男と女









「ねぇ、君は。」
彼女は言った。
いや、今僕の目の前にいる彼女の名前は彼女ではなく他に名前があるのだろうが僕はまだそれを知らない。
そしてそれを知る術さえも僕にはないというのだ。
まったく、実に笑える話だ。
「本当に愛と言う物を知っているの?」
「知らないさ。何も知らない。ブランク(空白)だからね。あぁ、可哀想・何て憐れみはいらないよ?僕にはそのブランクの名に恥じないほどにすっぽり感情だとかそういう類いのモノが抜け落ちているからね。」
彼女の生まれつきだろう色素の薄い顔に影が落とされもともと良く見えない顔色がさらに悪くなる。
僕の言っている事はそんなにも彼女の気分を急降下させるような事だったのだろうか?
もしそうなのだとしたら謝る・という行為が必要なはずだ。
「ごめんなさい。」
僕が頭を下げて謝ると彼女は訳が分からない・といったように大きく真っ黒な瞳を焦りで濁した。
それから自らで自身を落ち着ける為(そうでなければ酸素が足りないのか)にひとつ深呼吸。
それを数回繰り返してようやく落ち着いたのだろう、彼女がようやく口を開いた。
「どうして謝るの?」
彼女の細首がきっかり30度曲げられた。
もちろん30度などは計ったわけではないので必ずあっている・とは言いがたいがそれなりに間違ってはいないだろう。
「それは貴方が、…(悲しそうな顔をしたから)」
ばん!
火薬のはぜる音。
彼女は。
彼女は崩れ落ちた。
がくりと膝を突いて僕に何かを告げたいのだろうか、真っ赤な口唇が歪む。
(愛を知らない可哀想な"アフェリア"貴方はいつか…)
かすか、動いていた口唇さえも止まった。
もう心臓も動いていないのだろう。そう思うと身体いっぱいに氷を詰められた気分になった。
凍えて固まっていく。溶ける・などそのような生暖かい熱も持たず、火傷・のように傷を付けるのではなく肉を抉るそれ。
その痛みだけが僕を生かす。
部屋にはいって来た数人の男達に目をやると皆、一様に真っ黒に黒光りするサングラスに真っ黒なスーツ上から下まで完全に黒い。
ここまでいくと一層清々しい気もするが夕刻時に外に出れば職務質問に合う事だけは確実だろう。
その男の手にはまだ硝煙のたちのぼる一丁の拳銃。
常識人の僕としてはテレビの中でしか見たことのない代物だが別に実際に見たいなどと思ったことなどなかった。むしろ実際にお目にかかりたくなどなかった。
単純な人殺しのためだけの道具など。
「持って行け。」
どれが言ったのかは分からないが男の中の誰かが言った。
ある一人の男を除くすべての黒がこちらへと進む。
似ても似つかないというのにどこかおもちゃの兵隊を思い浮かべた。
どこか共通点を見つけろ、といわれれば銃を持っていることぐらいだ。
男達が些か乱暴に彼女を持ち上げどこかへと運んで行った。
この真っ白な牢獄の向こう側だ。
もはやただの肉塊と化してしまった彼女は彼らを恨んでいたのだろうか?
僕にはどうもそうは思えないのだ。
きっと彼女はいつ死んでも良かったのだ。そうでなければこんなところになどにいるはずもない。
こんな白で覆いつくされた『気持ちの悪い』場所なんかに。
何せここで作っているのは人間なのだ。
人体を製作するのではなく、
精神だけを構築するのではなく、
その両方を併せ持ち、泣いて笑い怒り悲しみ喜び愛し愛され従順で反抗的で何も感じずすべてを感じる。
そんな気持ちの悪いものを作ろうとしているのだ。
ある人は『あんな気持ちの悪いものを愛せる存在はそれだけで破滅している』と言ったし、ある人は『あれは私の小天使だ。あれなしでは私はもう生きてはいけない』とも言った。(僕はどちらかと言うと前者の意見に賛成だ。)
だから
こんな
気持ちの悪い
僕は
いらないのだ。
僕は彼女になりたかった。僕は彼になりたかった。僕はあれになりたかった。僕はそれになりたかった。僕は動物になりたかった。僕は妹になりたかった。僕は姉になりたかった。僕は弟になりたかった。僕は兄になりたかった。僕は時間になりたかった。僕は感情になりたかった。僕は。
僕は、何になりたかったのだろう?
彼女が息を引き取ってから数日がたった。
僕の頭の中ではもうだいぶんとどうでもいい位置に整理された出来事ではあるが。
この施設で人が死ぬ事はそう珍しいことなどではない。
否、死ぬのは人ではない。失敗作だ。
死ぬといっても特定の人間(研究員は人形と読んでいる)だけに効くウイルスのようなものを打ち込むだけで本物の銃弾である必要性など微塵も無い。(手続きが面倒だ・というのが本当のところなのだろう。)
ウイルスを打ち込まれた人形(ここではあえて人間と区別するため人形と言おう)はどうなるのかと言うとすっと眠るように死ぬのだそうだ。実際に目で見たことはないのでどんな死に方をするのかははっきりと分からないが少なくとも苦しくはなさそうだ。
ただ人体には無害のようで人形だけに影響を及ぼす。
途端、ドアがギィ・と音を立てて開いた。
そこには。
そこには、彼女がいた。
僕の目の前でまるでこれから眠りにつくように死んでいったあの彼女だ。
「嘘・だ。」
だって彼女は。
彼女は死んでしまったのだから。
「ねぇ、君は。本当に愛と言う物を知っているの?」
あぁ、これは(悪夢か)


もっと残酷な死に方がある(たとえばきみと(心中)とか)

















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