BL
大好きだ、愛しているよ、なんてくだらない戯言だろうか。
俺はいつだってこれといった意味ももたずそんな言葉を口にする。傍らに置いた携帯電話が静かに点滅し、名前も忘れてしまった女からの着信を告げた。
なんだか気が乗らないので今は捨て置く、が後々責められるのだろう。面倒なことだが仕方ないのだろう。第一俺はそれ以外の生き方を知らない。これは仕方のないことなのだ、と自らを言い聞かせ、携帯電話を取る。今から逢えないか、とただ一言のためにごてごてと彩られた文字に目眩がする。今から家に迎えに行く、とだけ返事めいたものを返して今返事を送った女の住所を確かめる。記憶では今いる場所から歩いていける距離だったはずなのだがもう数が多すぎて正確に覚えきれていないのが現状だ。知人のひとりは俺をふしだらだと責めた。またもうひとりは俺に女を分けろと言った。今となってはどうでもいい話である。
俺が生きているのは虚構の世界で、本当の世界はとっくの昔にほろんでしまっているのだ。俺は世界の終りに気づいていながら見て見ぬふりをする。残酷な現実よりも一時の快楽に身を任せてしまったほうが楽だから。ふとすれ違う人ごみに目をやる。女は我先にと競うように流行を探し、細いのだか太いのだかわからない足を路上に投げ出す。醜いものを人の前に堂々とさらすことの愚かしさを知らないようだ。そのなかに際立つ白さで俺を魅了する横顔が通り過ぎる。脳内でのスケジュールが即座に書き換えられもう名前すらあやふやな女との約束は紐とかれ宙にきえた。さりげなさを装いながらも確実に近づいてゆく。ちょうど信号のところで顔をのぞけばそれは女ではなく男だった。だが何故か俺はそれでもいいと思った。
いつも女にするように話しかけてみたが名も知らぬ男はただただ沈黙を守るばかりで聞こえているはずなのにも関わらずうんともすんとも言わない。ひたすらに眉の間の溝を深めるばかりである。その反応が面白くて仕方なかった。今までは声を掛けて無視される事などなかったし、それどころか向こうから声をかけてくることだってあった。もちろんその中に男はひとりもいなかったが。基本的に同性を性的、恋愛的な目線で見ないのが世間一般の常識とやらで人類の当たり前なのだ。
それでも俺はめげずに声を掛け続ける。これで返ってきた声が予想外に野太いものだったなら俺はその時点でその通りすがりの男に対しての興味を失っていたのだろうが、一言だけ何か用?と返ってきた声は俺の予想通り美しく繊細だった。タール色の空に浮かんだ小鳥のような声でその男は囀るのだ。
「俺は二階堂 悠(にかいどう ゆう)、悠って呼んでくれれば良いから。あんたの名前、教えて。できればついでにアドレスも」
「嫌だ。」
「名字だけでもいいんだ」
甘い、声。この男はまったく俺を魅了して離さない。
「…軒下(のきした)。」
「軒下?そう、軒下か。」
「あぁ、もういいだろう。僕だって暇じゃないんだ、遊び相手が欲しいなら他をあたってくれ」
「じゃあ最後にひとつだけ教えてよ」
「ひとつだけなら」
信号が青に変わり、軽快な音楽とともに人々が一斉に車道に踏み出す。それは軒下も同じで俺ももちろんそれに倣った。冷たい声に冷たい態度、普段ならそんな人間に興味などないというのにこの男に限っては何故か興味が尽きない。
軒下に聞きたい事はそれこそ山程あるのだが今聞かなくても平気な事ばかりなのでひとまず保留だ。今必要なものは連絡先だけだ、名前…は本当なら知りたいが自分からひとつと言った以上これも保留にしなければならない。
「アドレス。アドレス教えて」
軒下はあからさまに嫌そうな顔をした。それがなんだか面白くて仕方なくて、普段と違うというのはこれほどまでに新鮮で楽しいものだったのだろうか。軒下はこれみよがしに溜息をついていたが見えないふりをしておく。暫く悩んだような素振りのまま動こうとしない軒下にもう一度催促の言葉をかけようとしたが軒下のほうが一瞬早く動いた。綺麗な指先がペンを走らせる光景に夢中になっていると一枚のメモをぐいを無理矢理に押しつけられる。メモを見てみればそこにはパソコン向けのサブアドレスがのっていた。
まさかサブアドレスを渡されるなどとは思っても見なかったがこれはこれで面白い(もちろんアドレスごと切り捨てられる、という可能性を除けば、だ)
「メール、変なのじゃなければ送ってきたらちゃんと返すから」
「携帯のアドレスは教えてくんないの?」
「ちゃんと携帯からメール送ってきたら教えてやっても良い。僕ほんとに急いでるから行くよ、じゃあね」
軒下は地下道へと姿を消した。追いかけようとは思えなかった、それはきっと俺が自身で連絡先を聞き出せただけで満足だったからだ。自分でいうのもなんだが、酷い時には出会って一時間後にはベッドに沈み、快楽に身を委ねているような、普段は女ばかり相手にして安っぽい嘘の愛ばかり語っているようなろくでなしが、今日に限って男が気になってしかもサブアドレスまでしか教えてもらえなかったというのに、だ。
自分でさえまったく理解できない事を考えても仕方がない。おそらく直ぐには返事は返って来ないだろうがとりあえず携帯に先程教えてもらったアドレスを登録し、メールを打った。送信が終わるとほぼ同時に存在さえ忘れていたような女から遅いといった意味のまた目に痛いメール。もう今日はどうでもよくなり返事は返さないまま、その女からメールがこないようにして更に着信拒否をかけた。これで暫くは五月蠅い妙に甲高く、キンキンと耳に痛い声を聞かなくてすむのだと思うとほっとした。
さてどうしようか、今から適当な女をわざわざ探す気分にはなれないし、だからといってやる事もない。ここからなら自宅よりも実家の方が近いのだが父親と喧嘩して家をでてきた以上、易々と帰るにはちっぽけなプライドが邪魔をする。
軒下の辿った道を追うように地下道に降りて一番近い駅から自宅の最寄駅までの切符を買った。もう今日は軒下以外と話をしたくなかった。自宅に帰ってしまえば女からの連絡もマシになるだろう、何故ならこれまでに関係を持ってきた女には携帯の番号しか教えていないからだ(酷いところでいうとサブアドレスしか教えていないような女もいる)
駅から自宅までの道のりにあるコンビニで弁当と緑茶を買った。店員の嘘臭い笑顔に見送られながら帰路につく。鍵を差し込み、指紋認証システムと暗号鍵システムをクリアして家の中に入った。防犯面では安全なのかもしれないがいい加減面倒なシステムにも飽きた、そろそろ引っ越すべきかもしれないがそれすらめんどくさい。
壁に貼り付けてあるスケジュールを確認してみれば納期が一週間後に迫った仕事があったのでひとまず仕事机にむかい適当にデザインを書き留めていくものの中々思うようなものが掴めない。苛々して手近にある紙を全てくしゃくしゃにしてゴミ箱に放り込む。今日はもうやめだ、寝よう。
マナーモードにしてある携帯が机の上でうるさく鳴った。今度は何処のどいつだと携帯を覗きこんだ。名前も思い出せぬ女からのメールにまた苛々して拒否リストに追加してからメールを消去した。本来ならば女のアドレスを全て消してアドレス帳に乗っていないアドレスからのメールの受信は拒否したい所だが今それをしてしまうと肝心の待ち人からのメールも弾いてしまう恐れがある。本来ならばアドレス帳にのっている女全員のアドレスを拒否リストに追加してしまえばいいのだろうが、それには些か時間がかかりすぎる。300をゆうに越える女のアドレスをひとつづつ弾くだけの気力はないしまたそこまでする義理もない。
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