ピオジェ
頬を撫ぜる優しい感触に瞼を開けた。ぼんやりとした視界にうつった男を確認してから数回瞬きをしてみたがやはりその男は本来こんな場所にいるべきではないこの国の皇帝だった。
「陛下、午後の会議に遅れますよ」
「まだ平気だ。」
本当だろうか、と半信半疑で時計に目をやれば時計はまだ正午よりも随分手前で止まっており、会議まで時間はたっぷりとあった。身体を休めていたソファに本来の用途通りに腰掛ければ自分でかけた覚えのない膝掛けが地面に落ちる。拾うのも面倒で背もたれに寄り掛かっていればまるで忠実な召使であるかのように膝掛けを拾いあげ膝にかけてくるのは皇帝だった。
「陛下、それは陛下のなさるべき事ではありませんよ」
「そう言うな、俺がお前にしてやれる事はそう多くはないんだ。あとどうせ眠るなら仮眠室があるだろう、お前は何時までたってもこの狭苦しいソファで眠ろうとするんだな」
当たり前のように隣りを占領する男にちらりと視線をやればこちらを見ていた男と視線がかち合う。何故か居心地が悪くて慌てて視線を逸らした。
「どこで眠ろうと私の勝手でしょう。第一誰が寝たかも分からないベッドで眠るくらいなら狭苦しくともソファの方がマシですね」
「仮眠室がそんなに嫌なら俺の部屋まで来れば良いだろう、俺とお前以外には誰も眠った事がないぞ」
「どこの国に君主のベッドを占領して眠る臣下がいますか」
「お前が初めてじゃないか?」
「不敬罪で死刑にされそうですね」
「それよりフォミクリーの研究はどうなんだ」
ああ、分かったしまった。この男の考える事が。なんて嫌な男、嫌いになれない事を知っていて酷い事を言う。
「どうもこうも問題だらけですよ」
「ルークは、」
「………分かりません。ですが恐らくは乖離現象を起こして…」
「もういい、少し早いが昼食にするか。お前も来い、ひどい顔だ。どうせろくなものを食べていないんだろう」
「失礼ですね、きちんと栄養バランスは整えていますよ」
「整え方がサプリメントでなければ文句はないんだがな」
男は呆れたようにはは、と笑った。その笑顔が眩しくて、私は見て見ぬフリをした。
ほら、と手首を掴まれ、無理矢理執務室から連れ出される。一緒に昼食をとって後で文句を言われるのが私の方だと知っていて、それでも尚この男は無茶を通すのだ。いい加減に後から議会の老獪にぐちぐちと生産性のない話を拷問のように長い時間聞かされるこっちの身になって大人しくしていてくれれば助かるのだが、どうにも聞いてくれない。
無理矢理椅子に座らされ、やれやれと溜め息をつけばすぐに料理が運ばれてくる。目の前に置かれた料理はサンドイッチだった。問題はないのだ、ブウサギの肉が入っていること以外は。
「先に言っておきますけど私は食べませんよ」
「どうしてだ、可愛い上に栄養もあって旨いぞ」
やはりこの男は知っていて平気で人に嫌う事をさせようとするのか、なんて嫌な男だ。
「なぁジェイド、」
「なんですか」
「俺、結婚しようと思うんだ」
動揺、した。
何時までも先延ばしにできる問題ではないことは知っていた、それなのに何故か胸が痛んだ。こんな感情はおかしいのだ、本来喜ぶべき事なのだから。
「…それはおめでとうございます、議会での懸案事項がひとつ解決したじゃないですか」
「相手とか聞かないのかよ」
「聞いて欲しいんですか?」
「全くもって可愛くねぇな、可愛いジェイドとは大違いだ」
「もう30過ぎたおっさんですからね、可愛いはずが「お前と結婚する」
「な、にを」
「だからお前が相手だ」
「馬鹿な事を言わないで下さい。ついにトチ狂いましたか?私はネフリーの変わりにはなれませんよ」
「変わりだとは思ってないし狂ってもいない」
「第一私は男です。男同士では結婚などできませんよ」
「俺が法律だ、なんなら同性同士での結婚を認める法案を作ってやる。他には何か問題があるか?」
「私はただの軍人ですよ、身分が「そんな事関係ない」
「貴方はそうでも議会が黙ってません」
「議会はもう説得した。表向きには貴族の適当な娘と結婚することになっている、もう結婚した、という建前だけでいいみたいだな」
「子供はどうするんですか」
「そこは流石に誰かに代役を頼めんからな、議会が勝手に養子を選ぶそうだ。それで、まだ他に結婚できない要素はあるか?」
否定するたびに全て解決される、この男はこれほど手回しの良い男だっただろうか?思われている証拠などと言ってしまえば綺麗事になるがけしてそんなに容易いものではない。
流されてはいけない、私は軍人だ。こんな事が許されてはいけない。
「………」
「ないだろ、よしこれで問題はないな」
「そんなわけないでしょう」
「じゃあ皇帝勅命」
「そこまでしますか、普通」
「俺の普通はな。それとも嫌か?」
「返事までの時間はくださらないんですか」
「やっただろう、長い間待った。お前がカーティス家の養子になんてなるから時間がかかったじゃないか。」
「すみません」
「それで、答えは?」
「…すみません」
「残念だ」
残酷な答えしか、私は持ち合わせていなかった。
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