちゃ混ぜにしてしまっているだけだと考えたばかりだというのに何故僕はあの時にこの人を突き飛ばしてしまえなかったのだろう。心の中で恋という言葉だけが行き場を失い、ふわふわと浮いていた。
「あの…ですね。驚かないで聞いて欲しいんですけど」
「何だ?」
「その…僕は貴方の事が、す…好き…かもしれないんです」
しまった、と思ったが言うつもりではなかった想いが口をついて出た後では遅かった。どっと後悔が襲ってくるが過ぎた時間を巻き戻せないように、口から出た言葉もなかった事にはならない。
「好き……?お前が好きなのはパスカルだろう」
「そう言った覚えはありませんよ、嫌いではありませんし好きかと問われれば好きですが同じように兄さんやソフィ・シェリアの事も好きですよ」
「じゃあオレも…」
「違うんです。何と言えばいいのか分かりませんが…貴方だけは違うんです」
今度は明らかに顔に喜びの色が浮かぶ。自分で言うのもなんだがこういう時は普通拒絶こそすれ喜ぶものではないのではないだろうか、それとも単に僕の願望がそう見せるだけで実際は拒絶されているのだろうか。どちらにしても他人の気持ちなんて不透明なものは実際がどうであるかなんて確かめようがない。ましてや第三者の目から見るのではなく、当事者の予想なんて一切当てにならないどころかただの願望にしか過ぎず、期待すれば裏切られ絶望すれば足元をすくわれるに違いない。
「本気で言っているのか?」
「こんな嘘をつくほど暇でも馬鹿でもありません」
改めて確認され顔に血が集まるのが分かる。きっと今真っ赤な顔をしている事だろう。顔を見られるのが嫌で顔を伏せ、男がいつも着ているシャツの裾をじっと見つめて息を殺した。このまま全部世界に溶けて塵になってしまえばいいのに、何もなかったのだから今まで通り一緒にいるのが当たり前で居られる。この旅が終わるまでの期限付きとはいえこの当たり前を失くしたくなかった。
「ヒューバート、お前の気持ちは嬉しいがきっと勘違いだ。お前は普通に女と付き合って結婚すべきだ」
予想はしていたし何度も自分に言い聞かせていたこととはいえ改めて他人から告げられるとダメージが大きい。目頭が熱くなるのを感じ、更に目を伏せ唇を噛みしめた。
「そう…ですよね。すいませんでした、変なことを言って。やっぱり僕なんかじゃ駄目ですよね」
「そうじゃない、一時の感情で人生を棒に振るべきではないと言っているんだ。悪いがオレは一度手に入れたらお前を手放してやれそうにない」
頭の中で今言われたことを反復し、整理する。告白された事が嫌ではないように聞こえたのは気のせいではないはずだ。
「あなたが何を言おうと僕が貴方を好きな事に変わりはありませんから」
じわじわと落ち着きを取り戻し、これ以上は言ってはいけないと理性が押しとどめようとするのを無視して開き直り、もう口から出た事には取り返しがつかないのだからここから何を言おうとこれ以上事態が悪化する事はないだろうと意を決し、顔を上げじっと目を見つめる。視線が噛み合い、そしてそれはすぐに逸らされた。どこか遠くを見つめながら男はポツリと呟いた。
「本当に後悔しないのか?」
「ええ」
「…降参だ、オレも…その、お前が好きだ」
「それは…えっと…ありがとうございます?」
「オレに聞くなよ」
柔らかな笑顔につられて自然と顔に笑顔が浮かぶ。心がふわふわしてまるで夢の中みたいだ、今頬をつねったらこの幸せな夢から覚めてしまうかもしれないと思うと全てが怖くなる。しかしこれが例え夢だとしても構わないと今なら思える。
「ヒューバート、好きだ」
「…はい」
「好きだ」
「ええ」
「好きなんだ」
何度も繰り返される言葉に一抹の不安を感じる。これは本当に夢なのかもしれない、僕の一時の気の迷いが見せた幸せな悪夢で、起きたら教官は何事もなかったかのようにいつも通りに僕をからかい、パスカルさんとの恋を勝手に応援するのかもしれない。
「何度も言わなくても分かります」
「もう聞きあきたか?」
「そんなことありませんよ」
「なら問題ないだろう。ところでお前からの返事をまだ聞いていないんだが」
「言ったじゃないですか」
「ちゃんと聞きたいんだ」
「こういうものは特別な時に……」
「今がその特別な時だろう」
「うっ……分かりましたよ、僕はあなたの事が、す……好きです」
「オレもだ。なあ、お前のファーストキスちゃんともらってもいいか?」
「わざわざ言わせる気ですか?」
「言ってくれないと分からないだろう」
「もう奪ったくせによく言いますね」
「あれは事故だ、夢だと思っていたんだ。だからこうしてお願いしているんじゃないか」
「どうぞご自由に」
頬を撫でられ顎を掴まれる。軽くちゅっ、と唇が触れてそれからずっと何度も何度も唇を奪われ、呼吸が苦しくなったところで制止をかけてようやく解放された。ファーストキスなんて言うのだからてっきり一回だけだと思っていたのに何度も唇を奪われ、嫌ではないが日に何度も僕の予想を覆してくれるものだから嫌味の一つでも言ってやりたくもなる。
「一回じゃなかったんですか」
「実際してみたら一回じゃ足りなくなったんだ、これでお前の2度目も3度目も全部オレのものだな」
「もうあなた以外に差し上げるつもりはありませんからそんなにがっつかないでくださいよ」
「お前な…さらっとそういう事言うのはやめてくれ、これでもいっぱいいっぱいなんだ」
「何がですか?」
「……自覚なし、か」
「あっ、そういえば何の夢見てたんですか?」
「ん?…ああ……何でもない。気にするな」
「どうやったら間違いで人とキスをするような夢が見られるんですか?」
口元には営業スマイルを浮かべたが内心穏やかではない、きっと傍から見れば目は笑っていないだろう。驚きの方が勝ってしまっていてなあなあにしてしまっていたが何をどう間違えば人にキスなんてしてしまう事になる夢になるのかが分からない。それはだな、とばつが悪そうに顔をかきながら視線をあちこちへと向けるその顔をじっと睨みつける。
あまりに口を割ろうとしないのはひょっとして心にはまだ別の人が居座り続けているからなのではないだろうか、詳しくは聞いた事がないがまだこの人がフェンデルで革命活動に精を出していた頃に想いを寄せていたという女性の名前が頭から離れない。一度写真で見た事があるだけなのではっきりと覚えているわけではないが僕なんかよりもずっと教官に似合っていたように思う。はっきりと覚えていないのはその時にロベリアという女性よりも若かりしときの教官の方に目が奪われていたからだなんて思いたくはないが否定はできない。
「ひょっとしてロベリアさん……ですか?」
「どうしてそうなるんだ」
「それ以外に誰がいるっていうんですか、それともまた別の僕なんかよりもずっと綺麗で美しい貴方好みの女性ですか?」
「分かった、正直に話すから落ち着け。お前だよ」
「僕が何ですか」
「だから、夢の中でもお前にキスしようとしたんだ」
「そんな…」
信じられない。この恋と呼んでも良いのか怪しい気持ちに応えてくれただけでも信じられないのにそこまで出来過ぎた偶然が重なるはずがない。まるで夢でも見ているかのようだ、ひょっとするとこれは夢なのかもしれないが確かめる方法なんてない。起きた時に感じるであろう喪失感を味わってあれは夢だったんだと思えるまで待つしかない。
「言っとくが嘘じゃないからな、この年になってそんな出来過ぎた展開を演出する程気障じゃない」
そんな演出をさらっとしそうなくらい普段から気障だと口に出すのは止めて変わりにそれ僕以外にやったら許しませんからとだけ言っておく。現実だとはにわかに信じがたいような展開が続いているのだから多少悪ノリして、普段ならとても言わないような事を言ってしまっても全て夢に溶け込んで消えてしまう気がした。

けれど願わくは、夢でありませんように。














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