上鳴
恋はチョコに似ている



バレンタインのお話。
いつものことながら峰田くんの扱いがアレです。ご了承ください。
本編の設定を使用していますが切り離してお読みください。






『なあ、西岐。今度のバレンタインの朝に下駄箱のとこで俺にチョコくれね?』

 寮のソファースペースで寛いでいるさなか、突拍子もなく言い放ったのは峰田だ。
 目の前のテレビでバレンタイン特集が流れていて、『ウマそー』とか『リア充乙』とか言いながら談笑していたわけだからさほど脈絡がないわけでもないが、その場にいる全員が男という状況でのこの台詞。誰かがコーヒーか何かを飲み損ねて咽ている。
 言われた本人はというと、ぼけーっとテレビを眺めながらクッキーをもぐもぐしていて聞いていなかったらしく、峰田は声のボリュームを上げて綺麗に言い直した。

「え……あ、……チョコ?」

 すっかりその場の視線が自分に向いていることにようやく気付いて、長い前髪の奥の目がぱちぱちと瞬いている。それでもクッキーを口に運ぶ手が止まらないあたりが西岐らしい。

「チョコあげたらいいの?」
「下駄箱のとこでな」
「……いいけど」

 疑問に思いつつもあっさり請け負ってしまう西岐に上鳴の表情がなんともいえない苦々しいものになった。

「なんで下駄箱だよ」

 西岐の代わりに疑問を投げるのは瀬呂だ。
 念を押された『下駄箱』なるワードは誰もが気になる。

「登校中で混み合う下駄箱近辺で西岐からチョコ貰ってたら、『あれ? もしかして峰田くんモテる人? 私もチョコあげてみようかしら』ってなるかもしれねえだろ?」
「……いや、ならねえと思う」

 自分の発言にどうしてか自信満々な峰田へ砂藤がすかさずツッコミを入れる。
 純粋な気持ちで西岐からのチョコを欲しがっているわけではないだろうとは予測していたがそこまで邪な考えだったとは……。少々頭痛がしてくる。
 しかも、これだけはっきり目の前で邪悪な目論見を聞かされていても『やっぱりあげない』とはならない西岐も西岐だ。何なら峰田の言っていることが未だに理解しきれていない可能性すらある。

「西岐が峰田のこと好きって勘違いが広まるかもしれないよ?」

 上鳴と同じ懸念を抱いたらしい。尾白がぽやんとしてる西岐に忠告してくれる。さすが尾白だ。
 だというのに西岐の表情はイチミリも変わらず、首が右に少し傾いた。

「ん、いいけど?」

 語尾についた疑問符に上鳴は『ああ……』と小さな嘆きの声とともに額を押さえたのだった。





 バレンタインがあと数日後に迫った週末。
 エレベーターが正面に見える位置を陣取って座っていた上鳴の視界に、案の定、いかにもこれから外出しますといった格好の西岐が下りてきた。すかさず横に置いていた上着を引っ掴んで玄関に向かった西岐を追いかける。

「……っ、れぇちゃん。待った待った。俺も、出掛ける用事あるからさ、一緒に、行かない?」

 いくらなんでも苦しい誘い文句をつっかえつっかえ投げかけながら前へと回り込むと、前に進んでいた足が止まって数拍の沈黙。
 長い前髪が邪魔して表情が読めない。
 嫌なのか、すぐ理解できなかったのかが分からない。
 でも上鳴は知っている。基本的に彼は人の誘いを断れない質だ。

「ん、ん、いいよ」

 やはり、快く頷いて上鳴が扉を開けるのを素直に待った。





 向かったのは幾つかの路線が乗り入れるターミナル駅。利用する人が多いこともあって駅構内も広大で駅から直接つながった商業ビルがいくつも並んでいたりする。
 人混みが苦手な西岐が人に揉まれてあっちこっちに流されかけているのを捕まえては、行きたいであろう方面に誘導する。本当ならここでさりげなさを装ってササッと手を繋いだりなんかしたらいいのだろうけれど、その勇気は出なかった。その代わり、ちょっと大きめな声で話しかけては周囲の人混みに『自分たちは連れ合いですよ、間を割って歩かないでくださいよ』アピールをしつつ歩いた。
 どうにか無事辿り着いた『バレンタイン特設会場』なるフロア。

「……まじか」

 目的地に着いた達成感など一秒も保たなかった。
 そのフロアは駅構内の人混みよりはるかに混み合っているのだ。女子高生から会社勤めらしき女性からおばさま方まであらゆる年齢の女性が広い会場にビッシリ。
 しかし、西岐はふんっと軽く気合いを入れてその人混みの中へと躊躇いなく飛び込んでいった。
 鞄に押され、足を踏まれ。
 進むのも、立ち止まってじっくり検討するのもなかなか骨が折れる。
 チョコなんてスーパーかコンビニで売ってるやつでいいじゃないかという、この場の女性に往復ビンタされそうな考えが浮かんだ。ショーケースを覗き込む横顔がやたらと真剣で、相手が峰田だと思うと余計に考えが拗れる。
 けれど、『俺にもちょうだい』という一言、たったそれだけのことが喉につっかえて出てこなかった。

 上鳴が鬱々としている間に気に入ったチョコを見つけ購入したらしい。いつの間にか手に小さな紙袋がぶら下がっている。

「でんきくんは? どこに行く用事なの?」

 目的を終えてすっきりした様子で問いかけてくる西岐に、上鳴はうっかり『え?』と聞き返しそうになり、咳払いで誤魔化す。

「ヴ……ヴィレヴァン行こうと思って」

 この巨大ターミナル駅に来るだけの理由を引っ張り出すまでの所要時間およそ三秒。快挙だ。
 いや、そもそもなんで考えていなかったんだという話だが。
 上鳴の微かな挙動不審さなんて西岐が気付くはずもなくどこにあるのかと続けて問いかけてくる。自分の目的とは関係がなくても、興味がなくても、少し疲れていてもノーとは言わない。それが西岐のいいところで、けれど、誰にでもそうなのだと思うと少し胸がきゅっとする。

 エスカレーターを下って駅を通過して別のビルに移動してまたエレベーター。
 会話が途切れてしまったのを気にしてなのか西岐の方から身を寄せてきてチラッと見上げてくるのが分かった。

「でんきくんと出掛けるの、あんまりないね」

 頑張って話そうとしている。
 少しねじれていた感情がほぐされて、エレベーターの一段上から笑みをこぼす。

「なんかみんなついてきちゃうよな」
「うん、えいじろくんとかがみんなで行こうぜってなる」
「あれはあれで面白いからいいんだけど」
「うん」

 いつもの軽い調子に戻ったことにホッとしてか西岐の表情が和らいだ。見上げる形でさらりと前髪が横に流れ、上向きの瞳が上鳴を映す。
 隠されている西岐の瞳が時々こうして見えるたびに心臓が音を立てる。
 その上、コートを着たまま人混みの中をあちこち歩きまわっていたせいか西岐の頬が赤くなっていて、可愛いなんて言葉で片付けられない衝撃的な絵面が上鳴にだけ向けられている。上鳴だけを見ている。
 滅多にない二人きりでのお出掛け。
 うっかり血迷った。

「れぇちゃん、手、つなご。はぐれるから」

 タイミングが最高に可笑しいのだが血迷っているから分からない。
 はぐれる心配のないエスカレータの真っただ中で片手を差し出すと素直に握り返される。細い手が自分の手の中に納まって、ぎゅっと握り返してくる感触にくらりと眩暈がする。
 心なしか西岐が嬉しそうに微笑んでいるようにさえ見えてくる。

 所狭しと物が並んだ店内を手を繋いで身を寄せるようにして見て回る。こんなのもうカップルだ。どう考えてもいい雰囲気にしか思えない。
 これが面白いとかあれ可愛いとか言いながら覗き込もうとすると肩がぎゅうっと寄って西岐の柔らかな頬が触れそうな距離にまで近づいた。
 そもそも血迷っているさなか。
 手を繋いで、身を寄せて、頬が近くて、近いのにもっと近づいてくるから、これ以上なく血迷うしかなくて。

「――……」

 気づいたら想像以上の魅惑的な柔らかさと接触していた。
 見た目の印象を裏切るひんやりとした冷たさ。
 触れるだけでは飽き足らず、あろうことか唇で、はむっと挟んでしまった。
 至近距離で西岐の両目が大きく見開いていて、次の瞬間、バッと頬を押さえて離れた。

 赤かった頬がもっと赤くなって、今触れたならもうちょっと暖かいのではないだろうかと悠長に考えていたりして、思考がどうかしている。

「俺も、れぇちゃんのチョコが欲しいなって、思っていまして」

 自分がどんな顔をしているかよく分からないけど、これまでの葛藤が嘘のように随分軽やかに本音が転がり落ちたものだ。
 ぐいっと西岐の手で押される。
 拒絶かなと思っているとその手に紙袋がぶら下がっていて、ぐいぐいと紙袋を押し付けられている。

「でんきくんのだよ」

 予想もしなかった台詞。
 挑むような目つきで見上げてくる西岐。

「………………え?」

 史上最間抜けな顔で聞き返した。

「お、俺の? え? 俺のって? え?」

 青天の霹靂。
 驚天動地。
 馬鹿みたいに疑問符を繰り出して頭をペタペタと押さえて、また混乱する。

「え? 峰田は? それ、峰田のじゃないの?」
「…………みねたくん?」

 帰ってきた疑問符付きの返事。混乱のど真ん中ありながらも『あ、峰田は完全に忘れられてやがる』と早々察した。
 今までの苦悩は何だったんだ。

「俺も、でんきくんにチョコあげたいって、思っていまして」

 西岐は挑む表情のまま、さっきの上鳴の台詞をそっくりに返した。
 押し付けてくる両手ごと受けとって、胸に押し当てると、今までになく胸がきゅううっと締め付けられる。切なく、愛おしい痛みだ。
 きゅうっ、ぎゅうっと胸が痛くて、情けないほど顔がくしゃくしゃになってしまう。

「やばいな…………泣きそ」

 一個しか買わなかったし、目の前で約束していたし、絶対ないと思っていたし。
 いや……。
 そうじゃなかったとしても泣く。

「すげえ嬉しい」

 西岐の袖が目じりをぽんぽんと撫でる。
 滲んでいた水分が拭われて、どうしてかその分が目の前の瞳を潤わせる。

「もう、ほんと可愛いから、れぇちゃん」

 締め付けられた胸から零れ落ちた愛おしさが、声に乗って甘く響く。
 そっとすり寄せた頬はほんの少し熱かった。





 そしてバレンタイン当日。
 ヴィレヴァンで買ったビッグアポロを上鳴から峰田に贈り、あの日ソファー周辺にいたA組連中をざわつかせたとかしなかったとか。
create 2019/02/14
update 2019/02/14