ピオジェ








唯一君のさっきまでの温もり






【空が流した涙は地に堕ち、人の糧となる。】






ぽたりと雨粒が頬を叩いた。そんな些細な事を頭から追い出し、時間を切り取る行為に専念する。箱に備え付けられた小さなボタンを押し、ぱしゃりと音がしてからボタンを開放してやる。
ぱたぱたと音が慌ただしくなり始めるがそれにも知らん顔を決め込み、ひたすらにシャッターをきる。空や人、道路に雲あらゆるものを箱に納めてゆく。この瞬間のすべてを忘れないように。
ふと雨が止んだ。否、止んだわけではない。雨は降り続いている。後ろを振り向けば幼馴染みである軍人の姿が目に映り込んだ。
「なにやってるんですか?」
手の中の箱を見れば分かるだろうにあえてそれをしない男に皮肉も込めて言い返す。
「世界を閉じ込めてるんだよ。なんか凄くないか?世界はこんなに広いのにこんな小さな箱に収まるんだからな」
「それはいいんですけど譜業装置って濡らすと壊れますよ。」
あ、と息を漏らせば男は随分とおかしそうに笑った。なんだかやるせなくなり軍人とは思えないほど華奢な身体を地面に押し倒した。
地面に叩き付けられた雨が男の服へと滲んでゆく。じわりじわりと蒼が色を変えてゆく、そのなかでも雨は降り注ぎ服を重たく変えてゆく。
「笑うなよ、そんでもってお前も壊れろ。」
「私は譜業ではないのでそう簡単には壊れませんし陛下みたいな馬鹿が風邪なんて引くとは思いませんが万が一、そんなことがあれば私が文句を言われるハメになるので早く帰って下さい。」
「可愛くない奴だな、」
「可愛い30代後半の男性軍人なんていたら逆に気持ち悪いと思いますがね。」
さあ、わかったらどいてください・と言われてからやっと渋々ではあるが身体を退けた。譜業装置は仕方がないので後日サフィールかガイラルディア辺りに修理させる事にして一般に傘と呼ばれる雨避けを拾う、がこれだけ濡れていればもうどれだけ濡れたところで代わり映えしないだろうから畳んだ状態に変えて腕に引っ掛けた。
「さて、帰るか。」
と歩きはじめてすぐに教会の前で雨宿りをしていた女に違和感が感じられ記憶の海を手探りで探せば以前宮殿内で見掛けたメイドに焦点が合う。誰かと待ち合わせでもしているのかしきりに腕時計を気にしながらきょろきょろと辺りを見渡す様子がたいへん面白く感じられぺたぺたとサンダルが雨に引きずられる音を楽しみながら近付いた。
「こんなところでどうかしたのか?」
「あ、ピオニー様!いえ、なんでもございません。」
「ここは宮殿内じゃあないんだ、話してみろ。」
「あ、あのもうすぐ母が港に到着する筈なんですがなにせ急に降り出したものですから傘を持って来ていなくて…」
「それならこれをやろう、どうせ邪魔になって困っていたところだ。」
女の真っ白な手に傘を押しつけようとするが女はがんとして受け入れようとしない。ピオニー様が濡れると困るだとかピオニー様から物を頂く訳にはいかないだとかそんな理由しか並べない女に苛立ちを覚え始めた頃声が鼓膜に届く。
「受け取っておきなさい、どうせこの馬鹿皇帝は傘なんてさしませんから。」
よくよく考えてみれば失礼な物言いによく通る低い声に促され女が傘を手にとる。
「あ、ありがとうございます!」
緊張しているのが目に分かる。女はにこりと笑ってから傘をさし港に走って行った。きっとさきほど雨音の間隙を縫って聞こえたクラクションを鳴らしていた船に母親が乗っているのだろう、そう思えばわずらわしいだけだった傘も報われるというものだ。
「さーて、いい加減に帰らないとまたどやされますよ?」
「あ、やべ。走るぞ、ジェイド!」
にこやかに笑う男の手を取り走り出す。あまりにも帰りが遅くなると外出禁止を食らうのが目に見えているからだ。
「ああ、そうだ。忘れ物!」
急に立ち止まれば引っ張られる形をとっていたジェイドが背中に当たる。愛してる、と小さく呟き口唇を奪い取れば血よりも紅い瞳に困惑が浮かぶ。にこりと笑みを浮かべまた走り出す。
「陛下、後で覚えてなさい。」
後ろで恐ろしいまでに怒りを孕んだ声が聞こえるが聞かなかった事にしておく。さすがにこの歳で皇帝を退位するのは(しかも幼馴染みによって)よろしくなさすぎる。
「ジェイド、譜業装置が直ったらお前を閉じ込めてやる。」
ひたすらに愛する街を駆け抜ける。軽口を交わそうとも雨は止まない。(止めない雨がすべてを洗い流してしまえばいいのだ。)









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