死にたがりの女の子









中学一年生の時、軽い気持ちで死のうと思った。クラスの子があまりに死にたい死にたいといっていたので死ぬということとはそんなに楽しいのかと思い、家のベランダから飛び下りた。(うちは一般家庭と同じく中古の2階建てに主に基本的とされる4人家族である。だがしかし犬を一匹飼っているので5人家族というのが正しいのかも知れぬ。)結果、私は死ねなかった。だからこうして惨めたらしく生を保ち、今こうして筆を取っているのである。これはいわゆる遺書といわれるものである お前などという勝手な人間のことなど知るか、勝手にのたれ死ね!というか たはここで読むのをやめてくださって構わない。なんと言っても私は常々人に迷惑をかけることを何よりも疎ましく感じているのだ。人に迷惑をかけてまで生きながらえることの卑しさを私は知っているのだ。もしも、仮の話だが例の私の言った人の卑しさを知っていて尚、生きながらえる人間がいたとしたならその人は生きている べきでない。今すぐ死ぬべきだ!むしろ私が自ら殺してくれようぞ!
嗚呼、話がそれてしまった。私はそんな話がしたいのではない。私が死のうと思いその結果こうして生きながらえてはいるがそれまでにどんな努力をしたのかといろんな方への謝罪を書き残しておこうかと思ったのだ。努力のほうは私の勝手な自己満足ではあるがもしよろしければ見ておいてほしい。だがしかし読む読ま ないはあなたの自由である。まず努力のほうを話そう。先に謝罪をしてしまい、しんみりしてしまってはまず私自身がどうしようもなくなってしまう。せっかく死ぬと決めた私の決意が鈍ってしまうかもや知れぬ。
そう、努力の話だ。中学一年生、私は一生懸命に勉学に励んだ 頭が悪ければ人に馬鹿にされるが頭がよければ人に馬鹿にされる事はないだろうと思った。とんだかんちがいだった。、人は少しでも違うものを疎ましがり、少しでも違うものを嫌うのだ!残念ながら私はその少しでも違うものに当てはまった模様でクラス から敬遠された。だがしかしあの人たちは何一つ悪くなどないのだ!悪いのは常にみんなと同じであろうとしなかった私そのものであり自我を貫いた私なのだ。今のこのご時勢、個性が大切だなどとおっしゃられる方もさぞかし多いだろうが、そのあなたの考えこそが差別なのだ この平等社会の平等でなさを見よ!人と人でさえも 平等でなければ犬と犬とでさえも平等でない同じ形をした林檎でさえ平等でないのだ。腐敗している、この世界は今穏やかに自殺をしながら悪臭を放ち、人々の嗅覚を狂わせてそれをいいことにさらに速度を増して腐っていくのだ。中学二年生、わたしはこんどは極力目立つ行為を控え、なるべくみんなと同じように過ごそうとした 。そのために特に見たくもないテレビも見たし特に吸いたくもない煙草も吸った。まず結果だけいおう、無理だった。所詮私にはみんなと同じように振舞うことなどできなかったのだ、これはこれで仕方ないのではないかとは思った。ある子が言った。あなたはあまりに同じすぎて気持ちが悪い!そうであろうそうであろう、私はも ともとどこかおかしくなってしまっているのだ。イっちゃってしまっているのだ。そんな簡単なことくらい自分で自覚している、あなたごとき存在に言われずともわかっているのだ。私は人に言われるまで自分のおかしさを自覚できないまでに下劣な人間ではない。だからといってどうすることもできやしないのである。そもそもの ところ自覚までしていてそれを改善する方法を知っているのならとっくの昔に実践している。むしろこちらから教えを請いたいくらいの心境である。だがしかし私は知っているのだ、答えなど乞うたとしてもこの世界中のどこを探してもそんな答えなど見つかったりしないしまた誰かが教えなれるはずもないのだ。なぜなら人類はま だその答えを知らないのだ。中学三年生、私はとうとう本格的に苛められた。毎日学校に行けば行ったで机はとんでもないことになっている(例としてあげるなら机の中にしまっておいたノートが前衛芸術品みたいな有様になっているだとか机の上に菊の花がさも美しく魅せて飾られてあるとかそんなベタベタなものだ。)わクラス 中の全員が口をきいてくれないわでいろいろあったのである。(何よりもこの事態に困惑していたのは担任だったようにさえ思う。私はそのクラス全体の行為に何の疑問も感じなかったしむしろそれが当たり前のことだとさえ思っていたからだ。余談として言っておくと私がこれを異常なんだと初めて知ったのは高校三年生のときで ある。)まさしくよく少し古めのドラマなんかでよく見かける典型的ないじめだ。いいや、あんなものいじめと呼ぶにもおこがましい!あんなものはただの悪戯でしかない!これを読んでいる人の中には今の行為を酷いことのように感じる優しさに満ち満ちている人もいらっしゃることだろうが、それは違う。いじめなんて所詮して いる本人とされている当人だけの問題であるから第三者であるあなたに微塵の関係性もなければ些細な共通点すらもないのである。関係性がないのと関係がないのとではそれはそれは天と地ほども違うことである!かんがえてもみるといい。私に関係があればあなたは第三者であると胸を張って言うこともできるが、私と関係性があ るくらいでは赤の他人というにも疎ましいくらいなのだ!
赤の他人ですらない、ただの不特定多数の人物だ。見知らぬ、街で会うことすらない、何もしらない、知ろうともしない、ただの、人間。そんなわけであるからして私は何の関係性もない貴方様に心配していただくほど落ちぶれた人間では、ない。嗚呼、また話がそれてしまった。私はいつもこうなのだ、話の途中にくだ らない話をして道を違わせ、本の話を見失う。よし、これからは極力気をつけて話を行うこととしよう。わたしは高等学校に入学した。皆が私を知らない環境で新しくリセットしてやり直そうと思ったのだ。それのためには私はまた勉学に励まなければならばなかった、中途半端に偏差値のいいところでは誰かがいるし、かといって 変に偏差値の低いところには知り合い(というにはクラスの人たちに失礼かもしれないが私はあの人達の事をそれ以外の言葉でいうと赤の他人としか形容できない)がいた。






日記はここで途切れている。




















.