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名前が本社の廊下を歩いていると、向かいから百が1人で歩いてくるのが見えた。千もマネージャーの岡崎凛人も連れていないことに疑問を感じながらも、名前は「こんにちは、百さん」と挨拶をする。俯きがちだった百が、名前の声を聞くとパッと顔を上げた。
「名前ちゃん!今収録終わったの?」
「はい。会うのは久しぶりですねえ、年始はお互いスケジュールぎっちりでしたし」
「ねー。また今度サーフ連れて行ってあげたいんだけど、落ち着いたらどう?」
「いきたいですけど、百さん、調理だけは絶対しないでくださいよ」
「あれはたまたまだって!」
「たまたまで人は魚を消し炭にしねえ」
「酷い!オレだって一人暮らし長いのに!」
ふーん。冷ややかな目で名前が百を見ると、百は思い当たる節がありすぎるらしくうっ、と詰まっていた。百の自宅にある冷蔵庫の中身が悲惨なことを名前は知らないが、想像することは容易だった。いつかこの人食中毒で死ぬのでは……?と名前は先輩アイドルの体調を本気で心配している。ももとりんごのスパークリング、略してももりん以外の飲料を飲まないところも非常に健康に悪い。三食ジャンクフードが好きな名前が言えたことではないが、それにしたって簡単な料理ぐらいはできるのだった。
「それで、百さんはなんでツクモの本社にいるんですか?」
「ちょっと知り合いに呼び出されたんだ。千とおかりん現場待ってるし、今戻るとこ」
「え、なら急いだ方が」
「うん、だから、もう行くよ。名前ちゃんも、忙しすぎて体を壊さないように!」
「はい」
約束はできないけど。名前は百が見なくなるまでその後ろ姿を目で追って、百が今まさにやってきた方向に、自分も歩きだした。ブラホワ女性部門で優勝してから、名前の仕事はここ最近ますます増えている。百の言う通り、年始に至っては分、秒刻みのスケジュールで名前は以前から懸念していた体力の問題を感じていた。疲れたからライブはできません、などという学生時代のようなことはできるはずもない。今年に入って急にテレビ出演の話も多くなり、トーク番組でなくとも確実に名前は疲労とストレスが溜まっていた。とはいえ、恐ろしいほど順調な名前の芸能界生活は、おそらくこの世界を夢みる者誰もが羨むものである。それを名前は重々承知していたので、文句は言いつつやめるという選択肢はなかった。
そして、Re:valeにいたってはその忙しさなど名前の比ではなく、ここで会えたこと自体が奇跡に近かった。名前は疲れよりツチノコに会ったような気分で月雲了の部屋の扉を開く。そこには月雲了と先客がいた。亥清悠……ではない。彼は先日から出入りしなくなっていた。それ以来見かけていないが、今でも時折名前のラビチャに連絡がくる。そんなわけで一抹の寂しさも抱くことなく、元気にやってんだなぁ、というのが名前の心境である。そして一方、見たことないその人物は名前を振り返って「ははぁ、こいつが了さんのお気に入りか?」とニヒルな笑みを口元に浮かべていた。
「そ、名前ちゃんは僕が見つけた子だ。……あげないよ?」
「いらないさ。生憎、俺の好みじゃねぇ」
「月雲さん、この人誰ですか?」
いきなり侮辱された気がしたが、普段から粘着質な月雲了を相手取っているせいか、耐性がついたらしい名前は特に気にしなかった。そんな名前の様子に、男はひゅー、と口笛を吹く。名前としては、このオーラがダダ漏れの優男が一体誰なのかということの方が気になった。月雲了が連れてきたのだから名前自身とも無関係でないことは明白で、かといって芸能界でこれほどの男はそう見たことがない。名前が、素直に疑問の言葉を口にするとこれまたあっさりと月雲了は回答した。
「財閥のお坊っちゃん。裏じゃアイドルより人気のあるスーパースターさ」
「へー……、どうりで、身につけてるもの全部高価そうなわけですね」
元、貧乏学生の名前からしたら、その年で名だたるブランド品を全身に身につける男が羨ましい限りであった。
「彼もデビューしてもらう予定。悠君の方の話がまとまったし、暫くは彼がここに出入りするから仲良くね」
「はあ……、別に構いませんけど。もしかして、それ言うためだけに呼び出しました?」
「うん」
「この野郎」
「おいおい、名字名前はクールでストイックな音楽家だって聞いたぜ?口も悪いのか?」
「それどこ情報ですか?私は見ての通りです」
「そりゃ失礼した」と肩をすかした男は前髪を掻き上げて名前に謝罪した。感情は一切篭っていなかった。名前はどーも、と受け流して、用がないなら帰りますからね、と月雲了に了承を取った。
「ああ、待って待って、最後に一つ」
「はい?」
「次の仕事だけど、彼も見学させてあげてよ」
「え」
「そりゃいいな。丁度見て回りたかったんだ」
「芸能界のことなんかなーんも知らないお坊ちゃんだからさ彼。ちょっと融通効かないけど名前ちゃんならまあ、大丈夫でしょ」
「ええー、そんな面倒なことをなんで私が…………」
「これも仕事の一環だよ」
「うわ、それはないっすよ月雲さん」
仕事と言われてしまえば断る選択肢はない。名前はセットしたての頭を掻きむしって大きくため息を吐いた。そして名前も知らないその男に向き直って、名前は「ま、よろしく」と嫌々ながら挨拶をする。仕事の時間は差し迫っている。早々に出発しなければならなかった。
「俺は御堂虎於。了さんの手下同士仲良くやろうぜ」
「なんかその言い方ムカつくわ」
「おー、怖い怖い」
友よ、これは革命である