天喰
すがら1日1アンケの結果により『教師夢主と天喰くん』のお話を書きました。
本編の設定を使用していますが切り離してお読みください。
ヒーロー名、サイキッカー。
長い前髪とマスクで顔を隠しマスコミに出ることもない、イレイザーヘッドに並ぶアングラ系ヒーロー。
活動はあまり頻繁ではないが、有事の際にはいつの間にか表れて冷静に淡々と救助や戦闘を行って帰っていく、という"噂"があるだけで、ある種の都市伝説のように思われていた存在だが、その彼が今、天喰を含めたクラスメイト達の前に佇んでいた。
「えー……と、えっと、……はい、ヒーロー基礎学、はじめます」
赴任した早々、三年生の授業を受け持つということは相当優秀なヒーローなのだろうが、妙におどおどした様子。力の入っていないようなふにゃふにゃした話し方は洗練されたイメージとは程遠い。
自己紹介によれば西岐れぇという名前なのだそうだ。
本名を名乗っていない教師もいる中であっさり本名を晒したということは別にプライベートを秘密にするつもりはないのかもしれない。
「初日なので、あの、全員で俺……私を捕まえてみてください。私が捕まれば私の負け。その前に私が君たちを全員捕まえれば私の勝ち、です」
とはいえ、おどおどしていても実力者の自覚はあるらしい。
話し方とは相反して提示された授業内容はかなり挑発的な内容で、クラスメイト達がいきり立つ。雄英で学んで三年目、基礎学もインターンでの実戦も相当積んできた自負のある者たちだ。一人対クラス全員と言い放たれてプライドが揺さぶられないわけがない。
その中で唯一、弱小メンタルの天喰だけは、初対面のプロヒーローが相手という状況のせいで緊張の方が上回った。
とにかく帰りたい。ゲシュタルトが崩壊しそうなくらい『帰りたい』だけが頭を埋め尽くしている。
天喰が思考をぐるぐるさせている間に、西岐はハンデの超圧縮重りを手足首に装着して、パッと小さく口で発するなり姿を消した。
捕まえたという証明のハンドカフスはクラス全員が持たされている。
つまり西岐は体重半分の重りをつけて人数分のハンドカフスをぶら下げて生徒全員を捕まえる自信があるということだ。
「……恐ろしい」
そういう自信に満ち満ちた人間が苦手だ。
眩しすぎて自分の駄目さ加減が浮き彫りになる気がする。
ただ、これは授業で。しかも新任の教師に甘く見られた上に試されていて。ここで頑張らなければ自分だけでなくクラスメイトも、通形も駄目だと思われてしまうわけで……それは駄目だ。
へっぴり腰になりかけていた気持ちを奮い起こす。
そして開始の合図を待った。
数分後。
クラスメイト全員が打ちひしがれていた。
あの通形も含めてだ。
これほどの敗北感を味わったのは初めてかもしれない。
西岐は言い放った通り、たった数分で本当に全員を捕まえてしまったのだ。
天喰は地の底へと落ち込んだ。あれだけ気持ちを奮い立たせたというのに個性のこの字も出せないうちに身体が痺れて動かせなくなり、気付いた時にはカフスが掛けられていたのだ。落ち込まない方が可笑しい。
"瞬間移動"に"動けなくする個性"。とんだチートっぷりに未熟なヒーロー見習いなど手も足も出なかった。
なんだこの人は、全力で生徒の鼻を手折りに来たのか。
頂も見えない高すぎる壁。
さすがにプルスウルトラできそうにない。
こうして新学年新学期早々、越えられない壁を突きつけられたのが西岐とのファーストコンタクト。
掴みどころのなさと容赦なさ。
天喰は苦手な人だとしっかり心にインプットしていた。
その第一印象が覆ることなく日々が過ぎ、雄英体育祭も終え、中間テストを控えたある日のこと。
いつものようにコスチュームに着替え指示された演習場に向かうと、そこには西岐ではなく担任のスナイプの姿が。
「西岐は諸事情でしばらく休むことになった」
スナイプから突然そう告げられてクラス中がざわめく。
天喰は苦手だと思っている西岐だが、どういうわけかこの一か月だけで西岐の人気はうなぎのぼりになっていた。三年以外の学年の授業も時折受け持っているらしく、クラスメイト達だけでなく学校中に好かれているのだそうだ。波動が言うには一年の体育祭にオールマイトと共に登場して相当盛り上がり、その時の動画がネット上で再生数を伸ばし話題になっているとかいないとか。あまりにしつこく言うものだから天喰もつい見てしまったのだ。表彰台で西岐にハグされてデレッデレになっている一年生三人を。
顔のほとんどを隠しているせいもあって外見から得るクールでミステリアスな印象と、実際に接して分かる柔らかい物腰、からの強すぎる実力と容赦ない授業内容。それらのギャップが人気の理由らしい。
それほどの人気者に対して苦手意識を持っていると、苦手に思っていること自体に罪悪感が沸いて、更に心の距離が開いて、……いたのだが。
いると思っていたのにいないというのは、拍子抜けしてしまう。
「れぇちゃん先生お休みなの? ねぇねぇ諸事情ってなあに? 用事? 風邪? ヒーロー活動なの?」
疑問でも興味でも頭に浮かんだものは何でもすぐ口に出してしまう波動が、スナイプを質面攻めにしている。今回に限ってはクラスメイト全員の疑問を代弁していたらしく、全員の視線が回答を期待してスナイプに向けられていた。
「……諸事情だ」
スナイプからの返答は疑問への返答にはなっておらず、最初の言葉をただ繰り返しただけ。
そのことでクラスメイト達はすぐに察した。
欠勤理由を濁すというのはつまり、現在進行形で諜報活動中なのだろう。
西岐の個性や特性を考えれば彼の活動が隠密な諜報を主としていることくらい、雄英ヒーロー科三年ならばすぐ飲み込める。一般には噂程度でしか知られていないのはそのせいだということももう分かっていた。
「お前たち、そうガッカリするな。西岐の授業に見劣りしないよう今日も厳しくいく」
テンガロンハットに手をかけながら俯き加減になるスナイプ。そろそろクラスメイト達のざわざわが鬱陶しくなってきたらしい。
ハッと我に返る一同。
別に今までだってスナイプの授業が優しかったことなど一度もない。
"三年生仕様"になった授業に息を飲んで構えるクラスメイト達を横目に天喰は、理由の分からない吐息を吐いていた。
それから一週間経っても、二週間経っても西岐が教職に戻る気配はなく、制服が夏服に変わってそろそろ期末試験を迎えようという頃になっても、ヒーロー基礎学の授業は他の教員が交代で務めた。
こんなに学校を離れていて教師としていいのかと疑問に思うのだが、学校側が何も言わない以上黙認されているのだろう。
「環、ここのところ不機嫌だな」
天真爛漫そうな顔で通形が指摘してくる。
「不機嫌? 俺が?」
「あ、聞いて。れぇちゃん先生がいないからでしょ!? 先生がお休みしてからずっと不機嫌なの」
いかにも天然ですと言わんばかりの波動の声が天喰の言葉に被さってくる。
毒っ気のない二人がそう指摘するのだから不機嫌に見えるのだろう。大体天喰はいつでも上機嫌ではないし不機嫌だと勘違いされることも無きにしも非ずなのだが。波動の口から出た名前に眉が寄って口がへの字に曲がる。
「西岐先生? なんで」
「ねぇねぇ、私知ってるの天喰くん、聞きたい? 言ってい?」
「こういうのは自然に任せなきゃ」
「ぶーーー」
言いたくて仕方なさそうな波動を通形が制した。その物言いは通形も天喰の内心をよく理解していると言わんばかりで、当の本人が一番困惑してしまう。
「え……なに。怖いな、言ってよ。……え……ちょっと、待って待って、波動さん、ミリオ」
どうして言いかけたのにやめてしまうのか。
どうして二人揃ってスタスタと廊下を歩いて行ってしまうのか。
思い当ることが何もなくて、マイナス思考を育てることに関しては右に出る者のいない天喰の不安はどんどん膨らむ。
慌てて二人の背中を追いかけるが、教室に足を踏み入れていた二人の関心はもう天喰からクラスの雰囲気の方に移ってしまっていた。
昼食を終えた者たちが好き好きに過ごしているはずの教室。けれど今日はどうも様子が違った。何人かで固まって何かを覗き込んでは口々に何か喋っている。
波動が一番近くの集団の中に頭を突っ込んで何事かと問いかける。
「ネットのニュースなんだけど、れぇちゃん先生が……」
その言葉を聞いて身体が反射的に動いた。
波動の横から割り込んでクラスメイトが持っているスマホの向きを変えて覗き込む。
リアルタイムの映像ではなくニュースをキャプチャした動画のようで、勝手に画面を操作して最初に戻すと、機械的な坦々とした声がヒーローによる捕り物の報道を告げる。
違法薬物関連の犯罪組織を数名のヒーローによって壊滅させたという報道。
映し出された中継映像にオールマイトの姿もあって、怪我人を抱えて運んでいる。
「これ、れぇちゃん先生だよな?」
スマホの持ち主が横から手を伸ばして動画を停止させる。鮮明とは言い難い映像の中でオールマイトに抱えられているオレンジ色の髪の人物を指さした。
そんなこと、誰に言われなくても分かる。
「環っ?」
通形の声を後ろに聞きながら天喰は教室を飛び出していた。
廊下を走り、階段を駆け下りて、昇降口に続く少し薄暗い廊下まで来て急に速度が落ちた。
もうじき午後の授業が始まろうという時間。誰もいない一階の廊下は静かで天喰の足音だけがうるさく響いている。
どこに向かおうというのか。どうして走り出してしまったのか。自分でもよく分からなくて、勝手に動いた足に戸惑いながら惰性で数歩進んでゆっくり立ち止まる。
教室に戻らなくてはと思いながらも動けずにいると、背後で靴を履き替える音がした。聞こえてきたのは生徒用の昇降口ではなく教員用の玄関からで、もしやという思いで振り返った。
頭に思い描いた人物。
その彼を腕に抱えた見慣れぬほっそりした男。
雄英のセキュリティーの中、悠々と入ってきたということは関係者か。
器用な体重移動で西岐の身体を支えながら靴を下駄箱にしまい、ふと視線に気づいてか天喰の方に顔を向けて動きを止めた。
「あれ、授業……」
男が腕時計で時間を確かめるのとチャイムが鳴り響くのはほぼ同時だった。
午後の授業が始まる。
ああ、あとでスナイプに怒られてしまうと嘆く一方で、案外すっきり諦めきっている部分があった。
男に抱えられているのは西岐なのだから。
さっき動画で見た時はオールマイトに抱えられていたと思ったが、どういうわけか今は見知らぬ男に抱えられて両目を閉じている。ただ意識がないだけのようにも、安心して身を預けているようにも見える。普段から身に纏っているコスチュームはところどころ破損して傷付いた肌を露出させていて、額に貼りつけている大きなガーゼには赤黒いシミが滲んでいる。怪我のせいなのかマスクが外れていて、ガーゼによって前髪が避けられ伏せた睫毛が見えていた。
どこもかしこも天喰が知らない西岐の姿だ。
何かを言おうとして唾を飲み込む。
「あまじきくん。授業……出ないと」
睫毛が震えたと思ったらスッと開いて少しぼんやりと焦点のあっていない目が天喰を捉える。
元々起きていたのか、チャイムの音で目が覚めたか分からないような寝ぼけを纏った声が鼓膜に届く。
「怪我は大丈夫なんですか」
割とすんなり言葉が出ていた。
走り出してしまった時と似たような衝動かもしれない。
「うん、だいじょうぶなんだよ。怪我はぜんぜん大したことなくって、ただ疲れちゃって……なおせない…………ねむい」
言ってる端から西岐の声がとろとろと溶け始める。
「じゅぎょお、でてね」
そんな状況なのに再三授業について注意してくる西岐に天喰も疲れのようなものを感じた。
無事を確認できたし本人が平気だというし会話も成立したし、授業を丸ごとさぼってしまうのは流石にマズかろうと、天喰は二人に会釈して階段に向かう。
「――西岐ッ」
今度は聞き覚えのある声が通り過ぎていく。その切羽詰まった声が天喰の心の何かを引き付けて振り返らせてしまう。
だが振り返らなければよかったという後悔がすぐに襲ってきた。
通り過ぎて行ったのは今年度のヒーロー科一年を担当しているイレイザーこと相澤。駆け寄った先は痩身の男の元で、男の手から奪い返すような勢いで西岐を抱きかかえた。
「イレイザーさん……つかれたよお、いたいよお、うえええ……」
「ああ、よくやった、偉い」
静かな廊下に声がよく響く。ついさっき大丈夫だと言った口で相澤には疲れたと言って縋り、遠慮なしに甘えている。相澤もまたそれが当然とばかりに目を細め、痩身の男と連れ立って保健室の方へと歩いて行った。
振り返らなければよかったと思ったのに目を逸らせなかったのはどうしてだろう。
答えが出ないまま階段に足を乗せる。一段ずつ踏みしめるようにゆっくりと体を持ち上げていくが、途中で足が動かせなくなってしまった。さっきは勝手に動いたというのに、今度は一歩も動けない。
ギリギリと痛む胸を抑える。
「……んだこれ」
詰めていた息が逃げ場を求めて口から飛び出ていくと、それと一緒に意識していない声が出ていき、空しく反響する。
だからあの人は苦手なのだ。
何にしても落ち着かない。
まぶたに焼き付いて離れそうにもないさっきの光景を思い出して、胸元を強く握りしめていた。
create 2017/12/27
update 2017/12/27