ヒステリックな母親と兄妹










女がひとり、姿を消した。つくづく馬鹿な女だ。

僕は別に女性が嫌いなわけではない、というよりも好きなのだが女のヒステリーだけは耐えられない。昨晩ヒステリーを起こした女の引き起こした出来事が今までで一番最悪だった。横の部屋のベットの中で妹がうるさく泣きわめき、階下からは女の怒鳴り声。
僕には関係ない、僕は寝ているんだ。この眠りさえ安寧なら僕はそれで良いと自分にしっかり言い聞かせる。今僕が変に関与したって女の逆上は収まらないだろうし、いたずらに被害を拡大させる事だってあり得る。
部屋に電気が灯り、あまりの眩しさに呻いてから枕を庇替わりにしてまた眠ろうとすれば背中を勢いよく叩かれる。大方察しはついていたがやはりそれは妹だった。仕方なく身体を起こし、時計を見れば時計の針は2時をさして いた。
僕は明日も仕事なんだ、勘弁してくれ
「お兄ちゃん、母さんが!」
「あの人はいつもああだよ、気にしないで寝てろ」
「でも…」
「何かしたいなら警察でも呼べよ、それであの喚き声が聞こえなくなるかもしれないぜ」
「お兄ちゃん!」
「変に関わるな、殴られるぞ」
「…うぅ」
「僕は寝るから。朝まで起こすなよ」
でも…と渋る妹を部屋の外へ追いやり、電気を消した。階段を降りていく小さな音にそっとため息を零していつになったらゆっくり眠れるんだと呟いた。
間もなくしてばたばたと階段を上ってくる音に続き近くで勢いよくドアの閉まる音と泣き声。だから言ったのにと心の中で呟き鞄の中から音楽プレイヤーをとりだし、カーテンで仕切られただけの隣の部屋に いる妹の前に置いた。何が何だか分からないといった顔をする妹に適当に聞いてろ、女のわめき声よりはマシな曲ならいくらでもあると言えば妹は不服そうにしながらも大人しく従った。
今からでは充分とは言い難いが少しは眠れるだろう。相変わらずうるさい声は階下から止むことなく聞こえ続けていた、もう3時も近いというのにまったく近所迷惑な話である。

気がつけば目覚まし時計が五月蝿く鳴り響き起床の時間を知らせた。昨晩の事を少しだけ思い出し、うんざりした。まあ静かな事を考えるとヒステリーも少しは落ち着いのだろうし何よりも仕事に行かなければならない。階段近くの女の部屋が開け放たれてベットの中に女がいない事を告げていたがそうなると階下にいるのだろうか。もしそうだとしてもなるべく顔は合わせたくないものだ。
だが予想に反して女はどこにもいなかった。消えた、というのは些かファンタジーすぎるだろう。恐らくは夜中か明け方の内に逆上したまま親族か、あるいは友人の家にでも押しかけてある事ない事全部吐き出しているのだろう。そんなもはや日常のような些事よりも今の僕には仕事の方が大切である。
階段の下から妹を起こせば妹は階段から少しだけ顔を覗かせて「起きてるよ、…今日学校休んでもいい?」と告げた。本来なら行かせるべきだろうし休むにしても僕ではなく親から連絡をいれた方がいいのだろうが僕に無理矢理行かせる気はないし親も今はいない。
「連絡はしておくよ、何組だった?」
「2組、担任の先生は熊谷先生だよ」
「了解、後ででもいいから鍵だけ閉めててくれ」
「うん 」
早速電話を…しようとしたが生憎と僕は妹の通っている学校の電話番号を携帯に登録する程に愛妹家ではない、というか妹も知らないだろう。仕方なく調べて2組の熊谷先生とやらに妹が休む事を伝えれば一般的な教師なら遠まわしに告げるべき妹のあざにやんわりどころかド直球で突っ込んできたので「ドジっこなんですよ、可愛いでしょう。昨日もなにもないところでド派手にこけてましたよ」と適当に答えておく。
妹が言わないなら僕も言うべきではないはずだ。お互い適度に無関係な方が良い、というのは僕の持論だが妹もそれなりに守ってくれているので僕としては大変満足だ、言った事はないので本人は守っているという認識すらしていないだろうが。
尚もしつこく追及しようとする教師にで は、と一方的に別れを告げて通話を終了した。今度の担任は熱血漢で大変だな、妹が。僕には無駄話に費やすほど時間が有り余っているわけではない、向こうからすれば無駄ではないんだろうがどれだけ時間をかけられても何も話す気のない僕からすれば無駄だ。車に乗り込んで携帯を脇に放る。着信、ディスプレイを覗くと見覚えがある番号というか妹の学校からだった。出るべきか一瞬考えてから見なかった事にした。僕は何も見ていない、故に携帯に着信は無かったし僕はそれに気づいてもいない、うーん平和だなぁ。
相変わらず五月蝿い携帯を無視して車を出す。気分はいい、おそらく女が消えたせいだ。僕の日常はこれほどに安息に飢えていたのか。友や同僚には独り立ちしろよ、とよく言われるが父は ともかく妹をおいていくわけにもいかないだろう。父は妹に感心がない、ついでに僕にも感心がない、僕や妹が傷ついていてもこれっぽっちも気にしていないのだ。妹は妹でいくら止めろと言っても生物学上の母に殴られる事を承知で、それでも慰めにいく世間一般でいうところのお人好し(或いは愚か者)なのだ。いい加減にしておかないと離れられなくなるぞ、どちらがとは言わないが。
営業開始時間二時間前、早く着きすぎた事に後悔しながら車から降りる、コンビニに寄ってから行っても少し早い。コンビニに行く途中に携帯を見てみれば同じ場所から15件の着信と2件の着信、嫌がらせか。どちらも用件はおおよそ検討がついているがどちらからかけるか悩む。とりあえず早く用の済みそうな2件の方 にかける。電話口に出た女性に妹の名前と学年を告げ電話がかかってきた旨を伝えると暫く保留音との会話を要求され少ししてから遠回しに電話をかけるほどの用件はないと言われたので大人しく電話を切っておく。
残るは15件の方だがこちらは正直気が重い。本音を言うならかけたくない、がそんなわけにもいかないのが困りもので。3コールで出なかったら切ろうと心に決めてから通話ボタンを押す、1、2、さ「もしもし?」よりにもよって出やがった。
「もしもし、用件だけ聞く。15秒以内で話せ」
「やーだ、何それギャグ?あんまり面白くないわよ」
「僕は至極全うに自分の意見を述べたんだが」
「で、何なわけ?わざわざ電話までかけてくるなんて珍しい…ってまさか私の声が聞きた くて?いやん、モテる女は辛いわー」
この女は本当に僕の神経を逆撫でするのが大好きだ。知っていてやってるんだからたちが悪い。
「センス皆無な嘘だな、そっちからかけてきたんだろ」
「そうだったそうだった、あのさあんたの親が夜中に迷惑も考えないでうちに押しかけてきて更に長期間居座る気なのよ。だから迎えに来て」
「断る」
僕には女に罵倒され、殴られる趣味はない。
「母さんは気が済むまでいれば良いって言うんだけど私的には早く帰ってほしいわけよ、あんたの母親うっとおしいし、私の嫌いなタイプ」
「僕は帰ってきてほしいとは思ってないしあの人は僕の言うことなんて聞かない。というか愚痴なら本人に言えよ」
「やーよ、泣かれるから。うざい」
「なら諦めろ 、用がそれだけならきるぞ」
「最後に一個だけ聞かせてほしいんだけど妹ちゃん大丈夫?」
「精神的になら問題大ありだが肉体的には問題ない」
「あんたね、兄貴なんだからちゃんと気にかけてやりなさいよ」
「僕は僕のキャパシティ以上の事はできないしお前みたいに他人の心を踏み荒らして楽しむ趣味はない。じゃあな、くれぐれもあの人を引き留めていてくれ」
「ちょっと待ちなさ…」
聞かずに通話を終了する。リダイヤルも無視してコンビニに入れば無気力そうないらっしゃいませーという声が聞こえた。昼食用に適当なサンドイッチと缶コーヒーを購入して店をでる。ついでに朝食代わりに何か買ってもよかったが普段から朝食を食べないので胃が受け付けないだろうから却下。まだ少し 早いが別に早く出社しても問題ないだろうと職場へ足を向ける。先程電話を切ったばかりだというのに既に三件も不在着信を残しているのが、我が従姉妹ながら恐ろしい。しかし果てしなく電話に出たくないので何も見なかった事にし、あまつさえ電源を切った。昼休みに電源を入れるのが恐ろしいが仕事用の携帯さえ生きていればひとまず僕の生活に問題はない。まだ始業時間よりも一時間半も早いというのに既に出勤してきていた上司に挨拶をしてから自分のデスクに座る。あの人はいったい何時に来てるんだよ、普段から飄々としていて食えない人物だがそれでいて仕事ができるのだから本当にすごい。あれでどうして結婚していないのか不思議なくらいだ。
本人は前に飲み会でべろんべろんに酔って僕はゲイだから結婚なんてできないんだーとかなんとか叫んでいたがそれを真実とは思いたくない。切に。
さっさと仕事を片付けて今日は早く帰らないといけないので急ぎの仕事から次々と片付けていく。僕の妹は壊滅的に料理ができないので僕が作らざるを得ない。前に卵焼きを作ってくれたことがあったが妹の明るい笑顔とは裏腹に肝心の卵焼きは真っ黒で苦かった。
僕としてはただの卵焼きがどうして真っ黒になるのか全く理解できないのだがその真っ黒な卵焼きを前にしながら妹が今回は上手くできたと言っていたのだから末恐ろしい、妹の結婚相手はいつか妹の料理が原因で死ぬ。
ちらほらと出勤してくる先輩や上司、同期や後輩と挨拶を交わしながら仕事を片付けていく。マナーモードにしてある携帯が震え、電話番号がディスプレイに記されるが見覚えがなく、とりあえず出てみればわかるだろうと通話ボタンを押した。
「もしもし?ちょっとなんで携帯の電源切ってるわけ?」
聞き覚えのある声。というかまあ紛れもなく朝に電話で話した従姉妹の声だった。なんだか頭が痛くなってきた、いっそ泣きたい。
というかなんでこいつはこの携帯の番号知ってるんだよ、教えた覚えはないぞ。
「はい、いつもお世話になっております。少々お待ち頂けます?」
流石に私用電話を堂々とデスクで行うだけの権限は持ち合わせていない。電話の向こうで「は?何言ってんの、確かにお世話してるけど改まられるとキモイんだけど」という声が聞こえるが聞かなかったことにしてそっと外に出た。
「なんでこの番号知ってるんだよ」
「え?妹ちゃんがあんたの携帯が通じないって言ったら快く教えてくれたけど。ていうかなんであんた私には教えないくせに妹ちゃんには仕事用の携帯の番号まで教えてんの、キモい」
「家族だからに決まってんだろ、というかお前はなんで俺の妹の携帯番号を知ってるんだ?」
「前に聞いたらふつーに教えてくれましたケド」
「もう二度と連絡するな。それで、何の用だよ」
「だからあんたの母親を迎えに「嫌だ。ちなみにそれ妹には言ってないだろうな」
「行ってないけど何で?妹ちゃん車の免許持ってないから迎に来れないじゃん。それとも何、免許取ったの?」
「取ってないし取らせる予定もない」
「じゃあやっぱりあんたに言うしかないじゃん」
「仕事中なんだからそんな僕が絶対しないことで電話かけてくるな、もう切るぞ」
「あんたさ、気づいてないのかもしれないけど妹のことになると必死になりすぎ。シスコンも大概にしないと妹ちゃんに嫌われるよ、じゃあね」
切られた。僕のどこがシスコンだ、どこが。
またかけれこられると困るので着信拒否リストに入れ、また自分のデスクへと足を向ける。今度妹に言って妹の携帯も着信拒否させないといけないな。あいつは成長期の僕の妹にとって悪影響すぎる。隣のデスクの同期にどうかしたのか?と声とかけられるがまあちょっとな、と適当にお茶を濁しておく。まさか従姉妹から悪戯電話が入ったとは言えない。
定時一時間前までは必死に今日は早く仕事を終わらせて帰ろうと思っていたが今日に限って急ぎの案件は次々転がり込んでくるわ明後日の締切が今日に変更になるわ、わけの分からない事ばかり言い毎回打ち合わせの度に好き勝手に内容を変えてくれるはた迷惑なクライアントとの打ち合わせだわで、そんな予感は薄々していたがやはり定時には帰れそうにないので既に持ち帰れる分を持ち帰ってやるか同期に仕事を押し付けて帰るか諦めて妹の作ってくれるとても人間の食べ物とは思えない料理を食べるかの三択だ。結構本気で3だけは避けたい。
今までもお互いに仕事を任せ…というか押し付け合っているとなりのデスクの同期にそっと目配せをし、タバコ休憩に誘い出す。のろのろと喫煙所まで肩を並べて歩きながらいつもの他愛のない愚痴や軽口をこぼす。
「なあ、今日用事あるのか?ないなら頼めないか、明日生きて出社してくるためにも俺は妹の料理を口にしたくない」
「ああ、例の真っ黒卵の妹ちゃん?どうした、妹ちゃんが飯作らないといけない理由でもあるのか?」
なんだその真っ黒卵の妹ちゃんって、もうちょっと何かした付けるあだ名はあっただろうが。
「まあ色々あってな、妹より先に帰れなきゃ俺は明日出社出来るかも危うい」
「じゃあ社食二食分で手を打とう」
「助かる」
「その色々って結構続くのか?」
「さあな、いつもなら一週間くらい続くが今回はどうだろうな」
「げ、今日だけじゃないのかよ!その代わり今度俺がデートの時は頼むぞ」
「何、お前別れたって言ってなかったか?」
「こないだ合コンで新しい出逢いがあってな、何とFカップだぞ!!」
下卑た笑いを浮かべながら両手を胸に当てるその仕草はまるでおっさんだ。とても俺と同い年の27には見えない。
「お前女遊びもいい加減にしないとそのうち女に刺されるぞ」
「うるせー、お前こそいい加減に妹離れしないと彼女の一人もできないぞ」
「いいんだよ、別に。今は仕事が彼女だからな」
「寂しいやつめ、とりあえず俺がもらう分の仕事の引継ぎだけは頼むわ、何していいかわかんねえと仕事もらえないしな」
「了解」


















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